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「輪廻転生」問答(Q&A)一覧

輪廻があるなら、私は天界も地獄も見て来たのでしょうか?

こんにちは。 前回質問で、輪廻思想がどうも腑に落ちない、と主張した者です。 ただ、輪廻に限らず、事物が「ある」とも「無い」とも断定するのは中道の教えに反すると感じるので、輪廻思想の側からも質問させてください。 輪廻転生があるなら、私は六道あらゆる世界を見て、生きて来た事になりますよね。何しろ仏教の宇宙観は無数劫の時間スケールで成り立ってるのですから。 また、私は、いわゆる地球外生命というものも、必ずどこかの惑星で誕生し生を営んでいると信じています。 そうなると、私の魂(?)は天上界のめくるめく壮麗な世界も体験して来たし、地獄の底の恐ろしい責め苦も受けて来た事になりますよね? また想像を絶するような異星の光景も目の当たりにしてきたのではないでしょうか? 輪廻転生が教えているものって、 「そういう一切合切の有情は、別個に生きているのでなく、過去、現在通して、物質から魂のレベルまで、密接に繋がって生きてるんや。天人も地獄の衆生も、あらゆる命も決して他人事じゃおまへんで。なにせアンタがそれ自身だったんだからな。」 と言っているようにも思えるんです。なぜか関西弁ですが。 そういう所から、いわゆる慈悲って生まれるのでは無いでしょうか? 生前や死後を無記とするのは「智慧」ですが、また輪廻をわが事として受け止めるのは「慈悲」の根源なのかな?とも思います。 この2つの考えは矛盾するものではないとも、私には思えます。 お坊様方は輪廻と言うものをどのように受け止めてるのか、気になったので再び質問させて頂きます。 お考えを聞かせて頂ければ嬉しいです。

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輪廻転生はあるのでしょうか

こんにちは。 私は数年前から一人暮らしをしており、1人の時間も長くなると考え事をする時がしばしばあります。 その中で昔の嫌な記憶を思い出すことがよくあり、思い出した嫌悪感に我慢できずにたまに泣いてしまいます。 自分の性格や人間性のダメな部分に嫌気がさして自己嫌悪に陥るのですが、ああしてこうして育ててくれればこんな人間にはならなかったのに、と親のせいにしてしまう自分に何より腹が立ち、情けなくなります。 もちろん四六時中こうして悩んでいるわけではなく、仕事ができるありがたさや趣味に打ち込める楽しさもあり、普段はポジティブに生活しています。 ですが、人間いつか死ぬのなら、できるだけ早く死にたいなとも考えています。 自分で言うのもなんですが、感受性が豊かな自分にとっては家族も含め人付き合いに疲れてしまい、早く楽になりたいんだと思います(叱られるかもしれませんが… 死後の話でよく『輪廻転生』と耳にします。 私は現時点で20数年しか生きていませんが、もし人間として生まれ変わるのなら、またこんな人生を送らなければならないのならないのは御免だなと思います。 やはり死後の魂は何かに形を変えて生まれ変わるのでしょうか?だとしたら魂の数には限りがあるのでしょうか? もう一度生き物に転生せずに済むのなら、魂ごと消えてしまいたいです。

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輪廻の主体

輪廻転生の事を考えると胸が痛くなります。何故仏教は命を一回限りとしないのでしょうか。 もちろん今ある生も今生限りのものですから人生が一回限りであることには変わりありません。 ただ殉教、殉死、心中等を遂げた歴史上の偉人の前世や来世が全く下らない物だったかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになります。 自分の運命や人生を全面的に肯定して死に切ったとしても、過去世や来世の全く違う人生によって矛盾をきたしたものになるとしたらどうでしょうか。 「七度生まれ変わって朝敵どもを皆殺にしたい」と言って自決した楠木正成が果たして貧民街の子供に生まれ変わる事は無いと誰が言えましょう。 彼は生まれ変わりを願いましたが、あくまで自分の人生を貫き通す意思であり、運命愛に過ぎません。 生涯不犯を誓って異国で命を落とした宣教師達の前世がどこかの売春婦であると考えただけで吐きそうになります。 もしそれで良いのならこの世での清貧、忠義や誠意も全く無意味なものとなりますから。 ただ輪廻思想が広大無辺な仏教の歴史の中で偉大な説法者達に受け継がれてきたものである事は否定できませんし、 私は至らぬ凡夫ゆえ仏教の各宗派の前提とする輪廻の教義まで仔細には存じ上げません。 仏教では、特に自性を認めない中観派では何が輪廻するとされているのでしょうか? 水車を廻す水や携帯を動かす電気のように、「私」ではない、「私」の生み出す執着そのものが輪廻するのでしょうか? 執着が輪廻するのであれば悟りを得た=執着を滅した釈迦が解脱に入られたと解釈できるように思えますが。

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輪廻からの解脱

回転寿司が大好きで週に一度は食べに行っています。 そこで、hasunohaの左上のロゴの類似であるホッキ貝より、味は赤にし貝、歯ごたえはつぶ貝が好きだなと気づきました。 気付いたんですが、ホッキ貝も食べますし、赤にし貝やつぶ貝のみ食べるという事をしませんでした。 そして回転するベルトコンベアを見て、自分の輪廻からの解脱は本当に難しいなと感じました。 今回の『輪廻』の定義は死んだ後の話ではなく、 『執着する限り何度でも苦が繰り返される、因果応報としての輪廻』です。 (本を見たりネットで調べたり人に聞いたりしたわけではなく、毎日自問自答しているうちに『生きているうちにも輪廻している』と気づきましたので、これは仏教やブッディズムでいう輪廻ではない、というご意見もあろうかと思いますが、その場合は正しい言葉を教えていただければ有り難いです) 気付いてもなかなかやめられない、そして心に余裕がなくなったら外的要因のせいにしている自分の心がいます。 ダンマパダや七仏通誡偈の中に、 諸悪莫作(サッバパーパッサアカラナン) 衆善奉行(クサラッサウパサンパダー) 自浄其意(サチッタパリヨーダパナン) 是諸仏教(エータンブッダーナサーサナン) がありますが、白楽天に言った道林禅師の『3歳の子供でも分かるが80歳の老人にもできない』という偈に自分の経験を当てはめて痛感しております。 僧侶の皆様は忘れてしまったらしょうがないのですが、忘れてしまいそうなときはどのようにして忘れないようにしていますか。 (忘れてしまいそうなときは忘れていないから、忘れることはない、という答えもあるでしょうが) 苦の輪廻を寿司で例えると味にアクセントを与えるワサビ(たまに多くつけすぎたり少なくつけたりして苦しむがちょうどよい辛さを探している)だと、勘違いしている自分がいるのかな? と迷ってしまっています。 いや、違う。ただ何も考えてないだけですね。

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輪廻転生が怖い嫌

こんにちわ、またまたご相談です。 現在、私は引きこもりのような生活をしています。理由としては人間関係で色々とあって、精神的にも疲れきってしまい人と関わるのが怖くなったからです。 親に「外に出ろ」と言われますが、私は何かを強制されるのが嫌いな部分があるので反発してよく喧嘩を起こしてしまいます。 今は落ち着いてきており、私もいけなかった部分があるんだろうなと思うようになってきました。だけど、そのせいなのか、前にご相談した通り自分の嫌な所ばかり思うかんで自己嫌悪に落ち込んだり、マイナス思考に落ち込んだりしています。 今度は地獄の次には輪廻転生について恐ろしく感じる様になりました。 もし来世があるとしたら正直に言ってもうこの世には生まれたくないという気分になっております。 昔にもそんな事を考えた事があって、死を怖がったり生まれ変わりがあるのなら動物になるのも虫になるのも嫌だなと思った事があり、人の事は言えませんが人間に酷い目にあわされている動物を見て気分が悪くなって、こんな目に合うのは嫌!怖い!と思ったりしました。 生まれ変わるのなら人間が一番いいと言われてますが、人間だって必ずしも平穏な環境で生まれるとは限らないし、人間同士だって諍いがあるし、人を人だと思わないような人間だっていますし。 転生してしまえば記憶がなくなって別人になると言われてますが、それも正直に言って怖い。今いる自分自身が消えてしまうと考えるととても怖くて仕方ない。 地獄も怖いけれど、転生も怖い。 今まで他人事のように感じていた物が急に恐ろしくなり、だからもし、死後の世界があるとしたら、転生などせずただ穏やかでありつづけたいと思い、本当に自分勝手だと思いますが、もし本当にお釈迦様がいるのなら、もう、この世に輪廻させないでください。苦しいのも怖いのも痛いの嫌です。自分が消えてしまうのが怖いですと言いたい気分になりました。 自分の人生の中には楽しい事もありましたし、生きていれば考え方など変わると思いますが、今はこういう考えをしてしまい気力が削れ恐怖心でいっぱいになったりします。 前に進まないといけないのに、前に進むのが怖くて仕方のない状態で自分の身勝手さになんだかなと思い、こう考えるのに何の意味があるのでしょうか。 私はなんで生まれて来たのかと悩みばっか思い浮かんでしまいます。

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