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絶対死ぬのになぜ生きるのか?

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有り難し有り難し 14

はじめまして。あのちと申します。

昔から死に対する恐怖が強くありましたが、最近は「最終的には死んでしまうのに、なぜ生きているんだろう?」や、
「今やってることも、持っているものも、勉強や趣味も死ぬのだから意味がないのでは?」
と考えるようになってしまいました。

この先どうやって生きていけばいいのでしょうか?
よろしくお願いいたします。

2022年6月4日 2:15

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

言葉の循環

 こんにちは。「考える」というのは基本的に言葉の操作ですが、それぞれの言葉には用法というか制限があります。
 「生きているとは何か」と問えば、それは「死んでいないこと」あり、「死んでいるとは」を問えば「生きていないこと」となります。もし「生きている」がなければ「死ぬ」こともありません(機械など)。つまり、死ということの捉え方がなければ、生きているという捉え方も表現もできなくなるのです。
 そうすると、「最終的に死ぬ」からこそ「今は(まだ)生きている」と言える…というのが生と死の関係です。
 それだけ「生」があるのに対して、あなたが「でもそれは終着ではないから」と目を向けないのは自由です。しかし「私にはまだ生が残っている」と思うなら、その時間をどう過ごすか?に目を向けてもいいのではありませんか?
 言葉は明らかに、生よりも短い歴史しかありません。言葉があって、そこから生が生まれたのではなく、生があって言葉(捉え方)がのちに生まれたのです。生物史においても、あなたの人生においても。
 「死に対する恐怖感があった」とのことですから、おそらく「全てが自分から離れていく」こととして死を捉えておいでだと思います。私も死んだことはありませんが似たような理解はしています。だからこそ私はそれまでに「何を持っているか、ではなくどんな自分になるか」が課題なのだろうと思います。ここは(いまのところ)あなたとは異なるでしょう。
 「どうやって生きていけば」への私からの答えは「その時に、自分はもう十分に生きた・やることやった」と死を受け入れられる自分になるように生きていく、ということです。
 まぁ、これも言葉上の表現ですけれどね。

2022年6月4日 5:56
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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私も思います

拝読させて頂きました。
あなたのご質問はとてもよくわかります。私もあなたのご質問の様に疑問に思って生ききましたし、今も生きていると言っても過言ではないと思います。そして多くの人が大なり小なりあなたと同じ様に疑問に思って生きていらっしゃるのではないかと思います。
「何故死ぬのに生きなければならないのか、今やっていることも勉強も努力も趣味も全く意味がないのではないか?」あなたがそう思いのももっともかと思います。
その答えに明確な答えは見つからないのではないかと思いますし、明確に答えられる方はおられないのかと思います。あえて答えられる方がおられるとしたら仏様ではないかと思います。仏様は覚りを開いて全てのものごとの在り様も生きることも死ぬことも全てを体得なさっておられるのですからね。とはいえその仏様のお覚りを私達が全て理解することはこの世では難しいと思います。

今言えることはあなたが「何故死ぬのに生きなければならないのか?自分が良きることとは何なのか?自分の生きる意味があるのか?何の意味や目的があっていきるのか?」その答えを見出していくことがあなたの死ぬまでに見つけることですし、あなたが生きる意味や目的です。

その答えは千差万別かもしれませんし、大きく見ればほぼほぼ同じようなことかもしれません。或いは興味関心を追及していくのであるならば人それぞれに関心も興味も違いますから自ずと違ってくるかもしれません。

あなたが今生きる中でいろんなことを感じているでしょう。嬉しいことも楽しいもことも素晴らしいと思うことも感動することも、或いは悲しいこともさみしいことも辛いことも苦しいことも感じながら生きているでしょう。そう感じて何故そう感じながら生きていくのか生きていかなくてはならないのか?と疑問に思いながらその答えを見つけていくのも生きる意味や目的かもしれません。

宗教が存在する意味や目的はその様な疑問に答えていく為にあるのです。

あなたがこれから生きていく中で多くのことを見聞きしていろんな体験を通して自分が良きることや生きる意味や目的を何度も何度も問い直すことでしょうし、「ああ!これだ!」と見出すこともあるでしょう。そして「いったん何だったんだ?」と再び深い疑問を抱くこともあるでしょう。

どうかそれら一つ一つのこと体感も実感も大切になさりあなたの大切な人生を生きて下さい。

2022年6月5日 9:15
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「生きる意味」問答一覧

昔の教え子と相撲をとり思わぬ結果に戸惑い

以前下記の質問をした者です。 https://hasunoha.jp/questions/66841 ご回答どおり教え子と相撲をとりました(スポーツ施設内の正規の土俵です)。 私は47歳、170cm、102kgの巨漢。彼は20歳、168cm、53kgの細身。 結果は10勝5敗で...彼の勝ち越しでした。 こんな結果になった原因ですが、私の体力が衰え過ぎでした。 日頃の運動不足に過度の喫煙が加わり、すぐに息切れしてしまいました。 そして脚の筋力はないのに体重だけはあるので自分の巨体を支えきれず、常に膝が伸びて棒立ちでした。 足腰が不安定な状態で彼に懐に潜り込まれ、私はまわしがとれないまま彼に双差しを許し、巨漢の私が細身の彼に真正面から寄り切られてしまう、という内容が大半でした。 最後の取組もこの負け方でしたが、土俵際に追い込まれた際あまりの苦しさに「まわしが、とれない」と声に出してしまう程でした。 私は、年齢差もあるので彼に負けるかもしれないとは思っていましたが、まさか幾度も真正面から寄り切られるとは予想していませんでした。 尤も、事前にまわしを締める際、私は羞恥心もあり下に短パンを履きましたが、彼は「男と男の勝負なので正々堂々と戦いたい」と、お尻を出してきました。この時点で、私は彼に気持ちの上で負けていたのかもしれません。 対決が終わった後、負けた私は寧ろ清々しい気持ちでした。 小学校時代は本当に華奢で身長も体重もクラスの男子で最低だった彼が、 私の巨体に物怖じせず相撲で真っ向勝負を挑んでくるほど強く育ってくれたこと、 女子にもよく泣かされる弱虫だった彼が、恥ずかしがらずにお尻を出してまわしを締めるほど精神的にもたくましくなってくれたことが、教師として嬉しくて仕方ありませんでした。 その反面、勝ったはずの彼の方が、どこか物悲しげで寂しそうな表情をしていました。 「勝てると思ってなかった」と幾度か言っていたので、私を本物の力士のように強いと思っていたのでしょう。 現実の私は、彼の思い描いていた姿ではありませんでした。10年の歳月はやはり残酷ですね。 彼に、電話か手紙で励ましの言葉を贈ろうと思います。敗者が勝者を励ますというのも変な話ですが、相撲の勝敗と勝負後の気持ちが逆だったので、私が励ます側だと思っています。何と言ってあげれば良いでしょうか。

有り難し有り難し 19
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ADHDの私は社会でやっていけるのか

私は3年ほど前から心身の不調により心療内科に通っています。主な症状は鬱や過眠で、大学の授業にもあまり出席できず、通院状況を大学側に伝え、学生支援室から配慮を受けながら通学しています。はじめは睡眠障害と診断されていたのですが、昨年主治医からADHDと診断され、過眠によって朝に起きられないのもその特性によるものではないかと伝えられました。確かに私はADHDの特性としてあげられる不注意が多く、スケジュール管理や部屋の片付けが苦手で生活が乱れることが多いです。ただ、勉強はむしろ得意な方なので大学で実家を離れて一人暮らしを始めるまでその症状が可視化されなかったのかもしれません。 診断を受けてから今までの生活を見直し、同じ症状に悩む方々のライフハックを参考にしたり、自分なりに苦手なタスクを自動化する方法を考えたり工夫はしていますが、今年で大学4年生になるため、大学の学生支援室の方からも厳しいコメントを頂くようになりました。 周りの子達が就活を進める中で、あなたは社会でどうやっていくのか。朝起きられない、スケジュール管理ができないといったことは社会では通用しないが、卒業後あなたはどうするつもりなのか。といったコメントを度々貰うようになり、分かっていてもそういった言葉を聞く度に生きているのが嫌になってしまいます。社会から見れば自分が甘えた人間であることは言われなくても分かっています。社会に出たらどうするのと聞かれても、これが私の精一杯でどうすることもできないというのが答えです。 私は今大学院への進学を考えていますが、進学してもいずれ社会に出る日は来ます。その日が来るのが怖くて自分で選んだ院への進学という道さえ就職から逃げた結果のように思えてきます。大学もまともに通えない人間が社会でやっていけるのでしょうか。社会でやっていけない人間が生きる意味はあるんでしょうか。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

生きてる意味

いつもご回答ありがとうございます。今回も相談失礼致します。 今私が思っている事吐き出させてください 毎日毎日生きている心地がしません 昨日も今までの事やこれからの事を考えてしまい不安で頭がいっぱいになりました 小学校に転校したての時にいじめに遭い、多分その時点で私の心は死んでいたと思います。いじめって言ってもみんなが思ってるようないじめではありません。暴言を吐かれたりハブられたり無視されたり都合のいいように利用されたりそんなものです。 小学生のころの私は弱かったしいいなりになるしかありませんでした いじめてきた子に認められたかったし仲良くなりたかった、そしたら無視されることもなくなると思ったしみんなと同じように接してくれると思いました。今思えば本当に惨めです。 何年か経ち小学校3年生くらいの時新しいお友達が3人できました 親友と呼べるほどに仲良くなってお泊まり会やお出かけもしました ですが一人の子が○○ちゃんが一番好き、一番仲いい子、幼馴染だから、その発言を聞く度に私は、転校生なので幼馴染がいるわけもなくとても羨ましくて、なんだか利用されているだけなのかもと思っていました 当たり前に喧嘩はありました、大好きで仲良かった子にも散々暴言を吐かれ愚痴を言われ無視され、私も悪い部分があったとはいえ本当に辛かったです その他にも兄が同級生に絡まれ、たぶんあれはいじめられていたんだと思います。 それを見てどうしても腹が立ってしまいその中に割り込んで口出ししました いじめてる側の人達にはもちろんいじられ、兄は助けてくれると思ったのですがまさかの相手側についていました。 でも分かります、嫌われるのが怖いしまた虐められるのが怖い、私も同じなので分かります。ですが兄にまで裏切られた私には絶望と悲しみしかありませんでした それからも男子に体型をからかわれたり冗談で暴力をふるわれたり、私は元々肌が弱く虫に刺されやすくて、それに加え治りにくかったので肌が汚いです。なので水泳授業など苦痛でしかなかったしそれが原因でいじめられるのも怖かったです。 結局不登校になってしまった今でもこのトラウマは思い出してしまうし、フリースクールでも空気のような自分、みんなは可愛くて友達もいて輝いてる、誰でもいいから私を見つけてほしい認めて欲しい人が怖い、もう死んでしまいたい

有り難し有り難し 23
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今の幸せを感じるには

大学卒業後、就職した職場でなかなか環境に慣れることができず適応障害になって退職し、そこからフルで働くことができなくなりました。 今は平日パートタイムで働いていて、なんとか4.5年続いていますが、人間関係や労働環境は最悪です。 給料が低いことと、この先また適応障害になって寝込んで動けない状態になるかもしれないという恐れから、今だに実家暮らしです。 また大学時代からずっと付き合っていた人と1.2年前に別れ、結婚や子供も諦めました。 この歳になっていまだに自立できていないこと、仕事のキャリアを積んでいけないこと、親に孫の顔を見せられないことなど現実に向き合えない自分が嫌です。何のために生きているか分からず、無意識に死にたいという言葉が口から出るようになりました。 自分も両親も健康で、大きな病気や怪我もなく、借金や人間関係など大変な問題を抱えてるわけでもありません。 明日食べるものに困るような状態でもなく、とても恵まれた状態であるにも関わらず、ずっと「もう人生を終えたい」と考えています。 死にたいというよりは、今ある面倒なことから逃げたいというのが本音かもしれません。 安心して過ごせる家があるというだけでとても幸せなことなのに、なかなかそれを実感することができません。 どうしたら今すでに身の回りに存在している幸せに気づいて、死にたいと考えてしまうことを減らしていけますでしょうか。

有り難し有り難し 9
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生きてる意味ってなんなんでしょう?

最近人生ってなんなんだろう。苦しみしかないじゃん。と思ってしまいます こうなったら嫌だなと思う事ばかり実現して こうなりたいという事は何一つ実現しません わたしはずっと歌手を夢見て努力してきました でも、人から歌を褒められる事はほとんどなく 音程が大きく外れてるわけでもないけど 自分で聞いてもなんか納得いかない歌声 その声も最近全然出なくなってきてしまい、 「あぁ、わたしには才能がなかったんだな」と思ったりしています 他にやりたい事としてはプロレスがあります が、それもやっぱり怪我や痛みが怖いという思いがあったりして踏み出せないです でも、わたしも30半ばが近くなってきて このままではこのまま何もないままわたしの人生が終わってしまうという焦りに襲われています わたしのこれからやりたい事としては、性同一性障害(以下、GID)に生まれてしまったので その治療がしたいと思っています しかし、血液検査の結果、肝機能の数値が悪く、「このままだと治療を進めるための意見書を書くのは難しい(治療が受けられない)」と医師から言われました おそらくストレスによる過食から来る体重増加などが関わっていると思い 1か月前からダイエットを始めて7kg減量しました そして今週の血液検査の結果次第という事になりました しかし、まだまだデブだしダイエットは続行するつもりですが 「いつになったらわたしの望みが叶うのだろう・・・」という気持ちがずっと離れないです GIDの病院の待合室には10人くらい患者さんがいましたが みんなもうホルモン治療が始まっている人ばかりで 自分のなりたい性を叶えています それを見た時にわたしだけなれていない、という焦りや悲しみがわいてきて わたしは女性になりたいのですが 今では街中を彼氏と腕を組んで歩いている女性を見るだけで本当に辛い気持ちになります 親が性別を選んで産んだわけじゃない事はわかっているのですが、それでも親には望みを何一つとして叶えてもらえなかった(機能不全家族)せめて性別だけは女の子に産んでほしかった。という気持ちがどんどんわいてきています おとぎ話のように待っているだけじゃ王子様は現れず魔女にかけられた呪い(病気)も解けない事はわかっているし努力もしていくつもりですが何のために生きてるんだろう、みんな楽しそうでいいなという思いが拭えません

有り難し有り難し 12
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ