こういう仕事をしたい!という執着はよくないことでしょうか?
初めて質問させていただきます。
私は企業などの業務システムを作ったり運用保守したりする仕事をしています。
システムエンジニアとしてやりたい分野の仕事があるのですが、転職をしてもなかなかその分野の仕事に就けませんでした。
そして、年齢も30を過ぎてしまいました。約4年前に体を壊してからは派遣として転々と働いています。そのころから心身ともに病んでいる気がします。
現在は契約終了で求職中です。その上今、別のトラブルにも巻き込まれています。「こういう分野の仕事に就きたい」という執着がなんだか悪い方に行っている気がします。そのための勉強も頑張ったので、なおさら諦められないのかもしれません。
最近はなんだか投げやりで「ただただ心穏やかな生活を送りたい」と切に願うようになってしまいました。ここで踏ん張らなければならないのに…。
自発的ではなく事業都合での退職などで図らずも転職が多くなってしまい、その度に失業しブランクがあり、負い目に感じています。もっとまともに地に足をつけて生きるべきではないかと感じています。
現在仕事探し中なのに、体も本調子ではなく、騒音トラブルにも遭っていて、思考がうまくまとまらないですが、人生迷走中なので、仏教的な観点から何らかの今後の指針を得たいと思い、質問致します。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
世俗の価値観に惑わされない
こんなこと書いていいのかと悩んでおりましたが、あくまで私の価値観に基づく個人的な意見として読んでください。
夢を持って職を選ぶというのはいかがなものかと私は考えます。雇用の流動化ガーと言われて十年が経ちますが、今や大企業の取締役クラスは数社掛け持ちや、鞍替えが当たり前です。そしてその人たちは事業都合で正規雇用より非正規雇用やアウトソーシングを選びました。
それは良い悪いではなく、バブル期から失われた二十年へ変わる中で『適応』しただけです。そして長年フリーターや派遣社員でしたたかに生活している方々は、希望はともかくその中で一生懸命に生活しています。
ただ、いわゆる中流と呼ばれる多数派の『常識』だけが時代に取り残されてしまっている…それでいいのでしょうか?ダメですよ。現実として環境が変化しているのに受け入れず、昔の常識の上に立ち続ける。まるで山の中腹から土砂崩れで谷底まで滑り落とされたのに、まだ中腹に立っているつもりです。こういう『常識』こそ地に足が着いていません。
ではもっと昔はどうだったか?戦前なんかほとんどの人が家業です。自分で選んだ人だって大した理由で選んでいません。日露戦争の英雄・秋山真之という人は大学受験で挫折。お金は無いけど勉強はしたい。だから飯にありつけて何でもいいから勉強できる軍人になっちゃった。で、目の前の軍事の勉強を全力で頑張っていたら未曾有の国難から日本を救っちゃったんです。こんなもんですよ、大昔の人は。
大昔の大先輩がたは先に夢があって職につくのではなく、まず食っていくことが先にあって、その今立っている地の上で目標や夢を見出してきました。wintersweetさまの迷いや負い目の根源はここら辺のミスリードだと私は見ます。
私の友人にゲーム業界の者がおりまして、三十代前半で既に5社くらい転々としています。そういうのが当たり前の業界なのだそうです。「自分の居場所はここ!」という自分の常識をぶっちすれば世界は広がります。何を隠そう、仏教的にいうと執着の黒幕は無明(むみょう)と言いましてね、「自分の常識」なんですよ。
「こういう仕事をしたい」と思うことはよいことでは?
「こんな仕事をしたい」「こんな会社に就職したい」と願うことは消して悪いことではないと思います。
しかし、体を壊してしまってはやりたい仕事もできないですよね。ご自分の今の体調でできる仕事をしてその中で、充実感は得られると思います。
過去に考えていた「夢」は過去のモノ。それと今を比べてもしょうがない。今の自分を精一杯生きることが、救われる道につながるのではないでしょうか。今のあなたが「穏やかな生活」を望んでいるなら、それも大切なことだと思いますよ。
何よりこの体を使って一生生きるわけですから。お体は大切にしてください。
今は疲れているのでしょう。少し休んで英気を養って下さい。
お疲れさまです。
業務システムを作ったり運用保守をされておられるようですが、
運営保守はシステムエンジニアとしての夢を持った方には
大変辛い仕事かもしれないと聞き及んでいます。
クライアントへのメールのやり取り1つでも、かなり神経を使うと思います。
中にはメールの文字を1つ間違えると罰金を一文字ごとに課される会社もあるとか…。
システムエンジニアとしてやりたい事があって、
そのための足がかりとしての今の職種だと思います。
何事も遅いと言う事はありません。
執着が全て悪い訳ではないのです。
医者が患者を治す執着が無ければ大変な事になりますよね?
やりたい仕事があるのであれば、
まず、具体的にどういった仕事が本来したいのであるかを
自分の中で思い出してみて下さい。
それを軸として、今の自分の行動を選ぶと良いと思います。
ただ、今の貴方は少々お疲れのようです。
少し散歩などをして、お寺が近くにありましたらお参りされてはいかがでしょうか?
お寺には回りよりは静かな境内があるはずです。
静かなお寺の境内で、すこし心をホッとさせてあげてください。
業務システムを作ったり運用保守の仕事は凄く体力も精神力も使ったはずです。
貴方はとても頑張って来られたのです。
生活のために業務システムを作ったり運用保守の仕事は今後もしなければならないかもですが…
でも、大変な時にも、貴方には夢がある事を忘れないで下さい。
自分に取って他のもっと素敵に思える夢が出来たとき、
その夢を取り下げたらいかがでしょうか?
仕事は食べるためだけのものでは決してないと思います。
現実を見ろ、食って行くだけまず考えろと言う方もおられると思いますが
常識に惑わされず、しっかりと自分の心に聞いてみて下さい。
自分の人生を決めるのは貴方です。
追記3:辛かったのですね。どうぞお気を出来るだけ楽に持って下さい。人生には「こうでなきゃダメ」なんて規範はありません。夢も重荷になるのであれば忘れてみるのも良いと思います。大切なのは貴方が「楽しい」と思える時間を今は出来るだけ取って下さい。自分が安らげるお寺が見つかる事を祈ります。辛かったらまたご相談くださいね!
質問者からのお礼
邦元様
ありがとうございます。
仏教では「今」を大事にする、と聞いたことがあります(宗派などによって違うのかもしれませんが…)。
今の状況下でできることをしようと思います。
大慈様
ありがとうございます。
大慈様の個人的な意見ということですが、参考になります。
>三十代前半で既に5社くらい転々
私はもっともっと転々としてしまっています…。
自分の居場所を見つけたいのですが、あまりそういうことを考えない方がいいんでしょうか。
こだわり過ぎず、なりゆきに身を任せた方が良いのでしょうかねぇ。
世俗の価値観から逸脱すると不安になりますが、主流から外れてしまってもやっていけるように感じました。
悟東 あすか 様
ありがとうございます。
とても苦しくて苦しくて、自分が壊れてなくなってしまいそうな感じでしたので、相談しました。
>自分に取って他のもっと素敵に思える夢が出来たとき、
>その夢を取り下げたらいかがでしょうか?
今の自分は固執しすぎているのかもしれません。
自分の心は、今は”穏やかに暮らしたい”というのが夢かもしれません。
お寺に行ってみます。
寺院・神社は昔から好きなので。