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思いやりのない夫

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

夫は思いやりの心がわからないのです
・思いやりがない事に気がついていない(指摘するとキレる)
・自己中心的で話を聞かない(顔目を見て話が出来ない)
・相手の意見を認めない
・心配するフリをするだけで感情がこもっていない
・本心ではないので嘘くさい
・相手の気持ちを汲み取るのが苦手
・傷つける言葉とわかっていても選んで言う
・両親が手間暇かけた料理の説明を聞き流し終始無言(感想や相づちも言わない)
・常に「今はやりたくない」など自分第一優先、相手の為にやってあげようという気持ちが全くない(子供にも)

夫は思いやりの一般的な考えは認識しているが、出来ないしする必要がないと言います

夫は子供の危険行動の予知が苦手私は朝が弱いなどお互い日常生活で不満はありますが、完璧な人はいません
なので、仕方のない事だなと思っています
でも夫の思いやりに対する事は理解出来ないのです
・私や子供の考え、感情を無視される
・感情を口に出して言わないと一切伝わらない
・子供や将来の事などの大切な相談事も興味関心がないようで、私がひとりで考え決めないといけない(私は極度の心配性で、大切な事を調べたり決める事は大変な辛い作業です)
・夫に親切にしてくれる人に対する夫の無意識の悪態を見る事
など…ストレスは溜まるし、傷つくばかりで嫌なのです
相手が夫の無意識で傷付いたり、夫の事を不快に思っているだろうと考える事が嫌なのです
嫌だと思っている事を伝えると努力はするとは言いますがその場しのぎの言葉に思います

夫は義両親が40歳過ぎに産まれた1人息子です
甘やかされて育ったのが思いやりのない原因の一つだと思います

離婚はしたくありませんが別れた方がいいのではと、考えがよぎることもあります
夫が今のままなら一緒に暮らしていても傷つくばかりで辛いのです
・このまま暮らしていくには、どういう心構えでいたらいいでしょうか?
・夫にはどうしてもらったらいいでしょうか?
・子供がこの事で傷付いたり、悪影響が出てきた場合はどうしたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何回か家を出てご実家に帰って意思を示すと良いでしょう

何でも自由にしてもらえたお坊ちゃんは人を傷つけている自覚がないのです。
自分が人に迷惑をかけた、と思えるような体験をしてもらうと良いのではないでしょうか。
あなたも「家にいないといけない症候群」に陥らないように致しましょう。
もともと赤の他人同士が強調して生きるために必要なのは菩提心です。
互いの心の成長を約束し合うことです。
誰も完ぺきじゃないからこそ、それをお互いがお互いの課題として、自分の心の成長を約束し合って生きていく事です。
結婚式の時に「お誓い」のようなものをしたのではないでしょうか。
儀式や誓約がカタチばかりになってしまってはせっかくのお誓いが無になります。
あなた方にとってはサラリと過ごしてしまった儀式かもしれませんが、一緒を約束し合うという誓約、お誓いには「互いの精神の向上を約束しあう」意味合いが添えられているものです。
今一度初心に帰って、人の手を借りず、自分達の約束事として互いの為に尽くす、お互いの精神向上を志されてはいかがでしょうか。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ご夫婦共に仲良くご成長なさってください

拝読させて頂きました。ご夫婦の間でお悩みを抱えていらっしゃるのですね。お気持ちお察し申し上げます。
人の心を変えることはなかなか難しいことです。しかしそれは不可能ではありませんね。ご縁がありご主人様とご夫婦になられたのですからできればご夫婦共にご成長なさって頂きたいと思います。
人を思いやることは一朝一夕にはできません。人の痛みや苦しみを我が事としてうけとめられなければわからないことですからね。私達は誰しも完全ではありませんから少しずつ共に経験を積んで成長していくものです。それは大人になってからもですね。大人になり結婚し子供を持つことで様々な経験を積んでそして成長していくものです。
どうぞあなたも自分だけでなくご夫婦共に仲良くご成長なさって頂きたいと思います。
皆さんが共にお健やかにご成長なさって頂くことを心よりお祈り申し上げます。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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