空とは何か?求めることもまた愛か?
勉強、サッカー、人気。全てが一番だった小学校時代から、中学に上がって初めて挫折を味わいました。
なぜ監督は僕を認めてくれないのか、なぜ好きな子に愛されないのか。1年以上悩み続け、14歳の時に出した結論は「与える側に回る」という事でした。
承認や愛を貰うことに幸せを置くと、自身の幸せは常に他人の判断に左右される。欲しがるのではなく、人に与えることを喜びにできれば、幸せは自分でコントロールできると思いました。
そして、そういう生き方を実践してみたら、不思議なことにそれまで欲しがっても手に入らなかった成功や承認、愛が自分の元に舞い込むようになりました。
そんな状態に少し怖さも憶え、得たものを自分のもとに貯めこまず、早めに周囲に回すようにすると、また必ずそれ以上のものが舞い込んでくる。そんな循環によって現在まで、非常に恵まれた人生を生きてこれていると客観視しています。
質問①
最近、この循環作用(自身を空にすると色が入ってくる)が、仏教のいう空即是色の本質なのではないか?と考える様になりました。いかがでしょうか?
質問②
妻からは「貴方は愛されることから逃げている」と指摘されます。確かに、妻からの愛を求めた瞬間に、求めないことで築いてきた自身の心の安定が崩れることは目に見えています。
しかし妻の言うとおり、愛を求めることもまた愛なのではないか、とも考え始めるようになってきました。
与えるだけでなく、求めることに踏み出すべきか、是非ご意見を頂きたいです。
有り難し 40
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