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戒律を守ること

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仏教の教えには「戒律」がありますが、なぜ守らなければいけないのでしょう?

私は一般の会社に勤めていますが、戒律を守る僧侶に憧れがあります。
自分も僧侶になりたいと思う気持ちがあります。
でも、なかなか一歩が踏み出せません。

以前、出家者の結婚について質問した時に「結婚しても修行はできる」「あなたの仏教に対する理想」「仏教学屁理屈」とご指摘頂きました。
正直、とても頭がこんがらがってしまいました。
在家者の五戒・出家者の十戒という明確な戒律があることは、何の意味があるのでしょうか?
守ること守らないことで何が変わるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あるがままに

戒は、大切です。

仏様とのお約束、自分自身との約束だと、考えてみてはいかがでしょうか。

御釈迦様の遺言も、他はともかく 戒(波羅提木叉)を、まもりなさい。 でした。

戒は、沢山有りますが、せめて一戒でも、まもろうとする生き方が大切なのでないでしょうか。

五戒の第一が、不殺生戒です。命をいたずらに奪ってはいけない。

全ての命がかけがえのない命です。

モーゼも、十戒で、殺してはならないと、有ります。

殺さず捨てず、人もものも、全ての命を生かす。

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長谷雄蓮華 (ラジ和尚)
ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市...
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人生のナビゲーション

なぜ守るのか、ですが「悟りをひらくため」と「集団生活を送るため」です。
会社にお勤めでしたら、仕事を通して社会貢献するための「主義、信条」のようなものと、会社内で、スムースに仕事を進めるための「ルール」のようなものがありはしませんか?

戒律を持たずに毎日を過ごすということは、すべての判断を自分自身で行うということで、それはそれで厳しいものがあります。地図もナビゲーションも持たずに知らない土地で目的地へ向かおうとするようなものです。※もちろん、地図もナビも使いようではあります。

「正直、とても頭がこんがらがってきた」とあり、ちょっと心配です。例えば、毎日楽しく生きようとして、まったくおもしろいとも思わない「笑顔の作り方教室」に足を引きずりながら、通うのはなんかむなしいですよね?

また、シャ家族さんのように僧侶に憧れる方がいるのは、大変うれしいことです。しかし、僧侶とは苦しみや悩み、何よりも人間に向き合い続けるものです。その覚悟をすることが大きな一歩だと思います。つまり人間嫌いの人はあまり向いていないと私は思います。いかがでしょうか。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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戒律を守り続ければいつか仏になります。

戒律を守るのは「仏になる為」です。
守り続ければいつか仏になります。
莫大な時間がかかりますので、輪廻をしながら修行していきます。
生死を繰り返しながらずっと修行していくのです。
戒律を守れば来世も人間に生まれることができるので修行が続けられるという論理です。

故に戒律を破れば三悪道に落ちるので修行はできなくなります。
すると退転し積んだ徳は0になります。
そうなると、また人間に生まれるために五戒を守る事から始めるのです。

これが「仏道修行」です。
今生のいのちだけで語ることはできません。
想像を絶する長い時間がかかることです。

そして今の時代は末法です。
末法で仏になることは極めて難しいことです。
だから弘法大師様は末法の時代に仏になることを諦めました。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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戒律には暴走の歯止めの役割もございます。

シャ家族様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

出家者の結婚につきましての疑問、誠にその通りであるかとは存じます。

妻子帯につきましては、下記の各問いにて扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/妻子帯

もちろん、妻子帯してしまったからといっても仏道が前に進めれないということは無いかとは存じます。それは、妻子帯しないほうが仏道を進むスピードが上がる人もいれば、そうでもない人もいるという程度であるかと思っております。

また、現代日本仏教における世襲の慣習が強くある寺院の悲しい現実もございます。拙生も妻子帯してしまっておりますが、それでも何とか少しでも仏道を前へと進めるべくに精進努力をして参りたいと存じております。

また、戒律につきましては、下記の各問いにても扱わせて頂いて参りました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/戒律

問い「お布施のお礼と仏・法・僧」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1009294659.html

「・・戒律や慣習、作法というのは、ある一定の守るべきルールのようなものとなりますが、その時々の時代や僧伽集団の性質、状況、環境等にも合わせて、お釈迦様や後世の弟子たちが仏道を歩むために適宜に設定されていかれたようなものであり、それが逆に囚われや拘り、執着となるようなものとなってはいけないこととなります。ですから時代、時代の状況の変化の中で、何が仏道を歩むために最善の方法となるのかをしっかりと見極めながらにも、必要なものと不必要なものを取捨選択しつつ、適宜に進めていくことが肝要なことになるのではないかと存じております。・・」

更に、戒律は、暴走を防ぐためのブレーキであるとお考え頂けましたらと存じます。仏教の方便の教えの一つとして、「全てが元々既に悟っている」的なものがございます。例えば、その方便の教えの解釈を誤ってしまえば、別に戒律を守らなくても、善徳行に励まなくても構わないことになってしまいかねない恐れが常にございます。そのような暴走の恐れの歯止めの役割もあるということでございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

釈心誓 様
ありがとうございます。
修行の道は困難ですね・・・

川口英俊 様
ありがとうございます。
暴走を止めるためというご指南は初めて聞きました。
たとえ戒律が守れなくても暴走する歯止めにはなるのですね。

増田俊康 様
ありがとうございます。
「悟るため」と聞けて正直ほっとしています。
現代の僧侶は悟りを求めているのかと疑問を持っているからです。
戒律を守って悟りを目指してください。
またご指南下さい。

長谷雄蓮華 様
ありがとうございます。
守ろうとする生き方が大切というご指南、よくよく受け止めていきたいと思います。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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