学校
私は中学生の時に友達から八方美人と言われたことがありそれ以来気にするようになりました。
その事で問題がおこり一時友達が私を嫌うようになりました。しかしその問題は相手が私に対し一方的にしてきた事なので私は特に悪くないと先生に言われました。
それ以来八方美人をやめる努力をしました。3年くらいかけて。しかしもともとの性格なのでいざという時には八方美人がでてしまいます。
ただ中学の時の傷は未だに癒えてないです。
八方美人はそんなにいけないのですか?
まったくわかりません。
それ以来私は友達を信用出来なくなりました。新しい環境になりできた友達も信用してないわけじゃないが、どこかしてない感じがします。
しかし過去の出来事が、どうしてものこっています
どうしたら再び友達を信用できるのでしょう?
そして仲のいい友達にイライラすることがあります。その子は仲の良い友達ですが、優柔不断なので、決め事の時にはとてもイライラするんです。
どうすれば良いでしょう?
わたしは不安になることが沢山あります。
いつも情緒不安定な状態です
もし友人に無視されたり、はぶられたら、など。
そんなことを考えたり、過去のことを思い出すと自分がいなくなりたいと思いました。
生きてる意味がわかりません。
内容がバラバラですがアドバイスなど頂けると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悩みこまず、でも考えていきましょう…
過去のお友達とのトラブルに悩んでおられるのでしょうか。
と、言うより「友達に仲間はずれにされたくない。仲良くしたい」というお気持ちかと拝察致します。
それらは結局今の自分への頼りなさ、自分に自信が持てないというお気持ちの表れかと存じます。
かといって、自信など簡単に生まれるものではありません。
何かお好きなこと、また何かに興味はありませんか? それらを見つけ、熱中されるのはとても良いことだと思います。もちろん口で言う程簡単なことではありませんが…勉強でもそれ以外でも、何かに集中する、熱中することがあなたにとって、とても大切な有意義な時間になると思います。
仏教では執着を離れることを重視します。あなた自身が自分の思い・悩みに執着することから離れよ…と説く教えです。
悩んでも解決しません…考えることが大切です。
考えるには考える材料がたくさん必要なのです。それは読書や、また様々な経験から自分で手にするしかありません。
どうか、考える材料を手に入れて下さい…それをもとに自分で考える。そこに「あるべき自分の姿」への気付きが生まれます。
仏様もそんなあなたを応援して下さいますよ。
自主性
八方美人のこと
決断出来ない友人に対すること
過去の傷(友人に対する不信)
上記3つが大きな不安要素と思いました。
八方美人になる要素は誰でもあると思います。自分をよく見せたいからです。それが行き過ぎると、周りの人がバッシングします。出る杭は打たれるということです。いい加減(適度)な行動をすることをお薦めします。
決断できない友人に関しては、あなたに決裁を求めているということですか。それとも意見を求めているのですか。あなたならこうするという姿勢をハッキリ示すといいと思います。あなたがハッキリすると、相手も分かってきます。
過去の傷が友人に対する不信に繋がるようですが、それは清算しなければなりません。過去は戻れない時間です。過去のことを清算出来なければ、現在の問題も清算出来なくなり、それが積み重なります。家の中のゴミのようなものです。そうすると、自分自身がいっぱいいっぱいになり、何かと前向きな考えが出来なくなります。
過去にこだわるのは止め、一つの事例としてとらえ、自主的に決断する能力を養って下さい。これからもたくさんの事例が生じてきます。それらに対して、心を落ち着けて(禅定)正しい対処(正思惟)をすることが大事です。
生きている意味は自分らしく生きると自ずと見えて来るはずです。