生きる意味とは。
この数か月、健康に関する投稿を重ねさせて頂き、お言葉が身にしみます。
2月より入退院を繰り返しており、昨夜も体調が優れず夜間処置を終え帰宅。
予期せぬ病気で生活は一変しました。
生きるとは、かけがいのないもの、儚いもの、でしょうか。
命の尊さ、今を生きて今日、明日からの未来は誰にも命の保障は誰にもなく
解りません。そんな矢先の発病だったけに感じております。
ただ、一つ言えることは自分の病気について本やインターネットを通じて
自分なりに学びました。
会社も辞め、もう2ヶ月半近く社会生活から離れ、新しくご縁を頂いた会社での
仕事に馴染むのか心に、もやを感じます。
ずっと健康面に不安を抱え、再び再発をしたことを高齢の両親、兄弟にも言えてなく、心配をかけるだけで言わないことも気持ちの負担なのかも知れませんね。
少しは気持ちの整理がついていますが、気持ちが萎 え。
この先の人生で何を支えにしていけばよいのか。
無理ない程度でお教えいただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きることは、生きているということ
生きることに理由なんてないです。意味は自ら作り上げていることなので、真理ではないです。病にかかりそれに対する治療や生活が変わると不安もあるでしょう。考えることも増えてくるのでしょう。
・もし、健康だったら。
・平均寿命までは生きられるはず。
・この仕事は自分にできるのか。
・この先どれくらい生きられるのか。
これらすべて考え事です。リアルではなく作り事です。妄想(もうぞう)と言います。人によって人生の長さ生き様は違うものです。人と比較したり理想と現実を比較したりそうやって思いを巡らして自らの首を絞め苦しむのです。
事実は、今生きているということ。何不足なく、充たされきって生きていることそのことに有難さがある。先のことはわからない。過去のことはきれいさっぱり消えている。今こここの体のある所で生きている。それが全てです。障害があるとか病気にかかっているとか、年齢がどうとかそんなことは関係ない。心臓が動き呼吸をし血がめぐり生きている。そのぞんざいそのものが人に影響を与え安心を与えているのです。
質問者からのお礼
お言葉を有難うございます。
仰って頂いたよう未来について、色々な思いを巡らせ不安事項について
自ら不安、心配であることを空想させ自ら首を絞める、そのものです。
今を大切に歩んでいないことを学ばせて頂き有難うございます。