生きる意味が見出せません
将来に漠然とした不安があります。
社会人として仕事はしています。
家族とは同居していますが、父親、祖父はモラハラで怒鳴ることが多く、母はヒステリック、祖母は買い物依存と良い関係ではありません。
自立のために、家族から逃げたくて、一人暮らしを申し出ましたが、親に対しての精神的虐待だ、家族をめちゃくちゃにする気かとヒステリックを起こされました。
話し合いすらしてもらえないので、いっそのこと家出しようかと思ったこともあります。
あと何年生きなきゃいけないのだろう。
この家から一生出られず、両親の介護をし一生終わるのかと思うと消えたくなります。
どうしようも出来ず、毎日がただ過ぎて行くだけなので辛いです。
親のために生きなきゃいけないのでしょうか。
やりたいことをしてはいけないのでしょうか。
父、母、姉、祖父母、私の6人家族です。 父と祖父が威圧的でよく怒鳴って意見を押し通します。モラハラ発言ばかりです。男尊女卑。 私は小さい時から、意見を否定ばかりされてきたので自己肯定感が低いです。最近は鬱気味です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一度極端に考えてみることも有効
ご家族との関係が芳しくなく、自立を許可してもらえないのは辛いですね。
しかし、あなたはもう成人した一人の人間です。
契約に親の同意はいらず、親と縁を切ることも可能です。
もちろん、親の同意はあった方がよいでしょう。
その方が後の援助ももらいやすいです。
ですが、あなたの相談文から読み取れる状態は、秘密裏に家を契約し、引っ越すことを考えなければならないレベルです。
極端に考えましょう。
職場も、住居も一度に違う県に移せばほぼ追われることはありません。
ですが、これはとても大変です。
ですから、ここから何をやらなくてよいか、何をどうしたらあなたが安心できるかを考えていきましょう。
職場の上司や友人は頼れませんか?
あなたが自立するのに協力してくれそうな人に当たりましょう。
あなたの人生を妨害するなら、親と言えども関わる必要などないのです。
そして、時がたち、また関わりたい、関わってあげたいと思えるようになってから会いに行けばいいのです。
言葉にネガティブ反応を示さないように「私」→「公」
親御さんのシビアな言葉は子供にとって大きなダメージですよね。
親は経験上、子供が誤ったことをしないように守りたい気持ちから危ない道を渡せないために強く言ってしまう気持ちがあるのでしょう。
ですが、言葉というものはいわんとする主旨があり真意があり導き先があるものです。別にあなたを傷つけるために言っているんじゃァありません。そう受け止めない。だから、投げかけられた言葉のパッケージや箱がとげとげしいメタルジャケットだったとしても、言っている中身は今の安心を守りたいというだけ。
上手にあなたも誤解されないように言い続けることです。親御さんのお言葉があなたの将来のことを考えて言ってくれているのであればあなたが上手に受け止めるべき課題というだけです。マァ親子ですので色々ないきさつがあった上での言葉でしょう。
いずれにせよ誰から言われる言葉であっても、深く明確な仏道の道理から申し上げれば「言葉が人を傷つけるのではない」と知りましょう。言葉はどんな乱雑な言葉であったとしてもそれは刃物でもなくバットでもない。その言葉を同時に百人が聞いて傷つく人と傷つかない人がいるということは、言葉はただの音。情報。傷つく場所は本人の心の中だけ。事件は現場で起きたとしても、傷つく現場はその場所ではなく貴女の心の中。だから、受け止め方次第。リアクション次第。大切なことは会話。対話。コミュニケーション。
例:国によってマスクをしなさいという国もありますが日本は「法律で絶対にマスクをしなければならないというルールがある」わけではありません。任意であり、同調圧力ともいえましょうし、配慮ともいえましょう。ですが、本人だけの行き過ぎた配慮という心理というものがマスクに限らずあるものもあるのです。あなたが家庭ルールをあなたが過剰に絶対ルールだと思っているだけ。それが縛りの原因です。
あなたがもし優秀な外交官であるとすれば相手が何と言おうがネガティブ反応を示していたら国民も黙っちゃいない。言葉というものは私的に受け止めず、公的に冷静に真意を受け止めることが大切です。
そしてそれを受けてどう進み、どっちに向かうべきか。
それがコトバを受け止める、用いる、転ずる、送り出す、より良く導く、上手に会話をするということ。あなたに必要なことはフリーズせずに行動をすること。心をより良い方向へ向かわせる努力です。本音で生きましょう。