悲しみは成仏の妨げ?
死者のことをずっと考えていたり、
悲しんでいたりすると、死者が成仏できない。
前向きな姿を。
と、よく聞きますが、自殺者の場合もそうなのでしょうか。
自分のいない世界で、家族が、平気な顔をしていたら、
「やっぱり自分なんかいなくても良かったんだ」
と余計悲しくならないのかしら。
悲しんでもらえないことが、故人には余計に寂しく感じられるのではないでしょうか。
たった一年でこんな当たり前に過ごしてしまっていたら、寂しいと思うのです。
当たり前じゃないのに。
お葬式のあと、お茶碗を割った。
その行為が、もう帰ってきても一緒に食事を囲めないから帰ってこないようにね。なんて意味だなんて知らなかった。
そんな意味ならやりたくなかった。
その気持ちが成仏の妨げになっているのでしょうか。
それとも、本人が悲しくても寂しくても、「自分なんかいなくてよかったんだ。」とマイナスな解釈だとしても、現世に未練を残さない方が本人のためになるのでしょうか。
出来ることなら、家族にもみんなにも愛されていた。と納得して成仏してほしいと思うのです。
そんなマイナスの解釈で成仏するのが幸せなのでしょうか。
寂しい気持ちにさせてしまうことにならないのですか。
私は
私だったら、それはとても寂しいです。
生きていてほしかった。と、現世と無理矢理関係をたつなんてしないでほしかったと思ってばかりです。
有り難し 18
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