恨み言を許して下さい。
実の親から「愛されなかった」「感じ方を否定された」という意識が根深く染み付いているせいで、「あるがままの自分を肯定してくれる存在」を求めてしまいます。
本来であればそれが母親の役割であると考えるのですが、母は社会性や秩序を重視するのに対し、私は自分自身が無理のないことを重視する気質であるため、母にとって私は「愛せない人間」になってしまいました。
母も人間ですので、私を愛せないのは仕方のないことだと理解出来ます。しかし、子供の頃に満たされなかった「愛されたい」という気持ちが行方を失っています。辛いことがあっても「気のせい」だと私の感じ方に問題があるように仕向けられて来ました。
向こうはこちらと対話を望んでいるようですが、もうそんな気にもなれません。何を言っても、気がつけば私の方が悪いようになっていくからです。
「母親から愛されたい」という欲望を無くしたいです。実母からの愛情はもう期待出来ませんししません。
問題なのは、
・感じ方を否定されて育ったため、自分の判断に自身が持てない。いつも自分が悪いように思ってしまう。
・「子供」の欲望が満たされていないため、言動が時折年齢不相応になる。
・「気のせい」と言われない位の不幸を背負い、自分を被害者に仕立て上げようとする。
等です。
実際、私自身は就職やアルバイト等、「秩序社会」において価値のある存在に未だなれていないため、「秩序」を味方につけた母の方に常に「正しさ」があり、私は「正しさ」を得ることが出来ません。それが更に卑屈に拍車をかけ、卑屈な態度を母が不快に思い……の悪循環です。
自分の人生を「母のせい」にしているのだろうとは思います。しかしこれでは心が満たされません。私は心が満たされないとまともに動けない人間です。これはただの我儘でしょうか?
「秩序」は自分を壊してまで守るべきものなのでしょうか? もしそうであるならば、私は「この世界」では生きて行けません。
「生きているだけで愛される」を信じることが出来ないがために、「生きること」を尊く感じられません。減点方式で育ったため、「自分を制御出来ない人間は生きてべきではない」とさえ思ってしまいます。
「私を愛して」「私を許して」の叫びが絶えることはありません。叩けば出る埃のように、恨み言が付きません。頭の中がごちゃごちゃです。どうして? もっと自分を統制しないといけないのに。

有り難し 11

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