こんにちは。 インターネット上でとても仲良くしていた友人が自殺を仄めかすメッセージを残して姿を消してしまいました。「所詮ネット上でのメッセージ」と思われるかもしれませんが、普段明るく、とても強い人だったので冗談とは思えず、認めたくないものの旅立ってしまったのかもしれないという形で受け入れようという思いが日に日に増していきます。 私の想像も付かないような苦しみを抱えて、誰にも気付かれない場所で悲しみと苦しみの中孤独に旅立ってしまったかもしれない彼が仏様によって救われる日は来るのでしょうか。 そして、私がいつの日か旅立った時には、顔も名前も知らないという余りにも希薄な繋がりしか無い彼と再び会う事は出来るのでしょうか。 会えるのなら後を追うという訳ではありません。 私はこの世に受けた生を全うし、彼と再び会った時に彼の抱えていた悩み、悲しみ、苦しみを受け止めて、再び、そして永遠に友達となれるような人間になれたらいいなと思います。
こんばんは。いつもありがとうございます。 先日、うれしい出来事がありました。 早速仏壇に手を合わせ「お母さん、聞いて。良いニュースがあるよ」と言ったのですが、私の声は母に届いているのでしょうか? 母は、私の目を見ながら話を聞いてくれる人でした。「もう一回聞かせてくれる?」と耳をこちらに傾けてくれたりもしました。 でも、話を聞いてくれた目も耳も、今はありません。相づちを打ってくれる母もいません。母の肉体はもう、この世に存在しないからです。 亡き母に語りかける行為は独り言にすぎず、ただの自己満足なのでしょうか。 いくら語りかけても、母から返事はありません。「見えないだけで母はどこかにいる。話も聞いてくれている」と思ってはいても、ときどき虚しく、そして寂しくなります。 *** 追伸 hasunohaと出会い、日々救われています。 私の悩みを聞いて答えてくれる人がいる、と思うだけで安心します。本当にありがとうございます。 また、たびたび質問してしまいごめんなさい。「何度も投稿してご迷惑かな」と自覚しながらも、つい、甘えてしまいます。 今回も申し訳ないなと思いつつ、不安や寂しさがそれにまさり、投稿してしまいました。 それではお坊さんのみなさま、hasunohaを運営されているみなさま。季節の変わり目ですので、風邪を召しませんように。ご自愛ください。
人は死んだら無になるのでしょうか。仏様になって私たちを見てくれてはいないのでしょうか。 幼い頃から大好きで大切だった祖母が最近、亡くなりました。私の家には仏壇が無いため(親戚の家にあります)、祖母の写真を置き、その前にお供え物をしています。祖母は亡くなるまでの半年間は食べ物や水を一切口にすることができませんでした(病院から飲食を禁じられており、栄養はカテーテルで摂っていました)。しかし本人はずっと「食べたい」「水が飲みたい」と言っていたのにそれが叶うことなく亡くなってしまったため、あまりにも哀れで、せめて天国ではたくさん食べてほしいと思い、お供え物をたくさんしています。けれど、ふと思うんです。こんなことをして、祖母は食べてくれているのだろうかと。人は死んだら仏だのあの世だの霊だのそんなものはなく、完全に無になるだけなのではないかと。だとすれば、毎日あれこれと飲み物や食べ物をお供えしているのは、単なる私の自己満足に過ぎません。それを考えると、虚しくなります。仏もあの世もなく無になっているのなら、お供え物もお墓参りも完全に意味の無い行為と言えます。ネットで色々と検索してみたら、霊感のある人は「ちゃんと食べてくれている」という意見を述べていたのですが、私には霊感がないので何も感じ取ることができません。 それに、祖母は20年以上前に亡くなった祖父のお墓参りをずっとほぼ毎日やってきましたが、祖父が見てくれていたようにも思えないのです。なぜなら、祖母は長年、体の不調に苦しみ続けていましたし、長文になるので割愛しますが最期の時もあまりにも惨めなものでした。よく「故人を思ってお墓などを大切にすると幸せになれる」ということを聞きますが、祖母は最後まで哀れでした。このことを考えると、やっぱり人は死んだら無になるだけで、それ以上は存在しない、つまり私たちを見てくれてはいないのかなと思えてしまいます。 難しい質問かとは思いますが、回答、宜しくお願い致します。
最近死ぬことがとても怖いです。今私は20代でまだまだ先の人生があると周りに言われます。死ぬ時よりも死んだ後無になるのだと思うと怖くてたまらなくなり涙が出てきます。今は祖父母も両親も夫も健在で幸せな生活を送ることができています。だからこそこの幸せがいつか無になることが怖いです。また、時間には逆らえないので祖父母、両親が先に亡くなるのだと思いますが、自分が死んでから会えますか?お母さんは必ず迎えにくると約束してくれました。夫も死ぬからといって離れ離れにはならないし、ずっと一緒だと言ってくれています。ただ、死んだら怖いとか迎えにきてくれるとか、そのようなことも思うことすらできなくなくなるのでしょうか。意識が無くなり、思いや感情や記憶も全て無くなってしまうのでしょうか。怖くて仕方ありません。自分が数十年前はこの世に存在しなかったというのも不思議でなりません。死んでも幸せな時間が続くという保証があればきっと怖くなくなるのだと思いますが、そんなことは誰にも分からないし、だからこそ怖いという思いが無くなりません。これまで亡くなってこられた方々も生前にこのような気持ちを持ちながら生活し、気づかないうちに亡くなっていたのでしょうか。文章がまとまらずすみません。辛く、怖いです。
最近、亡くなった人とお話してみませんか?、、、や、命日占いなど、、 そういう本に目がいくようになりました。実際買いました。 主人が亡くなり、やはり毎日考える事はあの世の世界の事。 亡くなったら、まず人はどうなるのか、どなたが導いてくださるのか、亡くなった人に会えるのか、などなど、さまざまな疑問が頭によぎるんです、 主人も阿弥陀様に会えたりしてるのか…とか、きれいな川見れたかなとか… 話ができない分、月日が経つにつれ、たまらなく主人と話したい、主人に聞きたいことがありすぎて心配になる事があります。 死を受け入れていかなければならないですが、何かしらの気を落ち着かせれる事があれば、、と、何か本を買っていきたいと思っています。 オススメの本を教えて下さい
私はこれまで生きてきて幼少期から学生時代まで常にいじめられて社会に出るとそれが影響して人間関係がうまくいかず友達も恋人もできなくて鬱病を患い40歳過ぎても未婚です。いつからかふと考えたことがありまして人は誰しも死んであの世へ行き地獄で死後の罪業を償う。刑期を終えたらまた新たな場所へ行くとありますが、私はもしかしたら前世での悪行のために地獄へ落ちたものの、罪を償わないまま逃げ出して無理やり人間に転生したのではないかとふと思いました。自分のこれまでの人生を振り返ると常に誰かに見張られているような気がします。地獄から逃げ出して無理やり転生することってあるのでしょうか?またはそういう人はいますか?はたまた地獄から逃げ出して転生してしまったために天から私にわざと悪い待遇を与えられ嫌な思いをさせて自殺してあの世に呼び戻されるのでしょうか?
以前と似たような内容ですみません。 死後の世界が気になって落ち着きません。 いろいろ質問があります。 ・諸行無常の言葉のとおり、この世もあの世もいつかは終わるのか? ・輪廻転生卒業後、自分の生まれの星に帰ると聞いたことがあるのですがそんなことあるんですか? ・神様は小学5年生という本に天国は地球と宇宙の間にあると書いてあったのですが宇宙が滅亡したら天国もなくなるのでしょうか?だとしたら魂は永遠の生命ではないですよね?
家族のために「●●さんが免疫力を高めるために身体を動かした方がいいって言ってたよ!」とか「●●さんが寝ながら食べない方がいいよって言ってたよ!」などの家族に必要な嘘をつくことが多いです。 私自身、生きるのに困った時、本当に複数の障害を持っているので「●●さんが障害者手帳を取得した方がいいって言ってたよ!」どこかに通った方がいいと思った時「●●さんが作業所に通所した方がいいって言ってたよ!」と、自分に必要な嘘をつくこともありますが、本当のことが言いづらいからつく嘘なので騙すつもりではありません。実際、これらの嘘は役にも立っています。 死後、家族が亡くなった後、私の嘘は家族にばれるのでしょうか? もしも嘘がばれたら家族は怒ったり悲しんだりすると思いますか? また未成年の頃、不良に憧れ、犯罪も家族に内緒で起こしました。悪気はありませんでした。もちろん今は懺悔して犯罪などの行為はしていません。 これら全て家族にばれ、家族が怒ったり悲しんだりしたらと思うと不安です。 自分勝手な悪事に関しての質問なので申し訳ないのですが、教えて下さい。お願いします。
祖母が最近亡くなりました。小さな頃から母の代わりに大切にしてもらっておりました。私も祖母が大好きでした。 祖母は浄土真宗なのですが、しきりに大日如来様が死んだら来てくれると言っていました。しかし、世間では裁判がある、地獄と極楽があるなど、色々聞きます。祖母の死後が報われる事を祈っておりますが、死後はどうなるのでしょうか?また残されたものにできることはありますか?
私は身寄りがいません。天涯孤独です。以前地獄に行きたくないという相談をさせてもらいました。身寄りがいなく誰からにも供養してくれなかったら地獄に行く可能性があるのでしょうか?ネットでたまたま読んでしまったので。供養してくれる人がいれば地獄行きは免れるみたいな事も目にしました。それも心配なのですが私が死んだら供養してくれる人がいないので身寄りがいなくても供養してくれる所はありますか?私は30代なのですが死んだ後の事も心配になり相談させていただきました。
最愛の父が他界してから、死後の世界について考えています。 父は愛妻家かつ子煩悩で、死の3日前まで母と私に「大好きだよ」と言っていました。 大食漢で行動的な人でしたが、病のせいで食事も運動もままならない中、愚痴ひとつ言わずいつも笑っているような人でした。 死後の世界があるのなら、痛みからも苦しみからも解放されて、好きなものをたくさん食べて、好きなことをたくさんしているのだと思えます。 死後の世界がないのなら、大好きだった父は何処にもいないのなら、二度と会えないのなら、私も死にたいと考えています。 大学一年生の頃、仏教の講義が必修科目でした。 18歳だった私は宗教や死後の世界は生きてる人間のためにあるもので、死んだら無になると考えていました。 今になって死後の世界があって欲しいと強く思うのですが、長年否定していたものを肯定するのは都合の良い話に思え、抵抗があります。 祖父が亡くなった時は季節外れの蝶が部屋に舞い込んできたり、替えたばかりの蛍光灯が明滅したりと不思議な出来事があり、もしかしたら…と思える時もありました。 ですが「ずっと側にいるよ」と言った父の存在を感じることはなく、消えて何も無くなったように思えてしまい、胸が苦しくなります。 長文かつ乱文で申し訳ありません。 どのような心持ちで過ごせばいいのか、ご教示願います。
去年の5月に大好きな祖父が病気で亡くなってしまいました。 その時ふと思ったのですが仏教では私が将来死んだらあの世で祖父に会えますか?
私はポジティブな性格でいつ死んでも悔いのない生き方をしてきたつもりでした。母が亡くなった後も、とてつもない大きな悲しみを感じながらも、母はきっと今頃は亡くなった祖父母たちと天国で幸せに暮らしているに違いない、私も死んだらそこに行くわけだから、これからは死ぬ事も怖くないと思っていました。 しかし、最近、仏教に興味を持ったので、少し勉強してみると、死んだ後にみんなが極楽浄土に行けるわけではなく、ほとんどの人はまた生まれ変わってしまうこと。それも、人間に生まれることは滅多にないということではないですか。そう考えると、もう母に会えないのかもと、また落ち込んでしまいました。 悩み相談の答えを読むと、亡くなった方たちは、他の亡くなった家族と幸せに暮らしているから心配ないなどと書かれていますが、それらは単なる気休めなのでしょうか?
以前旦那さんが亡くなってすぐに質問させていただきました。 あれから3ヵ月半経ちました。 たった3ヵ月半ですが、私はもう何十年生きたくらい、生きるのに疲れました。 旦那さんとお別れした当初は、これからは色んな人に助けてもらえると思っていました。 けれども今、誰にも自分の気持ちを話さず、1分1秒ごとにくる苦しみを1人で耐えている地獄のような毎日です。 歯を食いしばりすぎて、そろそろ顎が割れそうです。 両親には毎日夫婦のやり取りを見せられています。 ご飯の味が濃いか薄いか、私の息子が今日こんなことをした等、毎日小さなことをなんでもお互いに報告する姿を見せられています。 もう彼らにとっては日常で、芸能人の訃報がテレビで出れば、へー!死んじゃったんだ!と言われます。 お父さんとお母さんでベビーカー押してる人がいたよ!と言われます。 義理の家族には、百箇日の法要を勝手に私の誕生日に開催されました。 その時に、あなたの誕生日だから、よかったら来ない?家族のみでやろうと思ってるの!と言われました。 彼の家族は私と息子なはずなのにおまけです。 私の誕生日に彼は喪服を着て祈ってほしいと思っているようです。 また納得できないから、彼の健康診断の結果を見せてほしいと言われました。 妻の私の至らなさをあーだこーだ言われそうです。 それらを聞いても、私の両親は義理の家族に何も言いません。 むしろ返事をしない私が失礼をしたと、謝っています。 友達も最初は連絡してくるくせに、今はほとんど連絡してきません。 私に死なないでほしいと言います。 でも何も助けられなくてごめんと言われます。 彼を失っただけでも辛く悲しいのに、世界はさらに私を傷つけてきます。 味方は旦那さんだけだったと、つくづく思い知らされます。 もう生きるのが辛い。 息子を養護施設に置いてくる勇気さえあれば、すぐに死ねます。 息子の前では必死に笑っていますが、毎日何度も何度も死にたいと口にしてしまいそうです。 自殺する方の気持ちがよくわかります。 生きるのが辛いんです。 死んで、周りの人たちにどれだけ苦しいか思い知らせてやりたいんです。 この世界に味方はいない、誰も助けてくれない。 なぜ、私は生きなければならないのでしょうか。 彼を救えなかったのは私です。 謝っても許されない、その罰を受けるので、誰か私を殺してください。
是非、お坊さんにこの疑問を解決してもらいたくて書きます。 ズバリ、「あの世にも人間関係は有るのか?」です。 先日、渡哲也さんがこの世を去り、石原裕次郎さんとあの世で酒を酌み交わしてるなんていってましたが、あの世って沢山の人が行く訳だから、そこにも人間関係は存在するのではと思いました。 酒を酌み交わしてる時に邪魔者でも入らないかどうか…。 そもそもあの世の概念も分かってないので、その辺も解説して頂ければ幸いです。
最近、死後の世界について考えるようになりました。 小学生の頃、戦争に興味があり(※好きなわけではない)色々と調べていました。 そして、死について知りたくなりました。 相談その1自分は死後の世界があって欲しいです。でも、確かかどうかは誰にもわからないので怖いです。気持ちを和らげる一言をください。 相談その2自分は死について深く考えていますが、他の周りの人はあまり考えないのですか?また、お坊さんでも死は怖いですか?
お坊さんや、宗派によって答えが分かれると思うので、複数の回答をお願いします。 ①人間の死んだ後の魂の居場所はどこですか? まず、人は死後の魂は入魂儀式で位牌のに入るのでしょうか? 例えば49日に白木位牌から本位牌に「入魂」します。だとすると「遺骨」には魂は宿ってないんでしょうか?遺骨に魂が宿ってないのなら、お墓は単なる納骨施設で、お墓参りする意味も薄れてしまいます。仏壇の位牌に毎日手を合わせる方が遺族にとっても、亡き人にとってもいいと思います… 遺骨に魂が宿っているから、お墓の下で眠っていると信じてお墓参りにも行くし、また自分が死んだ時に一緒にいたいと思うからこそ家族は同じお墓に納骨するのだと僕は思いたいです。もし「位牌」に魂が宿っているなら、位牌もお墓に入れるべきですが、お墓→遺骨 仏壇→位牌というしきたりになってますよね… 死者の魂の本当の居場所はいったいどこなんでしょうか? ②極楽往生と輪廻転生 輪廻転生説:人間は死んだら、その人生の記憶は全部消されて白紙の状態に戻されて生まれ変わるんでしょうか?プラスチックやペットボトルのように、何度も0に戻ってリサイクルされるように、人間も全く別物に生まれ変わるのでしょうか? 極楽往生説:それとも浄土宗の教えのように、極楽浄土で過去の人生の記憶を持ったまま、自分の家族や大切な人と永遠に過ごせるのでしょうか? 僕は生まれ変わらなくていいから、極楽往生説を信じたいです。 大切な家族との思い出も、大切な人さへも、自分が誰だったのかさへも忘れてしまうなんて、余りにも虚し過ぎます(涙) 質問は人間の死後の「魂」についての上記2つです。 宗派や考え方でお坊さんによって違うでしょうが、複数のお知恵を拝借願います。
先日の俳優さんの死で、どちらかと言うと好きな芸能人の1人というだけだったはずなのに何故かすごく悲しくて、毎日何もやる気になれません。 お会いしてみたかったという気持ちがなぜかすごく湧いてきて、他の好きな芸能人が亡くなった時とは比べ物にならないくらい悲しくて、身内が亡くなった体験の次に辛いです。 身内にはいつか自分が死んだら会える、それまでは時々見守ってもらえていると思って頑張れるのですが、会ったこともない方には自分が死んだ後に会いに行くことは出来ないのですか? なぜ関わりのないそこまで大好きだったというわけでもない方なのにこんなに辛くて頭から離れないのでしょうか? また、その方は私が目指している世界で成功していた憧れの人(たくさんいます)の1人でした。そんな方がこんなに苦しんで自ら死を選んだということが衝撃的で、ただでさえ険しい道なのにそこを突破しても苦しむことになるのかと思うと怖くなります。そこまで行けなくても苦しいし、でも諦めて安定の道を選んでも後悔しそうで、生きることが億劫になってきました。アドバイスよろしくお願いいたします。
今日自殺しようと思います。 自殺者は成仏出来ずずっと苦しむと 聞いたことがあり、怖いです。 成仏出来ないんでしょうか? よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 母は生前いろいろな苦労をして、私も母に楽な暮らしをさせてあげられず、せめて来世は幸せになってほしいとの願いで日々仏壇に手を合わせています。 ただ、一方で疑問を抱いています。 四十九日で亡くなった方の魂の行先が決まると解釈しています。となると、既に母が誰かに生まれ変わっているのであればもう私の母としての魂はいないのでは? だとすると、拝んだり母に話し掛けても受取る人はおらず、初盆だとかお盆にご先祖が帰ってくるとかいっても(もうみんな生まれ変わっているなら)帰ってくる人などいないのでは?と思うのです。 そう思うと母が亡くなった時に親戚や知人が私に掛けてくれた、先立った母の兄弟や両親が母を迎えに来てくれてるから大丈夫だよとか、姿は見えなくてもいつでもあなたのそばで守ってくれているよとか、また会えるよとかいう言葉が虚しくなりました。 母が別の誰かとして幸せな新たな人生を踏み出しているなら勿論嬉しいです。ただ、私は誰に、何に、祈ったり笑い掛けたりしているのかと寂しくなる時があります。 勝手な想像で、母の両親兄弟、夫(私の父)らと所謂「あの世」で穏やかに暮らしているイメージを抱いたりしますが、それは四十九日の意味合いと矛盾します。 仏教では、現在母はどのような状態にあるのでしょうか。私の気持ちはもう母には届いていないのでしょうか。 或いは、私が心配を掛けてしまって母が気にして幸せに生まれ変われないなどということはないでしょうか(だとしたら話し掛けたりしない方がいいでしょうか)。 浄土真宗の住職をしている友人がいるので、できれば浄土真宗以外のお教えをお聞きしたいです。 取り留めのない長文で申し訳ありません。