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仏教における転生の考え方について

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仏教における転生のシステムについて質問です
死後、魂は一度クラウド上にアップロードされ、統合された魂から一部が来世へダウンロードされる
クラウド上の魂は、泥水の入ったバケツのような状態で、そこからコップ一杯分の泥水をすくったのが今世
今世で良い行いをして泥水を浄化していって、死後、浄化できるだけ浄化した魂をバケツに戻す
悪行は、水をより汚くして戻してしまう(徳と業システム)
バケツの泥水を綺麗にして次のステップに行くのが目的(次の階級に上がる? 解脱するための準備?)
という認識を持ってるのですが、これは正しいのでしょうか?
宗派によって異なるかとは思いますが、よろしくお願いいたします

2021年10月12日 17:13

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私はその解釈は仏教的に正しいと思いません。
ただ、現世で良い行いをすれば現世と来世で良い報いを受けるという点については正しいと思います。
ですから、悪いことをしないように、良いことをするように現世をお過ごしくださいね。
きっと現世と来世で良い結果を迎えることでしょう。

2021年10月13日 12:16
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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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如来蔵・仏性思想と釈尊の教えの違い

あなたが想定しておられるのは、仏教でいえば如来蔵・仏性思想に近いような気がします。もともと仏教にはなく、仏教以外のたいていの宗教にある教えというか感覚です。現世と来世?に分け、現世では不完全な代わりに完全を目指して修行、死後は来世?に戻って、ちょっとぬくぬくとして、また頑張るために現世に生まれる……ギリシャの理想世界と現実世界の往復、インドや中国や日本の先祖界とこの世の往復、などなど、言葉は少々違いますが、世界中の人々が、何となくこうではないかと思ってしまうようです。仏教にも入り込みました。
 釈尊は、クラウドとかあの世とか言われる世界をも分析し、天界にさえ段階があること、それも輪廻の世界だからまたそこで死んで何かに生まれ変わらないといけないこと、ついでに、人間界以下の世界にもいろいろ段階があり、そこに生まれ変わる者もいること、そしてそれらが全部輪廻の連続で、人間界で心を浄化し尽くしたら、解脱し、死後はクラウドにも天界にも生まれず、輪廻双六を終了できることを解き明かしました。
 クラウドや天界や如来蔵などは、立派な高次元の生命が集う良い世界観で、そこに行くにも徳を積む必要があり、多くの宗教がそういうものを説き、間違いとは言えず善い教えなのですが、あくまでもまだ輪廻の中だ、という認識を、釈尊の仏教は持っています。のちの大乗では忘れてしまいました。浄土の教えが浄土に往って何とかというのも、思想を分類すれば如来蔵のパターンですね。
 アルボムッレ・スマナサーラ『死後はどうなるの?』角川文庫が、仏教の輪廻観と解脱観を簡単明瞭に説明しています。

2021年10月13日 8:06
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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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「転生」は単なる「システム」ではない

こんにちは。

ご自分なりに専門知識を咀嚼して理解することは大切です。
しかし、かなりご自身に寄せすぎの理解している印象です。

そもそも、「転生のシステム」と書いていますが、まずここから違和感があります。「転生」は、迷いの業を重ねている自身への回顧や悔悟に基づいた、行く末への不安を伴う価値観です。「システム」という無機質なものではありません。

従って、「クラウド」「アップロード」も同様です。

あなたは、「システム」という仕組みを上記で説明しようとしています。
しかし、あなたは自分自身の日々重ねている業について、どう仏様から反省的に気づかされているのですか。また、自分の業の積み重ねにどんな行く末を想像しているのですか。その点を抜きにした「転生」の説明は、少なくとも仏教の説明にはなりえません。

2021年10月13日 7:30
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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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「輪廻転生」問答一覧

解脱する方法は確立されていますか?

私には、「もう二度と人に生まれたくない」という、漠然とした、でも強烈な願望があります。 生まれ変わった自分は今の自分とは関係のない赤の他人であり、そんなことを気にする必要はない、なぜそのような悲しいことを考えるのか、もっと楽しく生きなさい なんてことを言われたりするのですが、むしろなぜ他のみんなはそう考えないのだろうと思うくらい 私にとっては本当に強く願っていることが「もう絶対に、絶対に生まれてこないこと」です。 仏教には輪廻転生の考え方があり、その輪から外れる方法が解脱だと聞き齧りました。 まだ仏教について何も知らない人間の質問で大変恐縮なのですが、 つまり解脱することができれば、もう命として何かに宿ることは二度とないのでしょうか。 私にはそれがとても魅力的なことに感じます。そこで、解脱の方法とは、こうである、と言うものが確立されているのであれば教えていただきたいです。 でもきっと、そんな簡単な、うまい話はないのだろうとも思いますし、この質問自体どこかズレているのかもしれません。 もし回答できるものではないのだとしたら、自己研鑽として、仏教について学びたいとも考えておりますので、何も知らない人間がまず手始めになにをすべきかを教えていただけますと幸いです。 このような場を設けていただいていること、質問のご縁をいただけたことに感謝致します。

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神通力

 前回「釈尊の悟りは神通力を得た結果?」を投稿しましたが、当たりのようです。  駒沢大学学長を歴任された水野弘元先生の著書「釈尊の生涯」の「成道と三明六通」には「(前略) そして濾尽智通以外の五神通は、必ずしも仏教者だけでなく他の宗教家や鬼神狐狸の類に至るまでも、浅深の差はあっても、これも得ることが出来るとせられる」と書かれています。  三明六通の「六通」とは先ほどにに記述の「五神通」とあるように、「六神通」と考えることが出来ますので、「神通力」を得たと考えて差し支えないと思います。  古代インド社会では「輪廻転生」は常識であったそうですが、当時のインド宗教者は、互いに神通力を競い合ったと考えられます。  三明の最初の一明は「過去に関するすぐれた智慧の宿命通(宿命明)」となっていますから、釈尊だけでなく、それ以前の宗教者にもそこに到達して、「輪廻転生」が世間に広まったと考えられます。  余談ですが、阿含宗を創設した桐山靖雄師は、著書「輪廻する葦」のなかで、成仏法と称して、神通力を修練することを勧めたようです。私は読んでいませんので想像ですが、論理の「阿含経」ではなく実践法の「雑阿含経」を研究していたようです。

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輪廻転生の考え方について

質問が2つあります ①仏教では輪廻転生と言う考え方で生まれ変わると言われていますが 人口の増減についてはどう考えているのでしょうか? 今の日本の人口は1億人を超えていますが 奈良時代 大宝律令ができたころは310万人~320万人ほどだったようです。 日本史の教科書では 昭和初期の満州事変が始まった頃のことを 日本は中国人4億5千万人を敵に回すことになった と書かれていますが 今は中国の人口は軽く10億人を超えています 同じ国籍だけに輪廻転生するとは限らない 世界規模で考えるべきとしても 現在世界の人口は70億人程度いるようですが 1世紀に前に比べても数倍になっています もっと言うなら 数万年前の ~~原人 とかいたころはどうなのか? とか いろいろ説明がつかないことばかりです。 昔の 江原啓之さんが出てくるような心霊番組はテレビでやらなくなりましたが (便乗した霊感商法 悪徳商法がはびこるようになるとか、輪廻転生を信じた人が人生をやり直すために自殺するケースが出たなどの理由で弁護士などがテレビ局に抗議したそうですが) 当時の番組では江原さんは輪廻転生を言っていて 「あなたの前世は~」と言う話になると 全て人間であり、他の動物だったケースは見たことがありません。 しかし 全ての人間が また人間に輪廻転生をするとすると 個体数の関係で辻褄が合わないことになります。 これは仏教ではどう考えているのでしょうか? ②私は亡くなったら全て「無」に帰す 霊魂も輪廻転生もないインチキだ と言う考え方は好きではありません。 それは 大切な肉親を亡くし時点で「永遠の絶縁」を意味するからです。 死ぬことは怖いとは思いませんが、肉親と未来永劫絶縁になると想像するほうが怖いです。 霊魂や輪廻転生を完全否定する宗教家の方もいるようですが、肉親を亡くしたら情なんて捨てろ と考えているのでしょうか?

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誕生の仕組み

 輪廻転生が真実であるとすれば誕生の考え方が大きく変わります。  まず結論から言いますと、「心は自分自身であり、親から貰ったものではない」と言うことです。 即ち自分の生老病死は自己責任であるということです。  ことわざからはじめますと、  「身体髪膚これみな父母より賜う。あえて損傷せざるは孝の始めなり」  これは身体だけであり、心は別ということになります。  「子は授かりもの」   もし心も親譲りであれば我が子であって、授かるとは言わないでしょう。  「とんびが鷹を産む」  親子の気質は別物であるという事でしょう。  「愚兄賢弟」  もし親譲りであれば、兄弟でも性格が違うとは、遺伝子的には考えられません。 原則的には類を以って集まるはずですから、性格が似ていることは多々あります。  臨死体験者(新堂のぶ子氏)の言葉(講演会にて)  「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」  ある宗教学者はネットで「龍樹と輪廻転生」と題し   「ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と述べています。  「意識」は心と同一と考えてよいと思います。   以上が結論の根拠です。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ