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般若心経

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般若心経の意味と般若心経を仏壇等に対して唱える意味を教えて下さい。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

1000字じゃ足りないですが

お経を唱えるというのは自らに参じ、あなたが仏を目指し、覚者になる行です。
仏の心を悟り、智慧と慈悲を一切衆生に廻らし向ける誓願の行といえましょう。
観自在菩薩とはあなたの事。
自分自身に向き合い深い禅定にある時、人は誰でも物事を認識フィルター以前に観ることができる。
この身心及び全てが自分の思いとはまるで無関係に働いている無我、空を悟り、一切の苦しみから救われるのです。
仏弟子よ、物も身心も現象的なありようで存在している。
左脳的にものを見れば世界は曇る。感受のまま、そこに自らの自我のはからいで覆わなければ世界は常にクリアーです。
ものがあると言っても、ありながらに転じ、転じながらにあるのが一切のありようです。
そこを悟れば、ざるに水を灌ぐが如く何の所得もなくなるので、心は常に悟りの状態になるのです。その時、心には障りが無く、恐怖も思いのまぼろしも去りきって、一切の思いの上の脚色事、思い違い、夢想を離れて涅槃という最高のやすらぎになる。
三世の仏もみな、この物事に対して私見を交えずに処する、という空の心(智慧)で過ごしているから、無上の悟りを得た。
その真言を今から唱えますので、ヘタに訳さず、私見を添えず、風鈴がただチリンチリンとなるがままにするが如くに過ごしてください。ギャーテーギャーテー…。
THIS IS IT
それが、ただ、それである。
それ以上でもそれ以下でもない。
それが般若、智慧の様子です。
これをリクツではなく、体得するのがお経を読むということ。
そういうことを、亡き人や、生者、縁者に廻らし向ける事以上の功徳がこの世には存在しないでしょう。その真逆は自分が自分をエゴエゴすることでしかないからです。
分らなければ、そもそも文字で悟ろうという事自体が、はじめの一歩を誤っているので当山の参禅会でおおいに質問してください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ぎゃーていぎゃーていのマントラを使った瞑想

般若心経は、
「ぎゃーていぎゃーていはーらーぎゃーていはらそうぎゃーていぼーじーそーわーかー」
という呪文(マントラ)を使った瞑想を勧めているお経ととらえることもできます。
マントラに意識を集中させ、妄想雑念・固定観念から心を自由にするわけです。
マントラを説く前おき部分で、有名な色即是空などのフレーズがでてきますが、全体的には執着心を離れさせる内容が説かれています。
なので、このお経を読むことは、自分の執着心(悩み苦しみの原因)を弱めるトレーニングにつながるでしょう。

仏壇にお経を唱えるのは、
ありがたいお経なので、ご先祖にも聞かせてあげたい、ということではないでしょうか。
お経を聞いた他人(先祖)が感銘を受ければ、その聞いた人の修行のサポートになるから。
また、お経を唱えて修行している自分の姿を仏様やご先祖様に見ていただく、修行している自分が一種のお供え物、という感じもします。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

説明などで言い尽くす事が不可能な深いお経です

こんにちは。
真言宗の悟東あすかです。

短いながらも驚く程深く、
しかも仏教の真髄が書かれているのが
般若心経です。

簡単にこんなお経とは言う事が出来ませんが
かなり無理をして言葉にしてみるとすれば
仏教の悟りの知恵を凝縮したエッセンスと言えるのかもしれません。

ですから、あらゆる場面でこのお経はお唱えする事が出来ます。

貴方が仰るように仏壇でお唱えすれば
ご先祖様や有縁無縁の亡くなった方に対しての
ご回向(ご自分のなさる善い行いを亡くなった方に回し向ける)となりますし、亡くなった方が悟りへ向かい、その後の幸せに通じます。

神社でお唱えすれば、
神様に取ってはまるで最高の花を供えられたように感じるといいます。

もちろん、お寺の仏様の前でお唱えすれば、
仏様は大変喜び貴方の悟りへ向かう行いを助けて下さいます。

自分一人でお唱えしても、意味がわからなくても
大きな功徳を得るとされています。
少しでも意味を勉強しつつお唱えすれば奇跡が起こる場合もあると
弘法大師空海の御著作「般若心経秘鍵(はんやしんぎょうひけん)」
には書かれています。

つまり、般若心経の中には
仏教の教えの全て、真実の悟りの世界がつまっているのです。

貴方がもし、ニコニコ静画のアカウントを持っておられたら
「般若心経って何?」という漫画をUPしてありますので
もし可能でしたらご覧下さい。
http://seiga.nicovideo.jp/comic/287?track=list

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有り難し
おきもち

個別相談可能
仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さんだと思っております。 法昌という法名で、和歌山県の高野山の西禅院が所属寺院ですが、 普段は東京都町田市のマンションで手作りの密壇でひたすら修行を続けている  はぐれ行者です。 伝法灌頂も中院流の一流伝授も授了させていただいております。 娘を持つ母であり、一家の主婦でもあり、親の介護もあったりします。 エッセイや文章、そして漫画家として漫画も描いております。 イーハトーブクリニック萩原医師の指導をいただきヒプノセラピスト(催眠療法士)でもあります。 基本的に隣のおばちゃん的な、でも変わった尼僧です。
ご相談可能な時間はその日ごとに違うので、いくつかご都合を書いてくださいね。 人生で悩んだ時に、最善の答えを与えてくださるご神仏と、あなたは心の奥で必ず繋がっています。ご自身の心の中からご神仏のお答えが受けられるようにアドバイスをさせて頂きます。 ◆著書:「神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと」「迷いをすっきり消す方法」「幸せを呼ぶ仏像巡り」

質問者からのお礼

般若心経は、自分の執着心を弱めるトレーニングなんですね。ただ、すみません、私が知りたいのは般若心経の内容の意味が知りたいのですが・・・・毎日、般若心経は上げておりますが、ふと内容の意味もわからず
上げるのではなく、理解した上で仏さんにあげるべきと考えたからです。よろしくお願いします。

丹下 覚元様 悟東 あすか様 ご回答ありがとうございます。元々般若心経は奥深い内容だろうなと考えておりましたが、再認識させていただきました。ありがとうございます。

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