他人を苦しめる人が得をするのは何故でしょうか?
お忙しいところ恐縮ですが、長年どうしても気になっていることがあり、僧侶様方へ質問させていただきたく思います。
タイトルに関することの例として、エピソードを一つ挙げさせてください。
私事になりますが、幼少期より十数年間いじめに遭っておりました。主にクラスメイト全員と教員からです。
(悪口、陰口、暴力、暴言、物を壊す、無視、仲間外れ、等)
非常に苦しく、辛くて辛くて死んでしまいたいほどでしたが、そのときの影響が現在も強く残っております。
その経験も含めた心身の苦痛のために、通常の生活が送れておりません。
当時、虐める側は、何時でも何処でもとても楽しそうでした。
直接虐めに関わらず、見て見ぬふりをしていた子どもたちも、皆で仲良く楽しく過ごしていました。
一方で私は、良かったことなど1度もありません。
そして偶然、最近その子達の現在を知りましたが、相変わらず楽しそうで、仕事も遊びも人間関係もそれ以外も、充実している人ばかりでした。
「周りからそう見えても本人は違うかもしれない」ということはわかります。
しかし仮にそうだとしても、彼らは過去や今の私よりも、ずっと良い日々、人間らしい社会生活を送っていることは確かです。(詳細は伏せさせていただきます)
私に関する虐めだけに限りませんが、私には、他人を貶める人たち(性別年齢問わず)が何に関しても得をして、楽な思いをして生き続けているように見えます。
一方で苦しめられる人たち(〃)は、他者に散々踏みにじられた後も、ずっとずっと苦しみ続けているように思えます。
何故でしょうか?
自分がしたことは良い事も悪い事も返ってくると何処かで聞きましたが、結局は弱肉強食なのでしょうか。
一生、人間として扱われず、踏み台として耐え続け、使い古されたボロ雑巾となり死ぬのでしょうか。
「いつか良いことがある」なんて言葉は、今の私にはもう信じられません。
今すぐ終わりを選びたいです。
有り難し 26
回答 1