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根が深い恨みに触れてしまって

回答数回答 1
有り難し有り難し 6

私の父が今、手術をして闘病中です。
私は父母妹のいる地元から離れたところに嫁いでいます。
2週間前に地元に行って家のことなどを片づけ、父の容態が上向きとなり帰ってきました。

最近私は妹に、さらによくなった父が転院しリハビリに入ることを電話で聞きました。詳しい話を聞けて、「お母さん今日明日は忙しいはずよ」と言われたのでその日母にまでは電話し直しませんでした。
その翌日、電話をしないことに対して薄情だというようなメールが母から届きました。私は、子どもが熱を出したりしてちょっとバタバタした週だったのだと返信しましたが、母の様子がちょっとおかしいので、夜改めて謝罪をしました。

母は、私が薄情だ、母の母(私の祖母)の葬式のときのお前の言動には今でも涙が出るほどくやしい、そんなお前の薄情さが父の容態を電話で聞いてこない行動につながっているのだ、お前の義母もお前の薄情さを知っているし、私の姉(おば)も同意見だということをまくしたてました。

私は、「私にどうなってほしくてその言葉を言うの?」と母に聞きました。母は、謙虚であれとか、もっと心配しろというようなことを言い、そのあとは父の容態や家のことなどの話をしました。母が話し相手がほしかったことはわかったし、電話してあげればよかったと思いました。
私はそのとき、「コールセンターのクレームのプロみたいな感じでこの電話納めてやる、ガチャ切りはすまい」とイメージして会話を続けました。

そのあとつらくなりました。
血のつながった尊属のお葬式にどんな気持ちで臨むかは、自分の中にしかないと思うのです。
母は、祖母が胃ろうで、拘束着で寝たきりでも、もっと生きていてほしかったと泣きました。私はそれが、母の真実だと思います。
でも、私は祖母が99歳で亡くなって、お顔もきれいで、きちんと別れよう、心を込めて、忘れないようによく見よう、そう思ったし、尊敬の意味を込めて、葬儀の場で肯定的な感じの文法で話してしまったかもしれない。
孫としての私の別れ方が母を傷つけて、今父がベッドにいるこのときにその恨み言を開けてやろうと、母の心の引き出しにしまってあったことがショックでした。

孫として祖母と対峙したお葬式の言動を、母にジャッジされていたことが、どうしてだかすごく、尊厳を傷つけられた気がして、母には言い返さないし謝罪したけど、密かに苦しいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

非難されない人は居ない

お釈迦様の言葉です
「人々は沈黙する者を非難する。多く語る者をも非難する。少し語る者をも非難する。世間に非難されない者はいない」

あなた自身が間違ったことをしていなくても、ちょっとした言葉や行動が誰かを傷つけることもありうることですよね。
人って難しいね。

仏教では私たちが今生きているこの世界は、苦と迷いの世界であると説きます。
世界の理(ことわり)を理解しない(無明)人々は、あれこれと思い悩み、感情に流され、凡夫になりさがって苦しみがやむことがありません。

羊さんのお母さんも、ふとしたきっかけで怒りの炎がメラメラと盛り上がってしまったまま、その火を消し去ることが出来ずにあなたに辛く当たってしまったのは、無明ゆえのことだと想います。

羊さんも色々言われて辛いと思いますが、たぶん、お母さんも苦しいんだと思うよ。
その苦しみから逃れるには、自分の心を客観的に眺めて、今自分が執着している物や事から離れるように努めるしかないのではと思います。
でも、あなたがそれを指摘しない方がいいかもね(^_^;
かえって火に油を注ぐことにもなりかねないし。
黙って、本人が気づくのを見守りましょう。

仏教では修行のひとつに「忍辱」(にんにく)というものがあります。
読んで字の如く「耐え忍ぶ」ことによって「陰徳」(人に知られることなく徳を積む)をつむ修行です。
どのみち人はみないつか死ぬんだから、悔しい思いも,苦しい想いも、命が尽きてしまえば、ぜ-んぶ霧散してしまうんですよ。

今は静かに耐えましょう。
お母さんとの関係性は、きっと時間が解決してくれると信じましょう。

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有り難し
おきもち

様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
林 浩道 様

母が、理路整然と話せないくらい苦しんでいるんだなあということ、あらためて想像できました。たぶんもう本人もよくわからないまま暴言を吐いているんだと思います。電話の最後には機嫌をなおして「親子とはこのように言い合うことがあっても続くのだ」と言われました。私は「続けたくないよ」というところまで落ち込んでいたので、お言葉に救われました。
母が私に対して歯がゆいのは、「親の生に執着していない」ということだと思います。でも、「もっと親の命に執着してほしい」とあからさまに思っている人を満足させることは難しいし、私自身が自分の子どもに全くそうは思っていないので、そこがドライに見えるのだと思います。
ハスノハを閲覧させていただいていても、「自分や周囲の命を失うのが怖い」と常日頃思っている人もいれば、意識しない人まで、その死生観が様々だということがわかります。「どのみち最後はみんなお墓だなあ」と私が諒解したとして、そのこと自体が母を怒らせてしまうんだと思います。
母に言わないで、ただ自分の心を落ち着かせる。林様のお言葉がほんとうにありがたかったです。

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