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亡くなったら今までの記憶は…

回答数回答 5
有り難し有り難し 51

お世話になっております。
夫が亡くなってから、毎日このハスノハを見らずにおれない日々となっています。

亡くなった後全て記憶がなくなり、また生まれ変わったりするのが辛くて淋しくて怖くてなりません。

今の家族のまま、あの世でも一緒にいたいです。離れたくありません。

ほんとに御浄土は存在するのでしょうか。
亡くなった後からは、もう全てが終わりますよね。
なぜか、、、あの世での生活が見えないから。分からないから。。。意識がないから。

阿弥陀さまという方にほんとに会えるものなのでしょうか。

あの世で生活した人から話を聞けないのに、なぜ色々な話があるのでしょう。
不思議でなりません。

常に夫が戻ってこないか、いつも考えてしまいます


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

亡き人と浄土は今あなたを救うためにはたらいている

いいのです。そのままでいい。自分の気持ちを偽らなくていい。hasunohaに何でも正直に書いてくださいね。

仏教は智慧の宗教です。智慧のない信心は仏教の信心ではない。つまり、「ある」か「ない」かもわからないものを無理やり「ある」と信じることが仏教の信心ではないのです。

智慧のある信心とは疑いが晴れるということ、「まさにそうでありました」と今・ここで頷かされることです。

何故わかりもしない死後のことをみんな見てきた様に言うのか、にわかには信じがたいですよね。それでいいのです。私もそうです。

でも、それはそれだけ人々が死後について思いを馳せざるを得ないという歴史でもあるのです。

しかし、どれだけ頑張っても私たちにわかるのは今この私についてでしかない。

亡き人は記憶があるのかないのか、また会えるのか会えないのか、阿弥陀はいるのかいないのか、浄土はあるのかないのか、亡き人はどこかで迷ったり苦しんだりしているのかそうでないのか…死んだら何もないのか

全部生きている人、つまりあなたが考えていることです。亡き人がしていることではない。

亡き人はただその命の終わりの事実を通してあなたに問いかけているだけなのです。

その時に気づくのです。

亡き人がいるとかいないとか、浄土があるとかないとかを超えて、今この私に気づかせてくれる「はたらき」として、私と離れずに亡き人がいる。それを説く教えがある。

死後の話ではないのです。死後は「わからない」。わからないはずのものを色々と思い計らうのは「私」。私にそうさせるのは「亡き人」。ならば「亡き人は」死後でなく、今ここに「いる」…。どう「いる」のか?

「私にとって」の亡き人しか私には確かめられない。

私にとっては亡き人は私を私自身の姿に目覚めさせてくれる存在です。そしてその存在が浄土の教えを私に伝えてくれます。死後(のようにみえる)の浄土の教えが今私を救うのです。

あるとかないとか、死と生とか、分断するのは全部私の思い計らいです。私の思い計らいに私が迷っていた。

有無を超えてはたらく亡き人と教えが声なき声として私にそのように響いてくるのです。

あなたにとっての亡き人はどんな存在か。ゆっくり確かめていきましょう。

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個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

いまでも一緒

人間死んでも、終わりません。
魂、意識は続きます。肉体の変化を死というのでしょう。
あの世と言われているのは次元が違うから見当もつきません。でも、あなたもその次元から来て、そこへ戻るだけ。
だから、みんな同じです。いまでも一緒にいますよ。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにもにある”と発願し、法筵寺を新寺建立。住職として41年になります。どこまで、その思いを達成しているか分かりませんが、少しでもお釈迦様、日蓮聖人の教えに触れて頂けたら思います。 FB https://www.facebook.com/kaisho.suzuki 法筵寺FB https://www.facebook.com/houenji/ 日蓮宗ポータブルサイト内 https://temple.nichiren.or.jp/3031069-houenji/

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

御質問拝読いたしました。

文面からだいぶ、
ご自身のお気持ちに、
だいぶ整理がついて
こられたのかな
と思いました。

愚僧は信じています。

実際に極楽浄土が
あるのかないのか、
そんなことはどうでも
いいんです。
信じることが大事だからです。

明日をも知れぬ我が命、
明日には白骨になる身の上です。

そんなことをいちいち心配して
いたら疲れてしまいます。
いま一瞬を楽しく過ごせたら、
いいのではないでしょうか。
万が一、死を迎えても、
阿弥陀さまがお迎えに、
いらっしゃった!
と笑顔で往生するのか、
死んだら全てお終いと、
暗く悲嘆に暮れながら、
苦渋の顔で往生するのか、
愚僧は前者を選びます。

愚僧は信じきっていますから。

親鸞聖人さまは、
師僧であらせられる
法然聖人さまから、

往生三度になりぬるに、
この度ことに遂げやすし

輪廻転生を繰り返して、
記憶のある限りは、
三度目の往生ですが、
今回は特に遂げやすそうだ。

とおっしゃったそうです。

ということは、
人は生まれ変わり、
死に変わりする、
信じるものは、
極楽浄土に行く。

ということになる訳です。

信じようと信じまいが、
自力で悟りを拓けそうも
ありません。

ですから、こんな愚僧には、
これしかないのです。

信じるものは幸せですよ。
だから信じる。
他にはありません。

先にご往生されたご主人さまに、
仏壇かお写真の前で、
阿弥陀さまの露払いをして、
私が往生する時は、
お迎えに来なさい!
とお願いしましょう。

優しいご主人さまのこと、
必ず迎えに来られますよ。

信じましょう!
再会と新生活を。

ご健康と長寿を祈ってますよ。
長生きしてご主人さまを
たっぷり待たせましょう。

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おきもち

個別相談可能
浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向きに楽しく愉快に生きていくためのヒントを自分自身も考え続けながら、また少しでも皆さんのお役に立てればと考えています。できるだけ、わかりやすく簡単にお答えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。現在も整骨院をやっていますが、医療福祉関係の仕事に長年従事してきました。他に、知的障がい者施設の仕事に関わらせていただいています。また、イジメや引きこもりなど子どもたちのために何かできることがないか、現在模索中です。フリースクールをお寺で開講予定しています。仏教特に浄土学は死ぬまで研鑽だと思っていますが、居眠り専門なのが、課題です。

人は死なないよ

 大切な方と、会えない、本当に辛いです。

いつかわからないですが、この身体が終わった時み必ず再会出来ます。

身体は無くなっても、命はなくなりません。

ご主人は、いつもあなたの近くに来てくださいます。

何も考えなくて良いですよ。

ただ、阿弥陀さまに、すがれば良いだけ。

考えずに、阿弥陀さまのお名前を称えて、おまかせしてください。

ご主人を感じられるはづです。

南無阿弥陀佛

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ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

浄土は‟いま、ここに”

こんにちは。亀山純史と申します。

「本当に浄土は存在するのか、しないのか。」「阿弥陀様は本当にいるのか、いないのか。」あの世で生活した人から話を聞くことが出来ないのに、なぜ、こうも死後の世界とかかわる話を説くことが出来るのでしょうか。その答えは、仏教における死後の世界は「説かれる」ものであり、「実証される」ものではないからです。「説かれる」とは、そこに価値観が含まれます。この世で私たちがどのように生きていけばよいのか、つまり、人生における価値観は、「説かれる」ものであり、科学によって「実証される」ものではありません。同じ環境で生きていても、どのような価値観を持って生きるかによって、自分の人生に満足する人もいれば、不満のほうが多い人もいます。それと同じように、死後の世界は科学的にどのようになっているかはわかりませんが、死後の世界にどのような価値を見いだすかによって、どう亡き人を偲び、そしてこの私が今、どう生きていくべきかが、仏教においては説かれているのです。

「浄土」も「阿弥陀様」も、仏教における「悟りの世界からのはたらき」です。悟りの世界は、この世だけに関わり合いを持った世界ではありません。それは死後の世界とも関わり合いを持っている世界なのです。ですから、浄土とはあの世の世界と思われがちですが、浄土とはあの世の世界だけではなく、この世にも関わる世界なのです。そうすれば、亡き人は、私たちからずっと離れた世界に行ったのではなく、“いま、ここに、居てくださる”のです。

私からの回答の終わりに、中西智海和上様が詠まれた詩を紹介しましょう。

『人は去っても その人のほほえみは 去らない
 人は去っても その人のことばは 去らない
 人は去っても その人のぬくもりは 去らない
 人は去っても 拝む掌(て)の中に 帰ってくる』

亡き人が、拝む掌(て)の中に帰ってくるのは、まさに、浄土が“いま、ここに、も関わっている世界”だからなのです。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

質問者からのお礼

大変遅くなり、失礼致しました。
多数の回答、ありがたく、何度も何度も読ませていただいております。
また今後もお世話になります。
本当にありがとうございました
まだまだ不安は消えず、亡くなったら夫にちゃんとあえるのだろうか…
亡くなったら、今の子供達とも、夫とも、また家族になれるわけではない、全て記憶がなくなり、一からの人生…と思うと怖くて淋しくて。。
その不安がくるたびに、読ませていただいてます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ