生きるのが辛い
周りの幸せそうで充実してる人生を送ってる人達を見ると、自分が情けなくなり、ふと消えたくなります。
また、他人の幸福を羨むだけで何もしないくせに、地元の友達や親には見栄を張って楽しい大学生活を送っていると見せかける自分が惨めで、嫌気がさします。
漠然とした気持ちで入った大学ではやりたい事が見つかりません。こんな事ではお金を出したり、奨学金の保証人になってくれたりした親や親戚に申し訳が付きません。
僕は生きてる意味があるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きるのが辛い本質
大福様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
本当の幸せとは何か・・
少なくとも、仏教では、この迷い苦しみの輪廻にある限り、本当の意味での幸せがあるとは考えません。
仏教における「幸せ」とは、世俗的な意味合いでの「幸せ」ではなく、「涅槃・悟りの境地」という「究極的な幸せ」を目指すものとなります。
世間の幸せ、充実、満足というものは、所詮は無常なるもの、いつまでも続くようなものではありません。必ず壊れてしまい、苦しみとなるものでしかないのです。「壊苦」(えく)と言いますが、苦しみの本質は、「行苦」(ぎょうく)として、モノ・コトを実体視することでの執着が、無常の中での苦しみになっていってしまうということであります。
生きるのが辛いというものの本質は、モノ・コトの真理を知らずに、自らで苦しみを作り出してしまっていることに全く気づいていないという「無知」(無明)にあります。
その無知・無明を対治していく教えが仏教の智慧となります。是非、これを機会に学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。
また、生きる意味、価値や評価、理由というものにおいても、「これ」と決められる、決めつれられるような実体的なものはありません。
もちろん、意味、価値や評価、理由が全く無いと言っているわけではありません。良い因縁(原因や条件)によれば、良いものとなるでしょうし、悪い因縁(原因や条件)によれば、悪いものにもなる、そういうものであり、また、自分自身の考え方、捉え方一つでも変わっていくものとなります。
正直、ぶっちゃけると、「人間万事塞翁が馬」、「禍福は糾える縄の如し」という諺があるように、良いように考えて、捉えていく方が実はかなりお得なんですよね。
大福様には、大学に行けれて、色々と学べる自由、やりたいことのある程度できる自由があるじゃないですか。。
やりたいことは、やっていく内に分かることも。是非、挑戦していってみましょう。下記も参考までに。
大学生必見!後悔しない為にやっておくべきこと10選
https://careerpark.jp/9616
川口英俊 合掌