隣の芝生が金色に見えてしまいます。
よろしくお願いします。
よく、「隣の芝生は青い」
という言葉がありますが、
私は青いどころか金色に見えてしまって、今の自分自身が嫌いになってしまいます。
「人生は選択の連続」という言葉もあります。
他人の人生がうらやましく見えてしまって仕方がないどころではなく、自分が選んだ結果、今進んでいる道、これまで進んできた道よりも今とは全然違う道を歩いている自分のほうが幸せだった、幸せに違いないと思ってしまいます。
自分で書いていて思ったのですが、今とは全然違う道を歩いている自分はもはや自分とは呼べないかもしれません。
さらに自分自身の性格を考えると、今とは違う道を歩いている自分がいたとしても、別の自分は今の自分をうらやましく思っているかもしれません。
他人がうらやましく見えてしまって、今よりももっといい場所があったかもしれない。
いつもそんなことばかり考えてしまって。毎日を楽しめません。
どのような心構えで毎日を過ごせばよいでしょうか。
仏様の教えやアドバイスをぜひお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
諸法無我です
全てのものは、それ単独では存在できず、その周囲によって存在しています。
諸法無我といいます。
あなたが存在するのも、隣の金色の芝生でさえ間接的に影響しています。
隣の金色の芝生が無ければ、今のあなたは存在していないのです。
ですから、周りのことを全て受け入れるしかないのです。それが、今の自分の存在を受け入れることに繋がります。
全てを受け入れてください。
隣の芝生が金色でよかったと思ってください。
とは言え、やはり羨ましい時もありますよね。
私もそうです。
そんな時な、今の自分に与えられた役目を果たせばいいんだと思いましょう。
諸法無我ですから、人は周囲と繋がっていて、繋がりの中で人にはそれぞれ役目があるのです。
あなたにはあなたの役目が、私には私の役目が。
隣の人には隣の人の役目があるのです。
その中で、自分の役目を果たせばいいのです。
自分の役目を果たすために存在しているのです。
隣の人には金色の芝生を管理する役目があるなら、あなたには枯れ果てた芝生を青く再生する役目があるのです。
あなたの役目をただコツコツと懸命に前向きに果たしましょう。
あなたの芝生に水を毎日あげましょう。
そうすることで達成感や自信や生き甲斐やその他色々なものが芝生から芽生えてくると思います。