10年来の友人への執着心が凄くて…
こんちには。
私には10年来の友人がいます。大学は別の大学ですが、今でも家族ぐるみで付き合いがあります。同性です。
大学に入った頃、ずっと一緒に居たせいかその子が居ないことで精神的に不安定になり、毎晩泣いたり、その子に電話したりしていました。
さすがに、このままではいけないと思い、カウンセリングに行きました。洗いざらい話しをしたところ、すっきりして、不安定さは無くなりました。
しかし、それでも連絡をしていないと不安になります。返信がないと嫌われたかなと今でも思ってしまいます。
最近、その子に彼氏が出来ました。自分のことのように嬉しかったのですが、同時にその子の中で一番長い付き合いで、仲のいい人という立場を奪われてしまった気がして、自分勝手だなっと思いつつ寂しく思ってしまいました。
その子が変わっていくたびに、置いていかれるのではと不安になってしまいます。
連絡を取っていないと、繋がりが切れてしまう気がして不安になり、頻繁に連絡を取ってしまいます。
この執着心はどうしたらいいでしょうか。どうしたら、和らげられるでしょうか?
このままでは、友達の幸せを心から祝えなくなってしまいます。
友達の幸せや変化を喜べるようになりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人の繋がりは期間限定。一緒の時を過ごせる時間は限られる
いつも一緒だった友達と会える時間や機会が減っていく。更に、友達に彼氏が出来て、自分と一緒に時間が彼に奪われ、大切な友人が奪われようとしている。確かに寂しいですね。でも、人間として成長し、人生の歩みを進めていく中で誰もが経験していくことだと思います。同じような寂しさを感じる方は多いようです。このhasunohaに「友人と離れていく寂しさ」についての質問が相当数来ております。私も下記の質問に回答したことがあります。
http://hasunoha.jp/questions/677 『無量寿経』に曰く 「独生独死 独去独来」
http://hasunoha.jp/questions/857 誰もが孤独に陥るもの。心開いて周囲の人に接していきましょう。
この世は諸行無常です。出会いがあれば、別れがあります。小中高と学校が変わる度に友達は変化してきたと思います。専門学校、大学へと進めばさらに変化し、就職すれば更に離れ離れになっていきます。何百人と檀家さんをお見送りしてきましたが、死ぬまでご近所で御友人と一緒に過ごしてきた例も無くは無いですが、そんなに大勢ではないですよね。
仏教では、求めても得られないものを求めてしまうことから来る苦しみを求不得苦(ぐふとっく 四苦八苦の一つ)ト言います。今ノあなたの苦しみは、まさにコレだと思います。どんなに仲の良い友人同士でも一生一緒に居られる場合の方が少ないと思います。大部分は期間限定のつきあいになってしまいます。そういうものだと割り切るしかないと思います。学生時代のように毎日顔を合わせ長時間一緒の時を過ごすというのは、期間限定です。期間限定なるが故に、消えていく友情もあります。薄れて行く友情もあります。どんなに友情を大事にしようと思っても続かない場合もあります。
でもね、もう一つ確実に言えることがあります。仮に友人と一緒の機会が無くなっても、今まで育んだ友情の歴史が消えるわけではありません。先日、京都に所用で言った際に大学時代の友人と28年ぶりに会い、旧交を暖めました。ここ15年ぐらい年賀状も交換してませんでした。それでも、お互い近況を語り昔の思い出を語り合い、楽しい時を過ごせました。あなたが友人と一緒の時間が減っても、あなたの友情の歴史が失われることはありませんよ。
質問者からのお礼
ありがとうございます!
歴史が消えるわけではない…そうですよね!
その言葉で、かなり気持ち的に楽になったような気がします。これから先、お互いが成長して会える日を楽しみにしたいと思います。