死後の世界についてお聞きしたいです。私は、障害基礎年金と言う補助金のようなものをもらっています。そこで悩みが、出ました。国から何の見返りも無く国民の血税をふところに入れてそのお金を自分の好きなように使うこんなことをやって入れば今は確かに良くても死んだ後に 閻魔様が登場してお前は血税をむしり取って好き勝手やったから三悪道に落とすって言われたり 来世と言うものがあったら今世のバチが当たって艱難辛苦ばかりの人生になるのかなとか そんなことが、頭をよぎるようになりました。しかし現実問題障害基礎年金がなければ食べていけないのも事実なのです。この悩みを仏教においては、どう考えますか?
御世話になります。私の家は浄土真宗です。教えによると、西方に浄土がありそこに生まれ変わるとのことです。私の祖父母もそこにいるものと信じています。ですが近々、他家に養子に行く可能性が出て参りました。その家の詳細は分かりませんが、どうも禅宗のようです。禅宗の知識が全くありませんが、禅宗の浄土とは真宗と同じ所なのでしょうか?私は、祖父母に再開できますでしょうか?
私は、HSP(高感受性)の者で、霊は、見えないのですが、人の細かい感情や動物の気持ちも感じやすかったり、植物や大気のオーラを感じる事もあります。私は、見えないものに興味があり、死後の世界についてもよく考えるのですが、人生とは、魂を成長させる為の修行なのでしょうか? 死後の世界について、いくつかご質問したいと思います。お願い致します。 ①人は、体が死ぬと魂が体から抜け出て、人生を全うした善人であれば、現世への拘りが強く無く、死んだという自覚がある魂であれば、お迎えが来たり、来ない場合でも天国のような霊界に行くことが出来る。 ②現世への拘りが、強い魂や自分の体が死んだ自覚がない魂は、現世に留まり浮遊霊や地縛霊になって拘りがとれて、死を自覚するまで何年でも何千年でも現世を漂い続ける。 ③悪人(人殺しや自殺)をした者は、死後恐ろしいところや暗闇をさ迷い続けて生きていた時よりも苦しむ。 ④霊界で再度人間に生まれ変わる時は、霊界の偉い方と相談をして、どの体に入るか自分で選択する。そして、選択した体に魂を宿し、生まれてくる。体を選択するときには既に、その子どもとして生まれたら、どんな親の元で育てられ、どんな友人、恋人、結婚相手等と出会うのかわかった上で選んでいる。 ⑤霊には、私達と同じでお経の意味がわからないことが多い。 ⑥霊には、私達と同じ記憶と感情があり、精神は生きている者となんら変わらない。 ⑦霊は、生きている人と話せる。瞬間移動を出来る。軽いものを動かせる。電気機器などを動かせる。夢枕に立つ。体を生きている人と同じ見た目の姿に出来る。体に重量をつけれる。霊能力者と頭の中で会話が出来る。霊が見える人だけに憑依出来る。写真や映像に写り込める。 霊感の鋭い人には見えるが、普通は見えない人の方が多い。 ⑧地獄に鬼や閻魔大王はいない。死後の世界では、現世でのどの行いが良かったことで悪かったことか自分で解るようになる。死後の世界は、自分の心の現れでもある。 死後の世界は、精神世界で異次元空間。その空間は、現世と重なりあうように存在している可能性がある。 上記の①~⑧は本当でしょうか? 私が、死の世界について真剣に調べて、直感で感じたことです。長々と失礼いたします。ご意見お願い致します。
私は死後の世界は必ずあると思います。魂の存在も信じています。昔からそれが当たり前だと思って生きてきました。 自殺で死んだ彼は、死後の世界で苦しんでいないか心配です。 インターネットでいっぱい調べました。自殺で死んだ人は死後も苦しむ、地獄にいく、ずっと孤独など見ました。彼にはせめて死後の世界では幸せに暮らして欲しいです。一方、彼の後を追いたいという気持ちもあります。これもまた、調べてみると後を追っても彼には会えないとばかり出てきます。では自分の寿命を全うしないと会えないのですか?やはり自殺は死後も苦しむのでしょうか?
このタイトルの質問は多くたくさんは拝見するのですが、少し私は考えが違うかもしれませんので、投稿させていただきます。長文御容赦ください。 私は死について考え出したのは小学6年生の時でした。 そのときは、死んでしまうともうこの世には帰ってこれないし、今楽しいと思うことはもう二度とできない。といったものでした。 そして、考え方は年々変化しました。 今は以下のことを考え、夜になると吐き気をもよおすこともあります。 ・死んだらどんな姿になるのか ・姿が変わっても親や妻、夫に会えるのか、また後から来る人にも会えるのか ・生まれ変わるというが、今実際前世何かだったという記憶も多分ありません… ・あの世でも老化ということがあるのか?あればどのくらい前の人まで会えるのか?なければ老けない姿でどうやって会いたい人を探すのか? ・なんといっても向こうでも働くのか?食べるのか?ずっと活動するのか? といったことがこれでも一部ですが、考えてしまいます… 誰も死に逢ったことはないし、わからないものです。 ですが、かといってこういうふうな捉え方をするなと言われてもできそうにはありません… ありがたきお言葉をお待ちしております……
私には子供がおりません。 供養してくれる人がいません(たぶん) 私は、火葬と納骨までしてもらえれば、それで良いと 考えております。 自然の摂理に沿って、最後は潔く死に、 そして、誰からも供養してもらわなくとも、 自力で成仏したいのです。 死後、お線香をあげてくれる人がいなくても、 一周忌や三回忌の法要がなくても、 自分の意志で成仏できますか?
初めまして。 私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。 私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。 ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。 仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。 私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。 先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。 もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。 人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。 こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。
人は死んだらどうなるのでしょうか? 私の周りの一部の''人は死んだら無になる''と言います。でも私はどうしてもそうは思えません。たしかに死んだら形がなくなってしまいますが、魂は無くならないと思います。きっと見えない姿になって生き続けるのだと思います。そんなのはただの願望ですか?たしかに証拠がないので断定はできません。でももし死後の世界が存在するのなら死を目の前にする(私がそういう状況というわけではありませんが)人々にとってとても心強い支えとなるでしょう。まだまだずっと先のことだとわかっていますが、やはり死ぬのが怖いです。人間は死んだら自然の一部になるという考えが一番現実的だと思いますが、それは科学的なことです。今生きている自分の魂(心)はどこへ行ってしまうのか。死んだら全ての記憶や体験がなくなってしまうのか。もしそうならやはり「死」は人間にとってとてもとても怖いものだと思います。生きるということ自体が死によって無駄(リセット)されてしまう。形がなくても魂が永遠に生き続けるということは本当なのでしょうか??
表題の「死ぬとどうなるのか」わかった気がしてしまいます。 死んで戻ってきた人はいないのでどうなるのかわかりません。 というのが一般的な説だと思います。 しかし私は前年事故により脳に損傷をうけ、1日ごとに記憶がなくなり、さらには事故直後には赤ちゃんのようになり、1週間かけて今の年齢まで戻って行ったと聞きました。 もちろん覚えていません。 周りから聞いた話です。 この、覚えていないこと。 思い出さない。覚えない。何も無い。状態が死だと思ってしまいました。 だって科学的には死んだら脳が動かない。ということですよね。 いままでも知識や常識としては、そうである。ということを知っていましたが、今回の事故で実感を持ってそうなんだ!と信じるようになってしまいました。 何もなくなるということは底知れない闇の中に放り投げられるようで恐ろしいです。仏教のいうように、輪廻転生を信じられたらよいのに。と思います。 家族や友人には死んで無いからわかったことにはならないじゃん。 といわれます。 でも私は答えが欲しいです。 もしくは宗教を信じられたらよいのに。 と思います。
転生などしたくありません。他者に苦痛を与え、自らもそれに悩む毎日です。 仕事をすれば余計な仕事を増やしてしまいますし、会話も成り立たないので失敗や怒らせてばかりです。 記憶も断片的になりがちなので、せっかくの救いの言葉もちゃんと心に残せないのではと不安です。 私の目指す先は命も意識も感覚も一切ない、無です。快楽など本当に必要ありません。 私が恐れるのは、死後も意識があるのではということです。死後のことがよく語られるのなら意識があるのでしょうね。 私が死後、どのような裁きが下りるかはわかりませんが、転生したくないです。本当を言えば抹消させてほしいのです。 そのような願いは邪でしょうか。
人は死んだ後、その人生において大切であった人達に再会できるのでしょうか。 数年前に祖父を亡くしました。 身近な人の死は初めてで、すぐには現実味がなく何も感じず、今更になって悲しいです。 うちは浄土真宗らしいので、仏様になっている筈なんですが…。 後からいった人は会えるのでしょうか。 仏様になる、というのがいまいちピンときません。 また、宗派が違うと(例えばキリスト教など)、別々の世界?に行ってしまい会えなくなるのでしょうか。。 実際はどうあれ、意見を聞いてみたいです。
二度目の投稿です 前回、両親に優しく出来ないことをご相談させていただきました。 両親にきつくしてしまう度に、弟の写真を見てしまいます。 私に後ろめたさがあるからでしょうか? でも、弟の顔が怒っているようには見えません。 むしろ、穏やかで優しさすら感じます。 弟が亡くなり一ヶ月が過ぎました。 弟は今どこにいるのでしょうか? 私が両親にきつく言ってしまうこと、私が、この家の後をとること 弟は納得しているのでしょうか? わたしは、死ぬまでこんなことを悩まなければいけないのかと、毎日のように考えてしまいます。 弟が亡くなった次の日、実家に近い職場の赴任決まるなど、何か偶然とは思えません。 考えすぎなのか、必然なのか 不思議です。 人は亡くなると、どうなるのでしょうか 弟は今、私たちの事を見ているのでしょうか? 自分が亡くなったことを納得しているのでしょうか? 親に冷たくする私は、地獄に堕ちるのでしょうか? とても怖いです
初めまして。 最近、死後の世界について調べてしまいます。 地獄は本当にある、毎日沢山の針で刺される、拷問される、など書かれていて、私は死ぬことが怖くてたまりません。 一回死んでまた生き返った人や、生死をさまよっていた方が、本当に地獄があった、とても恐ろしいものだったと話しておられて、信じてしまいます。 地獄はあるのでしょうか? 拷問などされるのでしょうか? 地獄があるのならば、私は地獄行きでしょうか… また、あの世では、もう亡くなられた自分の身内や友だちには会えるのでしょうか? もし私が子どもと一緒に死んだ場合、あの世で子どもに会えるのでしょうか? 私は死にたくはありませんが、もし事故や自然災害などで死んでしまったら、どうなるんだろう…と考えて辛くなります。
初めて投稿致します。3月頃から自分が死んだらどうなるか、という考えが突然現れました。心療内科での投薬(漢方)や、様々な考えを本やネットで調べることでどうにか恐怖感は薄らいできましたが、今度は、今自分がしていることは死んだら全て意味のないものだ、という考えが頭を占めています。 今勉強していることも、家族と過ごすことも、遊ぶことも、アルバイトも、将来就職して結婚し、自らが家族を作ることも、何もかもが死ぬことで消えてしまう、分かち合えなくなると考えてしまい、非常に虚しい気持ちになります。 「今」を一所懸命に生きることが大事なのに、上の考えが頭をもたげ、とても重苦しいです。 今の状況は試練なのでしょうか?それとも甘えなのでしょうか?どうか、「今」を一所懸命辛いことも楽しいことも合わせて生きていく考え方を教えてください。長文及び乱文になったことをお許し下さい。
死後人間の意識はどこいあるんでしょうか
私の父は僧侶をしていました。 真宗の小さなお寺で、職業とは別で兼業していました。 でも、父は酔うと人に暴言を吐いたり、よそで女の人つくったり、言えないくらい、家族に迷惑ばかりかけていました。 私は母と家を出て、今は嫁いで家庭を持っています。 そんな父が急に亡くなりました。 僧をしていたので、父は「仕事」としてお経はあげていました。 悪人正機というのは、悪人であることを自分で認めた凡夫だからこそ救われると聞きました。 悪人であることを最後まで認めなかった父も、救われて仏さまになっているのでしょうか。 でも『地獄と極楽』という絵本を小さい頃読みました。 あの絵本では、生前ひどい人は地獄で苦しんでいました。 もう一つ、仏さまになったとして、その後どのように生活?するのでしょうか。 よく、私たちを見守って導いてくださる、と言いますが、この世でのつながりが深かった人のところに行き導くのでしょうか。 もし私が往生したら、父と同じ世界に行き、また娘としてくらすことになるのでしょうか。 とりとめなくすみません。 父の死も、生前の行いも、もう昔のこととして受け入れていますが、仏教の教えでは、このあとどのように生きているのか気になりました。 よろしくお願いいたします。
人は死んだ後に何処に辿り着く のですか? やっぱり天国や地獄ですか?
天国地獄って本当にあると思いますか? 家に帰ると自殺のことばかり考えてしまいます。
天国とは本当にあるのですか? 天国はどんな所ですか。 また、病気で亡くなった方は、亡くなったら健康な身体に戻るのですか?
先月、母が他界しました。 生前とても苦労して病気になり辛いまま逝ってしまいました。 魂となった母は成仏するまでの49日は審判を受けているとお葬儀の方にお聞きしました。 ネットで調べてみるととても怖い事ばかりで拷問のような仕打ちばかり書いてありました。 魂になってからも苦労してるんでしょうか?今どういう状態にあるんでしょうか私の近くに母はいるんでしょうか? よろしくお願いします。