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死への恐れを軽減する義務

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有り難し有り難し 36

なぜ、仏教では宗派を問わず、誰もが持つ死への恐れを信者から取り去るためのありがたい話をせず、「死後のことは分からない」と突き放すような言い方をされるのでしょうか。比較するのもおこがましいと思われますが、キリスト教でもイスラム教でも、一応はそれなりの死後はどうなる的なお約束を説教してくれるのに。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

様々な捉え方があると思います。

お尋ねのように、死後のことについては、十王讃歎抄のような死後7日ごとに進んでいく世界を表したものがあります。また、日蓮聖人の御書の中に「三途の河にては船となり、死出の山にては大白牛車となり、冥途にては燈となり、霊山へ参る橋なり云々」と死後のことにも触れています。

決して、死後のことを語らない訳ではありませんし、私は両親の影響もあり、亡き方の霊は不滅であると信じています。ゆえに死後の世界はあると確信できます。
しかし、では、死んだらどうなるのかが曖昧であります。「死」というのは、肉体が滅びるだけのことであり、魂、意識はそのまま継続していると思いますが、少なくとも、この三次元世界では認識できないと思いますし、もっと複雑なのかシンプルなのか分かれば、ともやさんが言う、恐れを取り除く。お話ができるのでしょう。
しかし、なぜ、お釈迦様がそのことを言われなかったので、死後はないとか曖昧な答えになるのは、生まれてくる前のことが分からない、本当はみんな知っているのに忘れてしまうように、でも、忘れることで生きることに意味を見出し努力します。同じように死後のことも、知っているのに忘れている。のではないかと思います。
しかし、マスターと呼ばれた聖人達は、その仕組みを分かっている(悟っている)のでしょう。ゆえに、過去も未来も分かるので、現在も不安なく生きることが出来たのでしょう。しかし、それは人々の救済のためであって、個人の有楽の為ではないということです。

死後の世界は、多岐にわたり、地獄絵図があったり、極楽浄土の話があったりと、それもすべて、今生きている人々へのメッセージであり、しかも、それは死後の事ではなく、この世において地獄があり、そして幸せ、享楽、安穏、円満なる瞬間も体験しています。死後のことを語らなかったのは、今を努力し、精進すること、そして様々なことを認識するために人間として生きているのだ思います。

死んでから極楽へ行けますとか、地獄へ行くとか、それは誰も保証してくれません。今までに、死者が戻ってきて「あ~極楽は良かった」(昔、そんな歌ありましたが)、又、「無間地獄はこんな風でした」と聞いたことありません。あれば、とっくに死後のことは解明されています。でも、そうではないところに、又、どうしてなのかというところに、今生きる大切さがあるのだと思います。

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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死後の世界を説いています

拝読させて頂きました。
仏教では死後六道輪廻すると教えています。つまり死後は生まれ変わると教えています。その生まれ変わる先は生前の行いによって地獄や餓鬼や畜生や修羅や人間や天国に行くのです。
そのどこに行っても迷いや苦しみは多かれ少なかれあるのです。
その迷いや苦しみから救われていくことを目指すのが仏教の教えです。つまり迷いや苦しみから救われて離れて仏様に救われ、仏様のもとで安心して成仏することを浄土教では教えています。
私達は生きている間はなかなか迷いや我欲や怒りや憎しみから完全に離れることはできません。生前中にさとりを開いて成仏することは大変な道です。
ですからその命終わる時必ず仏様にお導き頂き、仏様の国である極楽浄土に連れて行って頂く様にと心を込めて仏様にお願いし、お念仏おとなえするのです。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつと真心込めておとなえして仏様にお願いするものを必ず仏様は救って下さるのです。

ですから仏教は死後の世界をしっかりと説明しています。仏様や観音様やお地蔵様が全ての人を救って下さると約束しています。
恐らくこのことは様々な見解があるかと思いますのでいろいろな宗派のお坊さんに伺ってみてもいいかと思います。

どうか参考になさって下さいね。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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死・中有・再生

ともやさま

仏教においても、死後におけるありようについて、詳しく述べられている論書がございますが、その中でも、日本語での訳注があり、私たちでも学ぶことができるのが、ヤンチェン・ガロ大師の「基本の三身の構造をよく明らかにする燈明」であります。

「ゲルク派版 チベット死者の書」学研文庫(平岡宏一先生訳注)

また、併せて、下記の著書もお勧めでございます。

「チベットの生と死の書」講談社文庫(ソギャル・リンポチェ著)

是非、参考として頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

死について考えすぎる

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。 最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。 また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり 自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。 その命は幸せに過ごして欲しい。 今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。 死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。 でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。 でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。 今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。 来世も人間になりたいと欲がありながら そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして 心が苦しいです。 この先死について考えることは無くならないと思いますが 今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

有り難し有り難し 2
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ