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お金への執着を無くしたい

回答数回答 4
有り難し有り難し 47

もともと安月給ですが、特にお金に対して不安はありませんでした。
家にお金を入れたり、携帯や保険などの生活に必要な支払いをしても残金はある。貯金もできてます。
好きな旅行に行ったり、買い物もしていました。

ただ…昨年祖父が亡くなり家のお金事情に深く関わるようになってから不安が芽生えてきました。

あれ?もう給料がない…
これを買ったら残金が少なくなっちゃう…
など、何かとお金を気にして生活するようになってしまったんです。

正直、こんな生活楽しくありません。
心が狭くなったような気がします。
お金に執着しないように生活するには、どうしたらいいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

より魅力的なものに出会うと廃れていきます。

大好きなおもちゃで遊ぶ子供に「そのおもちゃで遊ぶのをやめなさい」と叱っても、子供はおもちゃを離しません。
でも、そんな子供にもっと魅力的なおもちゃを用意したら、自然とそのおもちゃで遊ぶことをやめます。

生きていく上で、お金はとても大切なものです。
あるとないなら絶対にあった方がいいです。
しかしそれよりも大切なものがあると教えてくださったのがお釈迦様です。
私にとってお釈迦様が生涯をかけてお説きくださった教えは何物にも代え難いかけがえのない宝物です。
私はお金が好きですが、仏教の方がもっと好きです。
今は住職としてお金儲けをするよりも、一人でも多くの方に仏法を聞いてもらいたいという気持ちの方が大きいです。

お金以上に魅力的なものに出会えば、自然とお金への過度な執着はなくなります。
それが何であるかは人それぞれです。
もりりんさんが安心して豊かな生活を送れることを願っております。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

私たちが勝手に付けた価値・判断に縛られ過ぎないこと

亀山純史と申します。もりりんさんの場合、もりりんさんを取り巻く状況が変わった訳ではなく、もりりんさんの心の持ち方が変わった訳です。これは例えれば、今まで普通に使っていたお茶碗を、「何でも鑑定団」に出したら、数100万円もする名器であったことがわかり、それ以降、取り扱いに神経を使い、疲れ果てているようなものでしょうか。そこにあるお茶碗は、「何でも鑑定団」に出す前も出した後も、同じお茶碗であるのです。そのようなお茶碗に、私たちは一喜一憂しているわけです。仏教では全てのものは「空」である(一切皆空)、つまり、「全ての認識対象には実体はない」と説きます。実体がないものに私たちは勝手に価値を付け、あるいは勝手な(自分たちに都合のいい)判断をして、それに縛られた生活をしているのです。お金は使えばなくなります。お金を貯めたければ、お金は使わないことです。「有るものは有る。」「無いものは無い。」ただそれだけなのです。「お金はなくてはならないものだ。」「貯金をしておかなくてはならない。」ということは、お金そのものに本来備わっている事柄ではなく、私たちの心に依る判断です。そして、そのような判断をしながら、私たちは生活をしていますし、また、そのような判断なしでは生活は成り立たないでしょう。今回、お祖父さんの死を縁として、お金事情を考えるところがあったようですが、お金を考えながら生活すること自体は、ちっとも恥しいことでも、心が狭い人でもありません。大切なのは、私たちが勝手に付けた価値または判断に縛られ過ぎないことです。少しでもご参考になれば幸いです。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

必要なのか 欲しいだけなのか。

こんにちは。ハードオフやリサイクルショップに行くとついつい色々買い込んでしまって中古家具同様、家の中で邪魔にされている中古僧の丹下です。
単純に考えますと人間、必要でないものをあれこれとついつい買ってしまっているだけということがあります。
「それ、本当に生きていく上で必要であろうか。」
それ、本当にそのお金を出して、生活を削ってまで、必要なのだろうか?
したいことをマイナスとして二者択一で考えますと、人間は割と欲望にも勝てるものです。
心の中で「欲しい」より「必要」を優先させなくてはいけません。
欲しい、という欲求より、生きていく、存在していくという実存の方が必要です。
よって生きていくために必要なお金を残すことの方が、欲しいだけのものを買うお金よりも必要です。
必要性を中心にしてみてください。
単純な答えですが、本当に単純なコトを理解することができていなってしまう時ほど人間は愚かしい事にはしってしまうのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お金

もりりん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

貨幣経済で成り立っているこの社会においては、お金は良くも悪くも人と密接に関わってくるものとなります。

極端には、お金にまつわるトラブルによって、あるいはお金が無くて命を落とすこともあれば、お金があって命が救われること、トラブルが解決することもあります。

お金自体には善悪はございませんが、それを扱う人の心が常に問題になるのですよね・・その心のありようをどうすべきかが、やはり大切なことになります。

また、よく「足るを知る」ことが必要だとも言われますが、じゃあ、一体、その足るとはどれぐらいだと言われても、人それぞれによって結構難しいものになりますよね・・お金は特に人間の煩悩の三毒の一つである「貪り」にも関係してくるところになりますが、まずはお金の扱いに失敗しないためにも、収支のバランスを調えることと、一定のルールを作って自制を設けることが必要になるのではないかと存じます。

とにかく、お金が使えるのも社会、経済・金融が正常に機能していて、お金を使う人と関われている間だけのことであります。お金は天下の回りもの、できるだけ生きている間に有意義に使っていきたいものでございます。

仏教的にはどう考えるべきかとなりますと、「・・お金の問題は、執着や煩悩の対象となりやすい最たるものであるため、特に気をつけることが必要となります。むしろ、有るならば必要最低限以上のものは、喜捨布施致すことでの善い行いに使って、善業を積むことを推奨することとなります。・・」と以前に述べさせて頂いております。

お金に関することにつきましては、下記の各問いにてもお答えさせて頂いておりますので、またご参照下さいませ。

問い「お金への不安や執着から解放されたい」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1007329735.html

問い「自分より稼いでいる友人との付き合い方が分かりません」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002992854.html

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/お金

川口英俊 合掌

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おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

回答を読ませていただき『なるほど!』と、思う内容でした。
お二人からいただいた有り難い言葉を胸に刻んで、生活していきたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ