初めまして、よろしくお願いします。 先日、長らく親しくしていた友人より縁を切られました。 (相手から求められるものに私もかなり頑張ったのですが、結局応えられず心身共に疲れきってしまい、最後は話す事も無理でした。時間が来て切られました。) 切られる際、自分もやる事はやったし、相手にも今まで感謝していました。 それで満足、それでいいはずなのに、心か?頭か?たまに相手へまだ食いつこうとするのです。 この執着心が、考えすぎて悪い方へ悪い方へと思考が染まり、とても苦しいです。 どうしたら人への執着心をなくせるのでしょうか?教えて下さい。 よろしくお願い致します。
もともと安月給ですが、特にお金に対して不安はありませんでした。 家にお金を入れたり、携帯や保険などの生活に必要な支払いをしても残金はある。貯金もできてます。 好きな旅行に行ったり、買い物もしていました。 ただ…昨年祖父が亡くなり家のお金事情に深く関わるようになってから不安が芽生えてきました。 あれ?もう給料がない… これを買ったら残金が少なくなっちゃう… など、何かとお金を気にして生活するようになってしまったんです。 正直、こんな生活楽しくありません。 心が狭くなったような気がします。 お金に執着しないように生活するには、どうしたらいいのでしょうか?
人間関係がずっと苦手であり、家庭以外では人の輪に加われない生活を主に過ごしています。 しかし、いつの間にか他の人たちが楽しそうにしている姿を、恨めしく見るようになりました。 ふと鏡で見えた自分の顔に愕然として、外出がさらに億劫になっています。仕事の能率も低下しています。 周りのことばかり気にしすぎす、自分が芯を持つて生きていれば、こんな気持ちにはならないと思っています。 どのような心の持ちようで過ごせば、この気持ちが落ち着いていくのでしょうか。 ご多忙のみなさまには大変恐縮ですか、ご回答いただけると幸いです。
初めまして。 先日、人生初の写経(般若心経)を体験させていただきました。 そのとき、「執着」からの解放について法話をいただきました。 加減が大事、だとは思うのですが執着しないことで得られる自由な心・発想・幸福感に納得すると同時に、たとえば学生のときなど、100点満点や資格合格にひたすら執着し諦められずに必死に向き合って努力し、手にした達成感や自信などもあることを思い出し、そこで「執着」についてうまい解釈が自分のなかでできずにいます。 実際今恋愛に関しても、気になっている方に粘り強く振り向いてもらえるように頑張ってみようかな?という思いと、もう、5回ほど会って相手と何も進展がないならば、執着しないで次へ向かうぞ!と思うべきか?と葛藤中でもあり、「執着」についての解釈についてもう少し、お坊さん的アドバイスをいただけると有難く存じます。 よろしくお願いいたします!
わたしは、特別裕福なわけではありませんが、堅実な両親のもとで、何不自由なく育ちました。 しかしわたしの母は、常に「お金がない」と言い続け、「何よりもお金が大事、お金がなければ何もできない」という母の価値観が、わたしにもすっかり刷り込まれてしまいました。 わたしは今、自分の夢や自己実現や、また社会への貢献のためではなく、お金がなくなることへの不安を解消するためだけに働いている気がします。 時々そんな自分を、とても虚しく感じます。 本当はやりたいことや挑戦したいこともありますし、子どもとしっかり向き合うために、少し働き方をセーブしたいと思うこともあります。 しかし、不安のために今の仕事を離れることができません。 また、夫の仕事や収入に対しても不満や不安を抱きがちです。 毎日元気に一生懸命働いてくれるだけで充分満足で、尊敬できることだと思っている一方で、もっとたくさんお給料があれば……もっと大きくて安定した会社で働いてくれたら……という思いも捨てきれません。 夫のことが大好きなので、そんな風に思ってしまうことが申し訳なくて苦しいです。 もうすぐ子どもが生まれます。 こんな親の背中を見て育った子どもは、同じように不安に駆られて生きるようになるのでは…と心配です。 子どもには夢を持って生きてほしいのに、わたし自身がこんな感じでは、とても「夢を大切に」などという言葉に説得力はありません。 少しでもお金への執着や、不安を軽減させる方法はあるのでしょうか? もう少し穏やかに、心静かに生きたいです。
以前、流産と不妊について相談させていただいた者です。その節は心のこもった回答をありがとうございました。 ご回答やそれ以前の問答を拝見したりして、少しずつ落ち着きを取り戻していますが、なかなかすぐに元気にというわけにはいかず、まだやっぱりもがいています。 ところで、以前TVでストーカーのニュースを見ていたとき、「ストーカーの人が幸せになれるとしたら、それは執着を手放して、他の道を進んだときだよね」と、家族に話しかけて自分でもはっとしたことがありました。私もそうだ、と思ったからです。 たぶん私は子供がほしいと思うあまりそのことに執着しているのではないだろうかと気がつきました。繰り返し流産して、いったん手にしたと思ったものを何度も失ったことで、余計にそれが強くなってしまったのかもしれません。 なんとかこの執着を手放したいと思ってきましたが、なかなか難しいようです。もともとこんな気持ちが背景にあったので、こちらの仏教に関連したサイトにご相談させていただいたのかもしれません。 説明が長くなってしまいましたが、このような執着を手放すための心の持ちようはあるのでしょうか?ご助言をいただければ幸いです。