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幼稚園で虐められているようなんです

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はじめまして
5歳の息子が幼稚園の同じクラスの子から毎日のように叩かれるみたいなんです。
息子は『やめて』と言うそうなのですが、それでも叩かれるみたいで、幼稚園に行きたがりません。
1人の子だけならともかく3人に囲まれて威嚇までされて叩かれているみたいです。
先生は気付いていなかったようで、息子がなんで幼稚園を休んでいるか分からなかったみたいなんです。

私は息子から叩かれていることを聞いたときに『叩き返したら?』と言ったのですが、息子は『叩きたくないし、叩かれたくない』『幼稚園に行かない!!』と言っています。
夫は『嫌なことから逃げるのは許さない!!』と言っています。

このままではこれから先の学校生活でイジメられるのではないかと不安になります。

空手など習わせて心を強くしてもらいたいのですが、息子自身にその気持ちがありません。

どうしたらいいでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

直接乗り込んで見張る

乗り込んでください。
我が子を守れるのはあなたしかいないからです。
「子どものケンカに親が出てはいけない」というのは「親父の小言」のようなもので絶対的真理ではありませんし、お釈迦様が言ったわけでもありません。その幼稚園がどういうシステムであっても我が子を守る権利は誰にでもあります。
先生に事情を話して様子を見守るか、親の権利として幼稚園に困ると言われようが何だろうが、入り込んであなたが安心するまで様子をみて、お子さんを見守っていて下さい。本気にならなければだめです。
保育士・先生も「子どものケンカなんてどうせ…」程度にしか思っていない人もいます。
細部にわたって目が行き届いている訳ではありません。
イジメ現場を目撃したらある程~度、様子をみて(辛抱)、いざやり過ぎだという時にその子をみんなの前であっても本気で叱ってください。
子供たちは自分たちがやっていることがよく分かっていないのです。
だからこそ、そこで大人が教えるべきなのです。
子供たちにそれは悪いことであると弁えさせる。
わが子には「ああ、ママは僕を守ってくれるんだ」とそこで本気の愛を示す。
私は、うちの子をよく叩く体の大きな子供がいたのですが、幼稚園に乗り込んでしばらく様子を見ていました。あなたにとっても我が子は可愛いでしょう。可愛くてしょうがない。何かあったら気が気じゃない。それは誰でも同じですが、いくらわが子でも、その人生を歩むのは当の本人様なのです。
だから冷静に距離を持つ。まず、その気持ちを持ってください。
一対一でしたので、決着がつくまでやらせました。
数日間見守っていました。本当によく叩くどうしようもない子供でした。
その子があまりに叩き過ぎな時は「やりすぎだ!」とその子を叱りました。
トラウマになって弱い子になってもイカンからです。
最終的にその子が顔面パンチをしてうちの子が泣いたので、そこで「それまで!」終わりにしました。子供たちにある程度の決着をつけさせるのです。
そこからが親の介入です。
「お前たちは何をしたいんだ。どっちかが痛い思いをして何が楽しいんだ。みんなを見てみろ。楽しく遊んでいるのにケンカしてるのはお前たちだけだぞ!云々」
すると、子供は言いたいことを自分たちなりに言葉にしますから、そこからどちらもお互いに謝らせればそこで解決します。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

子供を信じることは、あなた自身を信じること

もうすぐ40、3児の父僧侶です。

あります。あります。
そういうこと。

ちょっと過剰反応気味かと…
いくらでもこういうことこれからあります(*^^*)
Don't Worryですわ。

先生と子供さんをもっと信じましょ(*^^*)

まずは、先生にはお伝えしときましょう。
きっとそういうことが続かないようにしてくださいます。
あちらはプロですから、尊敬と信頼の念で預けましょう。
その方が先生も仕事がしやすいそうです。

で、お子様の対応。
まだ5歳やから、
「いそいで強くなれー!逃げるなー!」
は早いかもです。

まずは、時間をかけて親子の信頼関係を固めるべし
子「おかん、やばい、助けてくれー」
母「何ぃ?びびってたらあかんよ、叩き返しー!」
は子の欲しい答えではないんです。
母「そうなん、そうなん、嫌やなー、かなわんなー」
子「おかあちゃん、分かってくれるやん、ここはマイホームやな」
と家でしっかり充電したってみてください。
これは甘やかしとは違うと思います。

『んー、家は元気になるなー』とか
『家族はお互いが、かばいあうもの』という心作り
強くなる以前に大切な心作りです

ここを、すっ飛ばしてしまうと、
かえって「引きこもり系」の温床になる気がしてます。
段階があると思います。ゆっくり、ゆっくりです。

心を強くする=空手
これもせっかちな発想やと思います。
お気を悪くされませんように(*^^*)
空手しなくても、心は強くできます

何よりも、
「これならばこう」
「こうなったらこう」
といつでも、子供の成長のスピードよりも先に手をこうじてしまうスタイル
これが、地力・自力を損ねるような気がします

もっと、子供を信じてじっくり成長を見守りましょ

あなたも、あなたの旦那さんも気が強そうです。
だから、ダイジョブ。ダイジョブ。
悲しいくらい子は親の分身。
きっと強い子になられます。

『子供を信じることは、あなた自身を信じること』
です。
ボチボチ行きましょ、先は長いですから(*^^*)

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有り難し
おきもち

高野山真言宗 西室院 住職 神戸・阿字観実修会 主宰 ・高野山真言宗 布教師 心得 ・高野山真言宗 阿字観能化 心得 ・高野山真言宗 兵庫支所 青年教師会 会長 ・神戸真言宗連合会 理事 ・KOBE ファミリーフェスティバル 代表 趣味: DJ 和太鼓 蕎麦打ち 街歩き 地域振興行事

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

幼稚園の方と話をして子どもが安心して登園できるまでは教室の後ろで見張ってることにしました。

夕涼み会には親も一緒に行けるので子どもと行った時に、叩いてた2人の親から謝罪は受けました。

幼稚園を休むようになる前からも心に闇を抱えてしまっていたのか、ゲームで悪者ではない相手を殺していたので、この先が心配になってます。

親子の信頼関係ができないからそうなってしまうのか悩みもあります。

煩悩スッキリコラムまとめ