お金への執着を無くしたい
もともと安月給ですが、特にお金に対して不安はありませんでした。
家にお金を入れたり、携帯や保険などの生活に必要な支払いをしても残金はある。貯金もできてます。
好きな旅行に行ったり、買い物もしていました。
ただ…昨年祖父が亡くなり家のお金事情に深く関わるようになってから不安が芽生えてきました。
あれ?もう給料がない…
これを買ったら残金が少なくなっちゃう…
など、何かとお金を気にして生活するようになってしまったんです。
正直、こんな生活楽しくありません。
心が狭くなったような気がします。
お金に執着しないように生活するには、どうしたらいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
より魅力的なものに出会うと廃れていきます。
大好きなおもちゃで遊ぶ子供に「そのおもちゃで遊ぶのをやめなさい」と叱っても、子供はおもちゃを離しません。
でも、そんな子供にもっと魅力的なおもちゃを用意したら、自然とそのおもちゃで遊ぶことをやめます。
生きていく上で、お金はとても大切なものです。
あるとないなら絶対にあった方がいいです。
しかしそれよりも大切なものがあると教えてくださったのがお釈迦様です。
私にとってお釈迦様が生涯をかけてお説きくださった教えは何物にも代え難いかけがえのない宝物です。
私はお金が好きですが、仏教の方がもっと好きです。
今は住職としてお金儲けをするよりも、一人でも多くの方に仏法を聞いてもらいたいという気持ちの方が大きいです。
お金以上に魅力的なものに出会えば、自然とお金への過度な執着はなくなります。
それが何であるかは人それぞれです。
もりりんさんが安心して豊かな生活を送れることを願っております。
私たちが勝手に付けた価値・判断に縛られ過ぎないこと
亀山純史と申します。もりりんさんの場合、もりりんさんを取り巻く状況が変わった訳ではなく、もりりんさんの心の持ち方が変わった訳です。これは例えれば、今まで普通に使っていたお茶碗を、「何でも鑑定団」に出したら、数100万円もする名器であったことがわかり、それ以降、取り扱いに神経を使い、疲れ果てているようなものでしょうか。そこにあるお茶碗は、「何でも鑑定団」に出す前も出した後も、同じお茶碗であるのです。そのようなお茶碗に、私たちは一喜一憂しているわけです。仏教では全てのものは「空」である(一切皆空)、つまり、「全ての認識対象には実体はない」と説きます。実体がないものに私たちは勝手に価値を付け、あるいは勝手な(自分たちに都合のいい)判断をして、それに縛られた生活をしているのです。お金は使えばなくなります。お金を貯めたければ、お金は使わないことです。「有るものは有る。」「無いものは無い。」ただそれだけなのです。「お金はなくてはならないものだ。」「貯金をしておかなくてはならない。」ということは、お金そのものに本来備わっている事柄ではなく、私たちの心に依る判断です。そして、そのような判断をしながら、私たちは生活をしていますし、また、そのような判断なしでは生活は成り立たないでしょう。今回、お祖父さんの死を縁として、お金事情を考えるところがあったようですが、お金を考えながら生活すること自体は、ちっとも恥しいことでも、心が狭い人でもありません。大切なのは、私たちが勝手に付けた価値または判断に縛られ過ぎないことです。少しでもご参考になれば幸いです。
必要なのか 欲しいだけなのか。
こんにちは。ハードオフやリサイクルショップに行くとついつい色々買い込んでしまって中古家具同様、家の中で邪魔にされている中古僧の丹下です。
単純に考えますと人間、必要でないものをあれこれとついつい買ってしまっているだけということがあります。
「それ、本当に生きていく上で必要であろうか。」
それ、本当にそのお金を出して、生活を削ってまで、必要なのだろうか?
したいことをマイナスとして二者択一で考えますと、人間は割と欲望にも勝てるものです。
心の中で「欲しい」より「必要」を優先させなくてはいけません。
欲しい、という欲求より、生きていく、存在していくという実存の方が必要です。
よって生きていくために必要なお金を残すことの方が、欲しいだけのものを買うお金よりも必要です。
必要性を中心にしてみてください。
単純な答えですが、本当に単純なコトを理解することができていなってしまう時ほど人間は愚かしい事にはしってしまうのです。
お金
もりりん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
貨幣経済で成り立っているこの社会においては、お金は良くも悪くも人と密接に関わってくるものとなります。
極端には、お金にまつわるトラブルによって、あるいはお金が無くて命を落とすこともあれば、お金があって命が救われること、トラブルが解決することもあります。
お金自体には善悪はございませんが、それを扱う人の心が常に問題になるのですよね・・その心のありようをどうすべきかが、やはり大切なことになります。
また、よく「足るを知る」ことが必要だとも言われますが、じゃあ、一体、その足るとはどれぐらいだと言われても、人それぞれによって結構難しいものになりますよね・・お金は特に人間の煩悩の三毒の一つである「貪り」にも関係してくるところになりますが、まずはお金の扱いに失敗しないためにも、収支のバランスを調えることと、一定のルールを作って自制を設けることが必要になるのではないかと存じます。
とにかく、お金が使えるのも社会、経済・金融が正常に機能していて、お金を使う人と関われている間だけのことであります。お金は天下の回りもの、できるだけ生きている間に有意義に使っていきたいものでございます。
仏教的にはどう考えるべきかとなりますと、「・・お金の問題は、執着や煩悩の対象となりやすい最たるものであるため、特に気をつけることが必要となります。むしろ、有るならば必要最低限以上のものは、喜捨布施致すことでの善い行いに使って、善業を積むことを推奨することとなります。・・」と以前に述べさせて頂いております。
お金に関することにつきましては、下記の各問いにてもお答えさせて頂いておりますので、またご参照下さいませ。
問い「お金への不安や執着から解放されたい」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1007329735.html
問い「自分より稼いでいる友人との付き合い方が分かりません」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002992854.html
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/お金
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
回答を読ませていただき『なるほど!』と、思う内容でした。
お二人からいただいた有り難い言葉を胸に刻んで、生活していきたいと思います。