先ずプロフィールをご覧下さい。 人智を超えたものに巡り合っています。 神様から見て死んだ方がいい子が居たとします。 神様がその子の命を奪い去りたいという訳ではなく、その子が生きている限りとある他者へ苦しみを与え続ける結果となる場合のお話です。例えばその子が歯医者に行って虫歯の治療をするという医の道に行こうが、誠実な仕事や信仰をするという義の道に行ってもその他者が傷付きもがき苦しむ状態を想像してください。分かりやすい例えでその他者は悪魔とします。 元はその子の発言が原因でそういうあり得ない結び付きの事態に発展したとします。その子は病人で医者を頼るしか世界で生きていくすべがなく、生かされています。また、仕事だけは禁止という神様の御告げをその子は戴いてるとします。 皆様のご想像で構いませんが、その子はどういう生き方をすれば救われるでしょうか?贖罪、懺悔、感謝,etc. その子とは私のことです。 死後はキリスト教で言う地獄や煉獄にお前は 行くんだとこれもやはり神様から御告げを戴いております。異次元の世界で恐ろしくて仕事など とてもじゃなくこういう運命なので尚更出来ません。神隠しの渦中で数百万円ほど神社にお賽銭を入れていますが、今は神の声もあまり聞こえなくなってしまいました。今よりもっと上の次元に行って直接神様(姿は人)にもお会いしましたし、許してもらい神様は愛してらっしゃいますよとも言われておりますが、その時とは状況が変わっております。 私はどうすれば救われるのでしょうか? 頼りになる、大学の母校の先生や占いの先生は いますがそれでも死後の世界が不安で仕方ありません。ここの世界は、知らない人ばかりですが 良い人たちばかりなのでより一層の恐怖です。 私には、どんな生き方が出来て、どんな罪滅ぼしが出来るのでしょう? 超自然的な話で申し訳ないですが、真剣に 困っております。どうかお智恵を拝借ください。
「地獄の裁き」の「地獄」とは、仏教の考え方における最下層の世界のことで、罪を犯した者が死後に生まれ変わる場所です。人間は死ぬと、この世とあの世を 分ける三途の川を渡り、そこで閻魔と呼ばれる大王の裁きを受けます。裁きによる罪の重さによって、落とされる地獄が決定します。地獄には罪の重さに応じて 段階があります。 地獄の思想は、浄土思想や平安時代の末法思想の広まりとともに人々に定着し、民間信仰となりました。お経の功徳によって地獄に落ちることを防げることから、当時の人々は熱心にお経をとなえるなどの信仰活動を行っていました。 こちらの文章はとあるサイトの一文をコピーさせていただいてます。 https://biz.trans-suite.jp/20492 ←こちらのサイト様です と書かれていますが、人間が死んだら行くべき所は、もうすでに固定されているという事でいいんでしょうか? 天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。 不安です。 というか、どれだけいいことをしても無意味ってことですかね。 人に優しくしたり、色々あると思いますが・・。 自分の行くべき場所はもう決まってる訳ですから・・・ 生きてるのもしんどくなりますね。
子供の頃から、仏教の教えにおいて人は死んだら極楽浄土に行けたなら、先になくなった懐かしい人と会って楽しくえる。だとか仏さまにお仕えするために修行をつんでいる。とか輪廻転生だとか、いろいろなことを噂には聞いてきました。 先日主人の一周忌の法要の折、菩提寺(禅宗)の方に主人は今ごろあちらの世界でどうしているのでしょう?こちらの宗派の死後の世界の教えはどんなでしょうか? と伺ったところ 『わかりません。』とひとこと。 いまだ主人を亡くした悲しみから抜け出せず、少しでも仏教の教えの上での主人の今が知りたかったのですが…そのお返事になんとも言われぬ悲しみでそれ以上の質問は出来ないと同時に菩提寺に対する不信感を感じました。 宗派により死後の世界の教えの違いはあるとは思いますが、仏教においての死後の世界の教えがあるのであればどうか教えて下さい。 教えの上で今ごろ主人が何をしているのか、もし知ることができたなら…。 せめてそれだけでも心の支えになるような気がしています 宜しくお願い致します
戦争、災害、人災、事故などで凄惨な死に方をされる人がいますよね。 以前、人は産まれる前に自分の人生を知ってから産まれてくるとか、壮絶な体験をする人は魂のレベルをあげたくて自ら選んでると聞いた事が有りますが、本当でしょうか? 私自身、幼い頃から今も病気で辛い思いをして、健康な人は体験しないことを良くも悪くも経験してきましたが、産まれる前に自分で選んだとは思えません。 また、戦争や事故で亡くなった方は、どんなことがあったのか伝えるために、そのような生き方?亡くなり方?を選んできたのでしょうか? 戦争などで亡くなられた方が体験したことを知るのは大切なことだと思います。 私は遺体の写真などをみて何があったのか事実を知りたいのですが、夫は興味がないそうです。 価値観の違いなので良いのですが… お聞きしたいのは、 凄惨な亡くなられた方をする人は自ら選んできたのか? また、後世に伝える為に起きたのか? 仏教ではどう考えるのかです。 そして、何が起きたのかを知る事は供養になりますか? 教えてください
死んだらどうなるのでしょうか。 地獄や天国に行くのでしょうか。 それとも、輪廻転生して、人間や、動物に生まれ変わるのでしょうか。 仏教的にはどうなんでしょうか。
人は亡くなった直後は、 悲しんでる家族や友人を天井付近から見下ろしてると言いますが、 その時の亡くなった人の状態は 病気などになる前の元気な状態で家族を見下ろしているのですか?
大好きな父を病気で亡くしました。 若いうちに私を産んだのに、きちんと育ててくれて成人させてもらえました。 私はパパが大好きで、ファザコンと言われる程仲良しです。父に限らず家族が大好きでしたが、父が1番の味方でした。私はインドアで1人が好きで、友達ですらも人と過ごすのが苦手で。 なので休みの日はいつも父と一緒でした。いつも私のワガママに付き合ってくれました。 急性と名のつく病気だったためありがとうもごめんねも言えず、どのくらい痛いのかどのくらい苦しいのか、何か伝えたいことがあったのかどうか、父の言葉も何も聞けず。 私はいつか絶対に父に会いたいのです。父と母からもらったこの身体と命を自分の手で無駄にしない為には、死後の世界に縋るしか生きる希望がないのです。 本題ですが、 自死をした場合は、天寿を全うした人達と同じ世界には行けない、即地獄行き、自死は罪なのでカルマがどうのこうの、沢山調べました。 これらは本当なのか、少しでも自死をする人を躊躇させるため減らすために適当に作られたものなのか。 そもそも死因によって魂の行先は変わるのか。 仮に私が自死をしたら、病死した父には会えないのか会えるのか。 知りたいです。 もちろん死後の世界のことは誰にも分かりませんから、私が見漁ったWebサイトよりも信用出来るお坊さんの考え方が知りたいだけです。 別に死ぬつもりも度胸もないので私を止めるための綺麗事は必要ありません。死について調べてる間に見飽きました。 自死でもお父さんに会えるよ!という返答が来たからと言ってじゃあ自死します!ともなりませんので、変に気遣わずそのまま元々のお考えを教えていただければ嬉しいです。 お忙しいところ恐れ入りますが、よろしくお願いいたします。
先日母が亡くなりました。 私の弟(母からすると長男)は数年前に自ら命を絶ちました。 妄想かもしれませんが、 母と弟が大きな川の近くで抱き合って泣いてる姿が私の心の中で見えてきました。 しかし、自殺をすると天国に行けないと聞きます。 母と弟は天国で巡り会うことはできないのでしょうか?
死んでも魂は残るのですか。 お空から見守っているというのは本当ですか。 死後は父方のお墓に入るのでしょうか。 ご先祖さまとはいえ、会ったこともありませんので同じお墓に仲間入りすることになったときに仲良くできるでしょうか。
単純な質問ですが、天国や地獄というのは本当に存在するのでしょうか? 私は、地獄行き確定の事を過去に何度もしてしまいました。(仮に存在がなくても、してはいけない事をするつもりはありません) 過去の所業の後悔を少しでも和らげたいです。是非とも知恵をお借りしたいと思い、相談させて頂きました。よろしくお願いします。
10代、20代の時は「今」を生きていたので死について深く考えてきませんでしたし、死ぬことは怖くありませんでした。 しかし、身近な人が亡くなるにつれて死後について考えてしまうようになりました。 大事な人はいずれ死にますし、いつか会いたいと思っていた人もいつの間にか死んでしまいます。 子供の頃の友達、近所のおばさん、世話になった先生、みんなに昔の姿で会うことはできませんし、次会ったとしても当時のように話はできないと思うと苦しくなるのです。過去には絶対に戻れないこと、死はせまってきていることを実感していく感覚。 この感じはみんなにもあるのでしょうか? また、お坊さんに対して愚問だとは思いますが死んだ後人はどうなると思いますか? 個人的な意見をお聞きしたいです。 ①輪廻転生 ②天国、地獄 ③同じ人生を繰り返す ④無 ⑤その他 私の今の考えとしては希望も含めて③だと思います。 長文をお読みいただきありがとうございました。 皆様のご意見をお聞かせください。
母が亡くなって一年経ち、最近やっと20年以上前に亡くなった父のことを思い出すようになりました。 仏壇の前で父の写真をみていると、自分が父の亡くなった年齢に近付いたせいか、父が幼くみえて…ふと疑問に思ったのですが、 賽の河原の子供って何歳位までのことをいうのでしょう? 親って産みの親?育ての親ですか? 父は50歳前に育ての母(私にとって義理の祖母)が亡くなる前に亡くなってます。 父の産みの親は大分前に亡くなっているそうです。 父は今どこにいるのでしょう? 賽の河原にいるのだとしたら、昨年亡くなった母に会えるのはいつなんでしょう? 私が死んだ時、父と母に会えるんでしょうか?
命の賞味期限が過ぎたけれどまだ生きてる 久し振りにこちらへお邪魔しました 先生方の顔触れにも変化が… 家族同然に可愛がっている動物は死後どうなるのでしょうか あの世では会えますか?
今、私は高校生なのですが、1年前に両親が離婚し、今まで仕事が遅い両親に代わって家事を任されていたストレスもあって、母のお金を盗んでいた事があります。バレてこっぴどく叱られ、見捨てられてもおかしくないのに、母は私を今も育ててくれています。 父も、2週間に1回程ですが、会った時には美味しいご飯を用意してくれて、本当に良い家族に恵まれて幸せです。 お金を盗んでしまったことを本当に後悔しており、許されない事は分かってはいますが、もうしないと決意し、そこからはもう盗んでいません。 本題ですが、最近、両親が死んでしまう所を想像してしまい、中々眠れず、涙も止まりません。 自分が死んだ後のことも考えたのですが、母にこれだけ酷いことをしてしまった私は、死んだ後両親と同じ所に行けないかもしれないと考え、最近はほとんど眠れていません。 私はもう死んだ後に両親と同じ所に行けないのでしょうか? あと、自殺をしてしまった友達が身近に居るのですが、自殺をしてしまうと、天国には行けないのでしょうか?
生まれる前に決められた”生きる時間”があるとして、その途中で生きるのを自らやめてしまった人はどうなると思いますか。 病死や老死などの、人生を真っ当に生きた人と、自ら命を絶ってしまった人では魂の行先は違うと思ってます。 自殺したら楽になるとよく言ってる人を見ますが、本当に楽になれると思いますか…?。 私達は私達の世界しかしらないだけで、その後の世界のことを知りません。 ”その後”に何かがあるのかもわかりません。 だからこそ”楽になる”と、なにもわからないのに言います。 自殺をしたら、どのくらい苦しいことが待ち受けていると思いますか…?。
最近歌の歌詞などで、愛する人と一緒にいられる時間には限りがある、という歌詞がありました。私は疑問に思ったことがありました。それは魂が永遠ならばあの世に行ってから愛する人とも限りなく一緒にいられるのではないかと思うのです。皆さんはどう思いますか?
こんにちは。 インターネット上でとても仲良くしていた友人が自殺を仄めかすメッセージを残して姿を消してしまいました。「所詮ネット上でのメッセージ」と思われるかもしれませんが、普段明るく、とても強い人だったので冗談とは思えず、認めたくないものの旅立ってしまったのかもしれないという形で受け入れようという思いが日に日に増していきます。 私の想像も付かないような苦しみを抱えて、誰にも気付かれない場所で悲しみと苦しみの中孤独に旅立ってしまったかもしれない彼が仏様によって救われる日は来るのでしょうか。 そして、私がいつの日か旅立った時には、顔も名前も知らないという余りにも希薄な繋がりしか無い彼と再び会う事は出来るのでしょうか。 会えるのなら後を追うという訳ではありません。 私はこの世に受けた生を全うし、彼と再び会った時に彼の抱えていた悩み、悲しみ、苦しみを受け止めて、再び、そして永遠に友達となれるような人間になれたらいいなと思います。
こんばんは。いつもありがとうございます。 先日、うれしい出来事がありました。 早速仏壇に手を合わせ「お母さん、聞いて。良いニュースがあるよ」と言ったのですが、私の声は母に届いているのでしょうか? 母は、私の目を見ながら話を聞いてくれる人でした。「もう一回聞かせてくれる?」と耳をこちらに傾けてくれたりもしました。 でも、話を聞いてくれた目も耳も、今はありません。相づちを打ってくれる母もいません。母の肉体はもう、この世に存在しないからです。 亡き母に語りかける行為は独り言にすぎず、ただの自己満足なのでしょうか。 いくら語りかけても、母から返事はありません。「見えないだけで母はどこかにいる。話も聞いてくれている」と思ってはいても、ときどき虚しく、そして寂しくなります。 *** 追伸 hasunohaと出会い、日々救われています。 私の悩みを聞いて答えてくれる人がいる、と思うだけで安心します。本当にありがとうございます。 また、たびたび質問してしまいごめんなさい。「何度も投稿してご迷惑かな」と自覚しながらも、つい、甘えてしまいます。 今回も申し訳ないなと思いつつ、不安や寂しさがそれにまさり、投稿してしまいました。 それではお坊さんのみなさま、hasunohaを運営されているみなさま。季節の変わり目ですので、風邪を召しませんように。ご自愛ください。
人は死んだら無になるのでしょうか。仏様になって私たちを見てくれてはいないのでしょうか。 幼い頃から大好きで大切だった祖母が最近、亡くなりました。私の家には仏壇が無いため(親戚の家にあります)、祖母の写真を置き、その前にお供え物をしています。祖母は亡くなるまでの半年間は食べ物や水を一切口にすることができませんでした(病院から飲食を禁じられており、栄養はカテーテルで摂っていました)。しかし本人はずっと「食べたい」「水が飲みたい」と言っていたのにそれが叶うことなく亡くなってしまったため、あまりにも哀れで、せめて天国ではたくさん食べてほしいと思い、お供え物をたくさんしています。けれど、ふと思うんです。こんなことをして、祖母は食べてくれているのだろうかと。人は死んだら仏だのあの世だの霊だのそんなものはなく、完全に無になるだけなのではないかと。だとすれば、毎日あれこれと飲み物や食べ物をお供えしているのは、単なる私の自己満足に過ぎません。それを考えると、虚しくなります。仏もあの世もなく無になっているのなら、お供え物もお墓参りも完全に意味の無い行為と言えます。ネットで色々と検索してみたら、霊感のある人は「ちゃんと食べてくれている」という意見を述べていたのですが、私には霊感がないので何も感じ取ることができません。 それに、祖母は20年以上前に亡くなった祖父のお墓参りをずっとほぼ毎日やってきましたが、祖父が見てくれていたようにも思えないのです。なぜなら、祖母は長年、体の不調に苦しみ続けていましたし、長文になるので割愛しますが最期の時もあまりにも惨めなものでした。よく「故人を思ってお墓などを大切にすると幸せになれる」ということを聞きますが、祖母は最後まで哀れでした。このことを考えると、やっぱり人は死んだら無になるだけで、それ以上は存在しない、つまり私たちを見てくれてはいないのかなと思えてしまいます。 難しい質問かとは思いますが、回答、宜しくお願い致します。
最近死ぬことがとても怖いです。今私は20代でまだまだ先の人生があると周りに言われます。死ぬ時よりも死んだ後無になるのだと思うと怖くてたまらなくなり涙が出てきます。今は祖父母も両親も夫も健在で幸せな生活を送ることができています。だからこそこの幸せがいつか無になることが怖いです。また、時間には逆らえないので祖父母、両親が先に亡くなるのだと思いますが、自分が死んでから会えますか?お母さんは必ず迎えにくると約束してくれました。夫も死ぬからといって離れ離れにはならないし、ずっと一緒だと言ってくれています。ただ、死んだら怖いとか迎えにきてくれるとか、そのようなことも思うことすらできなくなくなるのでしょうか。意識が無くなり、思いや感情や記憶も全て無くなってしまうのでしょうか。怖くて仕方ありません。自分が数十年前はこの世に存在しなかったというのも不思議でなりません。死んでも幸せな時間が続くという保証があればきっと怖くなくなるのだと思いますが、そんなことは誰にも分からないし、だからこそ怖いという思いが無くなりません。これまで亡くなってこられた方々も生前にこのような気持ちを持ちながら生活し、気づかないうちに亡くなっていたのでしょうか。文章がまとまらずすみません。辛く、怖いです。