輪廻から解脱する事と消滅する事の違いは?
精神病を長年患っており死ぬ事ばかり考えています。病苦も有ってか嫌な事に対して敏感で過剰反応します。特に人間の醜い所を見聞きするのがウンザリです。早く解放されたいです。
方法は死ぬ事でも良いのですが、輪廻してしまっては苦しみの繰り返しになるので輪廻から解脱したいです。この事は消滅する事と同じなのでしょうか?
私は仏様になって誰かを救いたいという気持ちよりも、早く苦しみから逃れたいという気持ちから消滅したいと考えています。
精神科医には「肉体があるから消滅は出来ない」と言われました。死ねば消滅するのでしょうか?どうしたら消滅出来るのでしょうか?
痛いのも苦しいのも醜いのも…全て嫌です。完全消滅して、1秒でも早く全てから解放されたいです。
上座仏教やチベット密教の記事を読むと「輪廻から解脱=消滅」と捉えられるような記述がありました。
輪廻から解脱する事と消滅する事の違いは何でしょうか?
どうしたら輪廻から解脱(消滅)する事が出来るのでしょうか?
1秒でも早く人間を辞めたいです。なるべく簡単な方法を探しています。
助けてください。これ以上、人間の醜さに触れたくありません。
早く死にたい、消滅したい、輪廻から解脱したい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
輪廻からの解脱
消滅したいですさま
輪廻の迷苦を厭い、逃れたいという心を「出離心」と申しまして、仏道へのまさに入り口の志となります。
そして、次に、この迷苦は、何も自分だけではなくて、大なり小なり他の皆も同じであることを悲しみ、憐れむことで、「慈悲心」を起こして、自分だけではなく、他の皆もこの迷苦から逃れることができるようになる法、仏法を求め、そして、悟りを得たいという強い志、「菩提心」を発心することが大切となって参ります。
輪廻からの解脱は下記の表における、煩悩障を無くした存在である、阿羅漢、十地における八地以上の菩薩において可能となります。
https://ameblo.jp/sunyahide/image-12688198158-14976612608.html
「煩悩障を断滅した聖者は、なぜ輪廻しなくなるのか」
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/54134b03ce1765761e934681fe75a1d6
ただ、阿羅漢、十地における八地以上の菩薩が輪廻から解脱し、迷い苦しむ存在とはならなくても、まだ悟りには至っておらず、もちろん、(輪廻を司ってきた微細な意識は)消滅することもありません。最終的には、煩悩障の次に、もうひとつ邪魔となっている所知障を断滅することが求められるところとなります。
私たち凡夫が迷い苦しむことになっている最大の原因は、無知・無明、表では、真実執着、倶生の諦執と書いてあるものとなっています。
仏陀の認識から凡夫の認識のあり方を逆算していくことで、何が問題となっているのかを明確に炙り出すことができるものとなります。
是非、仏教を学び進めて頂けましたら有り難いことでございます。
川口英俊 合掌
体と心
は本当は別のものです。体が動けなくなると死にます。が、心はそんな体が嫌で逃げだします。また何かにしがみついて生まれます。つまり輪廻します。
心を滅することができるのは、悟った人だけです。何の執着もなくなると、残った体が動かなくなると、心は生まれ変わらず、消滅します。涅槃です。
アルボムッレ・スマナサーラ『死後はどうなるの?』(角川文庫)が分かりやすいです。
修行して執着をなくすと、=悟りです。修行法は、釈尊のやり方では、ヴィパッサナー(観)瞑想です。これもスマナサーラ長老の実践説明が、YouTubeや本でいっぱい出ています。他にも説明が不明確なものがいろいろありますが、スマナサーラ長老のものが安心です。
質問者からのお礼
藤本晃様、川口英俊様、さっそくの回答ありがとうございます。
藤本様、「ヴィパッサナー(観)瞑想」をご紹介いただきありがとうございます。一度確認してみます。
川口様、表とブログ確認しましたが、私の知識では理解が難しいので勉強が必要のようです。チベット密教は興味があります。
お二方とも、お忙しい中ありがとうございました。