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動物虐待

回答数回答 3
有り難し有り難し 124

こんにちは。
最近、未成年だから身元が割れないと思い未成年の子供達が力も無く生きる術も人間をたよわざる得ない小さな動物の虐待が増えて来ています。
今もSNSで安否確認して、レスキューしようとしている方が居ます。
絶対助けたい。

私は元々、動物が大好きで小さな頃から一緒に暮していました。
親達が
「犬は外!」
と捨て犬だった犬を庭に係留しようとした時に…。
私は家の中から、自分の枕とお気に入りの毛布を持って来ました。
「じゃあ、私も外!だって、この子は私の妹だもん!」

毒親の実父、初孫に甘い祖父、動物が好きではないが孫の言う事には従う祖母…絶句。

こんな行動を起こした物ですから、あの時代にミックス犬のお座敷犬になりました。
留守番が全く出来なかった私が、犬と一緒なら平気と留守番できるようになりました。
その犬も最後は、毒親の身勝手な再婚で何度も保健所行きになりましたが、私が全部阻止して親戚の叔母の家にお願いしました。
寿命を迎えて昇天してしまいましたが…。

今も私は沢山の犬猫、小動物に囲まれて暮らしております。
世話は大変ですが、それ以上に幸せと楽しみを浴びるように貰って居ます。
(たまに派手な悪戯されてしかる時も有りますが)

動物を虐待した愚者達の魂
       と
動物を慈しみ可愛がり大事にして来た者の魂

これはどういう風になるのでしょうか?
天国と地獄、そんなありきたりな言葉では無く…。
詳細にどうなるかとか、魂の浄化?的な事はどうなるんでしょうか?
因果応報などと言う言葉も有るので、気になるんです。

私は動物保護(自分の出来る範囲)をしていますが、動物からの見返りなんて求めておりません。
一緒に居るだけで幸せです。
が、肉食をする人間と菜食主義の私。

色んなとこで、【殺生や虐待する他人】と違うはずと思ってお坊さんに質問を出させて頂きます。
宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

動物ばっかり愛するのも執着

動物だって肉をたべます。
自分になつくのはカワイイ。
意見の違う人間はキライ。
私がうまく関われるものだけ、好き。
動物を愛せる心は正義。
それに反する奴はみんな敵。
そういう理由からの動物ラブは、かえってあなたを損ね、狭い考えに陥らせるのではないかと、私は心配しています。
動物や植物というものは見返りがないからこそ純粋に、条件なしに愛せるものです。
そんなアナタに私はあえて人間を愛する努力もして欲しいと思います。
モチロン動物もかわいがりながら。
そこで学びながら。
(ちょっと変わった角度で回答するのが私の特徴ゆえ)
犬猫だってソソウをする。
スズメバチだって、人を刺す。守るものがあるから。
ムカデやゲジゲジだって、人を刺す。身を守るために。
人間だって、あなたの親のようにそそうをする。毒もはく。何かを守らんが為に。
アナタの好きな犬や猫だって、噛みつき、ひっかくところもある。
ニワトリだって、人間の嫌う虫も食べてくれるけど、虫にとっては「お父ちゃんをたべないで」という視点もある。
アナタだって自分の親から身を守らんが為に攻撃的になる。
これらって、どことなく、共通するものが見出されませんかね。
いま世界も色々な争いが起こってますよね。
あなたも怒っていますよね。
これってどこか共通していると感じませんか?
ちょっと、考えてみてください。

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動物虐待をしていないと考えている人が多い。

「動物を虐待した愚者達」と「動物を慈しみ可愛がり大事にして来た者」とおっしゃっていますが、動物ってどこからどこまででしょうか?

仏教では全てのいのちが等しく尊いのです。
全てのいのちに慈しみを持てるのは仏様だけです。

『観弥勒菩薩上生兜率天経』というお経にこんな話があります。
ある所に長い修行をしても悟ることができなかった行者がいました。
肩を落として道をあるいていると、道端で倒れている犬を見つけました。
近づいていくと、犬の足は怪我をしていてそこには蛆虫が湧いていました。
行者は犬を助けるため蛆虫を取り除こうとします。
そこで行者は気づきます。
犬から蛆虫を取れば蛆虫は死ぬ。
蛆虫を取らなかったら犬が死ぬ。
行者はどうすればどちらも助かるかと考えます。
そして自らの太ももをナイフで切り裂き蛆虫を移すことにしました。
指で取れば蛆虫を殺してしまうかもしれないから、舌を使い一匹ずつ移しました。
そのとき目の前に弥勒菩薩が現れて…

というストーリーです。

仏教でいう動物を大事にするということはこのレベルの話です。
ペットが好きだ、動物が好きだという感情はとても素晴らしい感情だと思います。
しかし、それだけで死んだ後の行先が変わるようなことはありません。
害虫・害獣は駆除し、お肉を食べ、医療を受け、化粧もする。
※医療や化粧品でどれほどの動物が殺されているか調べればすぐ分かります。

仏様からみたならば、動物が好きとか虐待してるとしていないとか、大して差のないことです。
当然動物虐待はするべきではありません。
しかし、それは道徳の上での動物虐待であり、仏法で考えればみんな動物虐待しているのです。
私たちはみないのちを等しくみることなど到底出来ない浅ましい凡夫であります。

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おきもち


始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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弱き者の視点に立てるあなただからこそ、出来ることがある。

寿美礼さん

“動物を虐待した愚者達の魂
       と
動物を慈しみ可愛がり大事にして来た者の魂

これはどういう風になるのでしょうか? “

このことがあなたの主たる問なのかと思いますが
魂がどういう風になるのかは私には分かりません。
ですので、お答えは出来ないのですが

感じたところを応えさせて下さい

あなたは人並み外れて動物虐待を許せない
高潔な精神だと思います。

それと同時に
“動物を虐待した愚者達の魂
       と
動物を慈しみ可愛がり大事にして来た者の魂“

“肉食をする人間と菜食主義の私”

自分を正当化し、他者に攻撃的になってしまうところがある
それはなぜでしょうか?

こういうところを紐解いていけば
なにかしらの解放につながるのではないかと思います。

寿美礼さんあなたは

毒親という言葉を使用しているところから考えると
幼少期に親から虐げられて自分の存在に疑いを抱いていた。

しかし捨て犬を助け、育てることで
自分がいなければこの子は困ってしまうという
自分の存在の根拠を得た
捨て犬を助けながら助けられていた

自分に存在の根拠を与えたくれた
小さい動物たちを守りたい、そして傷つけた人間に罰を与えたい
また
幼少期に傷つけられた小さい自分を慈しみたい、そして傷つけた親が許せない

守りたいという高潔さと
許せないという攻撃性はここからきているのではないでしょうか

もしかしたら小さい動物と幼少期の自分を重ね
虐待者と親を重ねているのかもしれませんね

ですので、
か弱い存在には寄り添い助けてあげて下さい
それは寿美礼さんにしか出来ないことかと思います。

ただそういう自分は正しくて
そうでない人は間違っているという思いは、
分断を生み対立を引き起こしてしまいます。
それは本位ではないはずです。
傷つける人も誰かから傷つけられているのかもしません。

どうしたら一緒にいられるのか
なにが対立を引き起こしているのか
そこ見定めていく

弱き者の視点に立てるあなたなら出来ると思います。

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有り難し
おきもち


質問者からのお礼

御回答ありがとうございます。
じゃぁ、どうやったら…。

愚かな人間を私が好きになれるのでしょうか?

会話しても、低能な事ばかりで自分勝手で我儘を聞かされる。
相手が何故この世に生まれて来て、何の御役目をしているか不明になって居ます。
それに私は4歳から肉食を止め、途中までは医者の嘘に騙され少量を泣きながら食べていました。
今は完全に食べていません。

「お前だって動物実験の化粧品を使って居る」は心外です。
全部調べて、不使用の物を使って居ます。

私には、愚かしい人間の行為が理解出来ません。
どうして動物に苦しみを与えて、私利私欲の為にしか動かないのか?

私が変なのか?

か弱き者の為なら、いくらでも牙は剥きます。
人間なんて裏切るのが当然。

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昔出会った子猫のこと

5年以上前の話なのですが、田舎で一人暮らしをしていた頃、仕事帰りの道端で子猫に出会いました。 子猫が突然私の原付バイクの前に飛び出してきたので思わずとまると、原付バイクの下に潜り込みました。 捕まえて顔を見てみると、とてもとても可愛らしい小さな子猫でした。今でも鮮明に覚えているくらい愛らしかった… しばらく辺りを探しましたが親猫は見当たらず、連れて帰ろうかどうしようかしばらく悩みましたがいるかもしれない親猫と離れ離れにしてしまうのは悪いと思い、 元いた草むらの道路から離れた場所まで連れて行きました。 何度かついてこようとしていましたが、振り切って帰ってしまいました。 現在私は地元に戻り、家庭を持ち母親になっています。 随分昔の出来事ですがいまだにふと思い出すのです。 あんな小さな子猫を放って帰ってしまった事、 親猫は見当たらなかったのだから保護してあげるべきだったんじゃないか、 運命のような出会い方をしたのに、救ってあげる運命だったかもしれないのに救えなかった事、 あんな可愛い子猫は見た事がなかった。 無事に生き延びただろうか ふと思い出して悲しくなり、自分を責めてしまいます。 その頃は自分がとても辛い時期であり、救ってほしいと毎日思っていたのにその子猫に対しては救う事をしなかった自分が嫌だなと思います。 子猫に当時の自分を投影しているから今でも救ってあげたいと思うのでしょうか。 しょうがなかったと思うようにしても忘れられません。 ただただ元気に生きていて欲しいです。 ごめんなさい。

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ペットを虐待していたことを後悔しています

初めまして。 早速本題に入りますが、私はペットのうさぎ(便宜上、以降は"うさこ"と表記します)を虐待していました。 うさこが我が家に来た当時、私は学校で嫌がらせを受けていました。 悪口や陰口、ばい菌扱いなど、他愛ないものでしたが、その当時は深く傷ついていました。 そのときの状態を、私の親は「精神的におかしかった」と話しています。 そのときの私にとって、うさこは数少ない私の友人であり、家族といっても過言ではありません。 しかし、そんな支えになってくれるうさこを、衝動的に虐めてしまったのです。 うさこと一緒に遊んでしばらくすると、頭がボーっとして、気づいたら他人がうさこを虐めているのを画面越しに見ているような感覚になっていました。 ここでは詳細は省かせていただきますが、すごく酷いことをしてしまいました。 うさこは今では8歳のおばあちゃんになり、幸い大きな怪我はなく、元気に過ごしております。 今も指をなめたり、頭を撫でてとおねだりしたり、ご飯の時間には私や家族の後ろをとことこついてきます。 人なつこく育ってくれてほっとしたと同時に、このままうさこの近くにいてお世話をしていいのか分からなくなります。 私は今でこそ通院して、大分落ち着いたとは思いますが、行動の節々にまだ残虐性と衝動性が残っていると感じることがあります。 時にはそのときの光景や、その行為でうさこが死んでしまったり、怪我をしていたらという光景をフラッシュバックして、その度に自分を殺したくなります。 そんな人間が、うさこや周りの人間と一緒に生活していいのか、そもそも自分のことを人間であると自覚していいのかと考えてしまいます。 気心の知れた友人には既にこのことを話していますが、「うさこは近くに寄ってきてくれるんでしょ?じゃあ許してくれてるよ、一緒にいてあげなよ」と話してくれます。 ですが、私はもう自分が許せません。 どうしても、うさこは本当は苦しい思いを我慢していて、無理して私の元へやってきてくれるのではないかと考えてしまいます。 精神的にももう限界に近いので、誰かに吐き出して懺悔したくなったのでここに書き込みました。 厳しいお言葉も受けるのは覚悟しております。私はどうすればいいのでしょうか。 長文かつ駄文、失礼致しました。

有り難し有り難し 27
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野良猫について

近所に怪我をしている野良猫がいました。 保護しようと餌をあげて少しずつ慣れてきてはいましたが、やはり野良なので警戒はしている様でした。 しかし日に日に怪我が膿んで酷くなっていくので早く保護しようと抱っこして連れて行こうとしてしまったんです。 驚かせてしまって私の腕から飛び出してしまったんです。 その時、車がきてしまい猫が車に飛び出す形になり、後ろ足あたりがぶつかったというか、はねられた様になってしまいました。そのまま草むらに走って逃げてしまい、探しましたが見つかりません。 元々怪我が酷かったのに私のせいで車にぶつかるという新たな怪我をさせてしまいました。あの猫はこのまま亡くなってしまうかもしれない。私が殺してしまった様なものです。しばらくは猫を探してみます。 私の早く助けたいという身勝手な気持ちで、あの猫を余計に傷つけてしまいました。 後悔の念が溢れて止まらないのです。 何故もう少し信頼してもらえるまで待てなかったのかと。 あの猫を探すこと、それ以外に私には何かできることはあるでしょうか? あのこがもし見つからずひっそりと亡くなってしまっていたら、私はあのこに何ができるでしょうか?怖がらせてしまい謝りたいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

老猫の看取りについて

以前、相談をしてお答えを貰った者です、あれから色々ありまして、毎日今この時を大切に共に生きようと楽しく生きてきました。今回は前に相談した家の老猫の話です。 前回、居なくなるのが不安で仕方ないと言っていましたが、あの時はまだ老化が出てきたばかりでジャンプをしたりご飯を食べたりと今思えばまだ元気でした。 先月辺りから食欲もなくなり元気もなくなり眠ってばかりで、病院に連れていき検査をしてもらいました。 膵炎と診断され、高齢猫、16歳なのでいつ最期がくるかはわからない覚悟をしていて下さいと言われました。 膵炎の薬は無いとの事で、対処療法として皮下点滴をしに病院に通っています。 次の血液検査で数値が下がっていればいいのですが、そうでなければ治療が長引きます。 高齢猫にとって病院に行くストレスも物凄いものだと思います。 膵炎は痛みが出ると先生が仰っていました。 猫本人は皮下点滴をすることで少しは痛みも楽になっているみたいで、今はゆっくりゴロゴロしています。 私はこの子と出会って沢山の事を教わりました。 だから最良の選択をしてあげたい。 本音を言えばもっともっと一緒に暮らしたい。 でもここまで一生懸命生きて今苦しんでいるこの子にまだまだ頑張って生きろとはさすがに言えないと思いました。 お坊さんに質問です。 人間でも自然死が尊重されつつあります。動物もそうだと思います。 同じ死を迎えるにあたって、私は自然死が良いと思います、何もせずゆっくりと死に向う方が穏やかな死に方になると聞いたことがあります。 ですが、痛みだけは取ってあげたいと思っています。 でもそれは病院で点滴をしなければなりません。 私が愛猫にしている行為はただのエゴでしょうか。 この子を苦しめているのは病気だけではなく私自身なのではないかと思ってしまい、悩んでいます。 私がしている行為、お坊さん方はどう思われますか? お答えを頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

不安で押しつぶされそうです。

以前別のことで相談した時にとても心に響くお言葉を頂いたのでまた相談させて頂きます。 わたしの家は家庭環境が子どもの頃からあまり良くなくて、そんな理由もあり中学の時に不登校になってしまいました。その時に母がわたしの為に犬を飼ってくれました。辛いときも嬉しい時もその子が側にいてくれてわたしの中では家族より大事な存在になっています。そんな子も、もう老犬になり去年心臓病と診断されてしまいました。 まだすぐにどうこうなるという訳ではありませんが毎日毎日、その子がいなくなったらわたしはどうなるんだろう。 お願いだからわたしより先に死なないでほしい、この子より先に亡くなりたい、わたしの寿命を全部あげても良いから先に死なないでって思ってしまいます。裏庭にお稲荷様の祠があってそこで毎日祈っています。 そのぐらい毎日この子がいなくなってしまうことへの不安に押しつぶされそうになっています。 家族にも友達にも職場の人にも誰ひとり心を開くことが出来ないわたしですがその子だけには心が全部開けます。 大事な存在の為に自分の寿命を捧げたいって思う心はいけないことなのか。 お忙しいところ申し訳ありません。良ければ回答お願いします。

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