般若神妙について
子供の頃祖母の付き合いでよくお寺に行ったりしていました。精神を落ち着けたい時や、物事に迷ったときにはよく祖母から教えて貰った般若神妙を唱えたりしています。しかし般若神妙の意味を知りません。お経の意味を教えて頂けたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
般若心経でいいですか?
般若心経でよろしいでしょうか?
申し訳ないですが、以前まとめたものを転載させていただきます。般若心経は「空」についてのことが書かれております。あるいは「空観」でしょうか?
諸説あると思いますので、ご理解お願いいたします。
以下転載
この世に存在するあらゆるものは、私たちが勝手に「実体がある」と思い込んでるだけで、本当は実体を持っていないのです。
量子という言葉を知っていますか?
量子とは物理や力学などで「物理量の最小単位」といわれる。量子というのは「物理の最小単位」とはいっても、さらに突き止めてとらえると、もう「物質」ともいえなくなり、どちらかというと「エネルギーの振動」なのです。
このエネルギーの振動が密度を増していくと、人間が認識できる「物質」として形づくられます。逆にいえば、そのものがエネルギーとなります。つまり、物質も、そうじゃないものも、元をたどれば全部同じものでできているのです。
この宇宙に存在するありとあらゆるものは、実は「同じもの」で、「空」というのは、何もないってことではなくて、その量子エネルギーがこの世界に満ち満ちているということなのです。
その実体をとらえようがとらえられまいが、あらゆるものは「空」の中に存在しているのです。むしろ「空=存在」と言ったほうが的確かもしれない。たえずその振動を変化させつづけている無形の全体像が「空」ということなのです。そこには、一切の分離(何かと何かを分ける境界線)が存在しない。すべてはひと続きなのです。
たとえば、この「空」という存在は、「止まる」ということができない。流動し続けている。私たちだってそうなのです。ほんの一瞬でも、止まることはできないのです。昨日の自分と、今日の自分、同じように見えても若干変わっています。
このようなことから、実際に存在しているのは『空』という常に流動し動き続けている全体性だけであって、『自分』とか『ほかの何か』とか、他と分離して存在するものは、実は何一つなかったのです。すべてが連携しあった、ひと続きの同じ存在だったのです。
最初に申した通り、諸説ありますので、ご理解お願いいたします。
ぜひ体験もしてみてください
般若心経ですよね。
ネットや本屋でもたくさん解説が載っていますよ。
私は浄土宗なのであまり詳しくないのですが、お称えはしてます。
ただ、意味を読んで知っても、あまり意味がないと思います。
やっぱり身に付きませんからね。
ぜひ、曹洞宗や臨済宗などの禅宗のお寺で、坐禅会に参加し、般若心経の意味を体験してみてください。
私も機会があれば体験したいと思ってます。
質問者からのお礼
色々教えて頂きありがとうございます。