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「輪廻転生」問答(Q&A)一覧

輪廻からの解脱

回転寿司が大好きで週に一度は食べに行っています。 そこで、hasunohaの左上のロゴの類似であるホッキ貝より、味は赤にし貝、歯ごたえはつぶ貝が好きだなと気づきました。 気付いたんですが、ホッキ貝も食べますし、赤にし貝やつぶ貝のみ食べるという事をしませんでした。 そして回転するベルトコンベアを見て、自分の輪廻からの解脱は本当に難しいなと感じました。 今回の『輪廻』の定義は死んだ後の話ではなく、 『執着する限り何度でも苦が繰り返される、因果応報としての輪廻』です。 (本を見たりネットで調べたり人に聞いたりしたわけではなく、毎日自問自答しているうちに『生きているうちにも輪廻している』と気づきましたので、これは仏教やブッディズムでいう輪廻ではない、というご意見もあろうかと思いますが、その場合は正しい言葉を教えていただければ有り難いです) 気付いてもなかなかやめられない、そして心に余裕がなくなったら外的要因のせいにしている自分の心がいます。 ダンマパダや七仏通誡偈の中に、 諸悪莫作(サッバパーパッサアカラナン) 衆善奉行(クサラッサウパサンパダー) 自浄其意(サチッタパリヨーダパナン) 是諸仏教(エータンブッダーナサーサナン) がありますが、白楽天に言った道林禅師の『3歳の子供でも分かるが80歳の老人にもできない』という偈に自分の経験を当てはめて痛感しております。 僧侶の皆様は忘れてしまったらしょうがないのですが、忘れてしまいそうなときはどのようにして忘れないようにしていますか。 (忘れてしまいそうなときは忘れていないから、忘れることはない、という答えもあるでしょうが) 苦の輪廻を寿司で例えると味にアクセントを与えるワサビ(たまに多くつけすぎたり少なくつけたりして苦しむがちょうどよい辛さを探している)だと、勘違いしている自分がいるのかな? と迷ってしまっています。 いや、違う。ただ何も考えてないだけですね。

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輪廻転生が怖い嫌

こんにちわ、またまたご相談です。 現在、私は引きこもりのような生活をしています。理由としては人間関係で色々とあって、精神的にも疲れきってしまい人と関わるのが怖くなったからです。 親に「外に出ろ」と言われますが、私は何かを強制されるのが嫌いな部分があるので反発してよく喧嘩を起こしてしまいます。 今は落ち着いてきており、私もいけなかった部分があるんだろうなと思うようになってきました。だけど、そのせいなのか、前にご相談した通り自分の嫌な所ばかり思うかんで自己嫌悪に落ち込んだり、マイナス思考に落ち込んだりしています。 今度は地獄の次には輪廻転生について恐ろしく感じる様になりました。 もし来世があるとしたら正直に言ってもうこの世には生まれたくないという気分になっております。 昔にもそんな事を考えた事があって、死を怖がったり生まれ変わりがあるのなら動物になるのも虫になるのも嫌だなと思った事があり、人の事は言えませんが人間に酷い目にあわされている動物を見て気分が悪くなって、こんな目に合うのは嫌!怖い!と思ったりしました。 生まれ変わるのなら人間が一番いいと言われてますが、人間だって必ずしも平穏な環境で生まれるとは限らないし、人間同士だって諍いがあるし、人を人だと思わないような人間だっていますし。 転生してしまえば記憶がなくなって別人になると言われてますが、それも正直に言って怖い。今いる自分自身が消えてしまうと考えるととても怖くて仕方ない。 地獄も怖いけれど、転生も怖い。 今まで他人事のように感じていた物が急に恐ろしくなり、だからもし、死後の世界があるとしたら、転生などせずただ穏やかでありつづけたいと思い、本当に自分勝手だと思いますが、もし本当にお釈迦様がいるのなら、もう、この世に輪廻させないでください。苦しいのも怖いのも痛いの嫌です。自分が消えてしまうのが怖いですと言いたい気分になりました。 自分の人生の中には楽しい事もありましたし、生きていれば考え方など変わると思いますが、今はこういう考えをしてしまい気力が削れ恐怖心でいっぱいになったりします。 前に進まないといけないのに、前に進むのが怖くて仕方のない状態で自分の身勝手さになんだかなと思い、こう考えるのに何の意味があるのでしょうか。 私はなんで生まれて来たのかと悩みばっか思い浮かんでしまいます。

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輪廻に怯える必要が亡くなったのです!

何と感謝したらいいか分からないです 言葉になりません。何といえばいいのか! たった今、坐禅会から帰ってきて一分程度です 山は山でなく川は川ではない。山は山であり川は川である 言葉遊びの頭遊びも終わってしまったが、終わらない! 5歳の頃から死が恐ろしくて夜中泣いていました それからスピリチュアルやら他宗教やらあれこれ手を出して クリシュナムルティやらラマナ・マハリシ等の教えを学んで 色々ありました 今と同じように歓喜に包まれて、世界と一体に感じるようなことがあった しかし死んだらどうなるのか?輪廻に対する恐怖は残っていました どんなに感謝したらいいのだろう?どうしよう?涙が止まらない 何と素晴らしいだろう!すごい! それから仏教を学び、原始だの上座部やら大乗などのあれこれの知識を蓄えたり、そんなことやそんなことしてました 僕はこれから怯えて怯えなくてもいいんですね 22歳これから、笑って泣いてでも憂いがなく生きていける 仏教に出会って本当に良かった 何と感謝したらよいのか 輪廻があるのかないのかに怯えなくてよくなった! 歓喜の中を生きている どこに終わりだと線を引けるでしょうか?死であって死でなく、 死ぬでしょう!何のことない! 何と感謝したらいいのか?感謝を書き込まずにはいられなかったのです 悩み只々あり! 悩みは悩みでしょう!ありがたいこともありがたいんでしょう! 聖と凡を超えてただあったのだ。頭遊びは終わったが続くでしょう! 大乗万歳!ひゃっほーう! あらゆる規定から外れて規定を生きていくのだろう 秋の虫が鳴いている。秋の虫が鳴いている! 私は私に非ず。私は私。悟っただの境涯がどうだのもういわないでしょう! どのような教えや大魔神が来ても驚いて怖がって秋の虫が鳴くでしょう! 何の問題もただ在るだけ この社会にあって社会から外れ、社会にあって社会に生きていく! なんと感謝したらいいのか もうあらゆるモノを問題にせず問題の中、生きていくでしょう! 音声が響いております。ただ音声なんの不随も出来ないし作為無し! こういった歓喜を取り上げて特別な体験である!と祭り上げることもない 自惚れる私は私でなくて私です。こんばんわ! こうやって歓喜がさもありがたいように、素晴らしいように書いてすいません。特別なことないですがどうしてもお坊さん方に伝えたかった 推敲無し!

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輪廻転生について

 こんにちは。昨日は私の質問にご回答頂きまして、誠にありがとうございました。非常に勉強になり、今後の参考にしたいと思いました。  立て続けで申し訳ありませんが、輪廻転生について、あと一点だけ質問したいことがございます。この質問で最後にしますので、ご回答頂ければ幸いです。  日本の仏教関係者の中には、和辻哲郎博士など輪廻転生を否定する説を述べられる方もおられます。その一方で、魚川裕司氏は著書「仏教思想のゼロポイント」で和辻哲郎博士の説を批判し「無我輪廻説」こそがお釈迦様の説かれた教えだ、と主張しております。先の質問で、お坊さまがおっしゃっておられた輪廻の本意はこのことなのかな、と思っております。  そこで、さらに疑問が湧いてしまったのですが、チベットやブータンでは、「輪廻転生による生まれ変わり制度」が存続しています。上記の解釈ですと、生まれ変わりを認めることは難しいように感じるのですが、この制度は民衆を導くための方便ということになるのでしょうか。  このような知識欲自体が煩悩なのかもしれませんが、どうしても知りたいと思ったので質問させていただきました。お暇なときで結構ですので、ご回答頂けるお坊さまがいらっしゃれば幸いです。よろしくお願いします。

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