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般若心経について

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僕は般若心経を最近覚えました。
ここで般若心経について質問です。
ネットなどでよく「般若心経を唱えると霊が寄ってくる」などいろんな事を聞きますが、本当に霊は寄ってくるのでしょうか?

また、その場にいる霊をはらったり、人についている霊をはらったりはできますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ありもしないことを妄想しなくなるのが般若心経の功徳

まず、冷静に考えて自分自身に問いかけてみましょう。
そもそも霊とは何でしょうか?
あなたの中で霊とはこういうものであろうという思いが先立っています。
それは人から言われてそう思い込んだだけのものではないでしょうか?
実際に存在するものですか?
それはあなたの思いで描いたものでしょう?
根拠もないわけですし。
まず出発地点からして、妄想からスタートしています。
人間はこの様にありもしないことを自分の頭の中でいつの間にかあると妄信して、存在を認めてしまっている、と気づいてください。
般若心経とは、そういう思いの創造物が一切なくなることです。
みんな自分の作った物語、ストーリー、想念は大事にとっておきたがるものです。
霊が寄ってくるという図式、霊をはらうという図式が、そもそもあなた自身が作りだした想像であるということを見極めてみましょう。
それが本当に霊を払う、ということです。

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こだわることに意味はない

それがこのお経に書かれた仏の教えです。
霊が寄る意味を考えたことがありますか。
霊は助けを求めています。
現世へのこだわりが不成仏となるのですから、この教えを聞いて救われたいと寄ってくるのは当然。
よし!今救ってやるぞ!
その迫力をもって救ってあげてください。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

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