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お金にはこころがないように感じてしまう

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農家の嫁です。手作りのものが好きで、パン・ジャムや梅干し、つくだ煮などを作って、友人にあげることがあります。

それは、「おすそ分け」の気持ちです。我が家では食べきれないこともあるし、今の時代では手作りは珍しいこともあり、食べて、味わってほしいなぁと思うこともあります。

先日も、自家製の天然酵母のパンを焼き、いっぱいあったので、友人数名にあげました。
ある方は、お菓子を持ってきてくれる人もいれば、お花をくれた方も。
しかし、別の友人から「お金、払うよ?いくら?」と聞かれて、困ってしまいました。

あくまでも、手作りが好きでやっている。手作りでしか出ない味を楽しんでほしいだけで、お金という価値で置き換えられません。

友人には「今度、何かをおごってね」と言って、お金は受け取りませんでした。

こういうことは、今までも何でもあります。
そのたびに、何か「お金で・・・」と言われることに、抵抗というか、虚しさを感じます。心がないのではないけれど、何か気持ちがすっきりしません。

お金がほしくて、作っているわけではないので、お金を受け取ることにも、お金での価値(値段をつける)ことにも、できません。

この気持ち、どうしたら、すっきりするでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そのひとにとっての「ありがたさ」

小生は、しょうねがまがっているのでしょう。
素直に、「ああ、このひとにとっては、ありがたいんだな」
と感じました(^-^;)♪

ありがたい思いを、どうしていいのかわからない、
でも有難いことを表したい、それで「お金払いたい!」と
思われたのかもしれません。
我ながら深読みすぎかもしれませんね。

しかし、小生は思います。
「お年玉」「御霊前」「お祝い」
わたしたちが、さしあげたり、頂いたりする、こうしたひとつひとつ
温かいこころを感じます。
ですから、お金がまったくこころのこもらないもの、
とは言えないのではないでしょうか。

こころがこもっているからこそ、
お寺や神社に「お賽銭」を供え、お金を「喜捨(喜んで放つ)」する
のではないかとも思うのです。

おかねを下さろうとされたご友人のおもわくはわかりかねますが、
こころを込めてくださったパンを、ご友人なりの「有難さ」でもって
著したのだとしたら、それはそれで「お気持ち」として、
実際に貰わずとも頂いたら宜しいのではないかと思います。

もっと申せば、「パンを受け取って頂けて、こちらこそ有難い」
と思えば、どんなことばを頂いたとしても、あなた様のこころが
痛むことはないものであります。

相手からのなにか感謝を求めているうちは、
たとえお菓子が返ってきたとしても、こころを病むことだって
あるのですから。

題にも述べたのは、そうした自分をも含めた「ありがたさ」を
感じることが大事なのではないか、そう思った次第です。

おこころが安まりますことを祈念申し上げます。
さちあれさちあれ。合掌

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おきもち

お金そのものに心は無く、扱う人の心のもちよう。

リダカさま。
はじめまして、こんにちは。

仲が良かった友だちのお通夜に行きました。
私はお坊さんなので、お経をあげてから焼香しました。

お父さんお母さんは私にお布施をしようとしました。
私は受け取りませんでした。

後日、その話を先輩僧侶にしました。
そのお布施って、あなたの生活に使ってほしくて渡そうとしたの?
仏教の事に使ってほしかったんだろうか?

仮に、お布施を受け取ったとしてどのように使うのがいいと思う?
自分の飲食代に使う? お寺のロウソクや花代に使う?
その場で受け取って、毎年の命日に花を送り続ける予算の一部にする?

いろいろ言われて私は考え込みました。

お金に心がないのでなく、心ある使い方ができるかどうかは自分の問題。
その時点で心あるお金の使い方が思い浮かばなかったので、お布施を受け取らなかった自分の選択肢は正しかったと思います。

自分の相手の関係性の中での、一番居心地良い方法はその都度変わると思います。

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おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者。地方の町の小さなお寺に居ます。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しいですよ。街のイルミネーションはまぶしく、人混みは得意じゃないけれど、ここでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
一人だけで抱えられるほど軽くないのがイノチ。僧侶となって40年経ちました。 社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みなくても話してみたいときは相談ください

お金を悪いものと観るのも 偏見

別にお金は悪いものではありません。
火や包丁と同じように使い方を間違えれば悪いことにも使われるというだけです。(^<^)
銀行員さんやら、お金沢山持っている人は悪い人でもありません。
社会を成り立たせるためには欠かせない大切なものです。
うちのお寺の坐禅会は当初無償でやっていましたが、書道の先生から「私も昔無料でやっていたけど、ただだと、遊び感覚で、本気になってやらない。だから月謝を取るようにしました。そうすると来る人もお金を払っている分だけ、しっかり学ぼうとします。」といわれ、うちでも会費を取るようにしました。
あなたの中では抵抗があるのでしょうが時には、相手の気持ちである訳ですから、対価として受け取ってみる度量を持ってみてはいかがでしょうか。
喫茶店でもパン屋さんでもキチンとお金を払います。
もらう方であっても、やっぱりもらいっぱなし、ただでは悪いと思われるわけですから。
上手にお金と付き合っていきましょう。時に今の日本は本当にお金が無いと生活していけない時代になってしまったからこそ、みんなお金の大切さを分かっているのです。
それ故に、キチンとお金を払うという姿勢なのですから、お金を払ってくれるという方は、今のご時世にあった礼儀正しい感覚だと思いますよ。
お寺のお堂を建ててくださった大工さんたちが落慶の時に掛け声でこういってました。
「損もしないが、儲けもしないぞ!」
お金よりも大切なものを作り、かつまた、お金の大切さも良く分かっていますね(^<^)

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

答えになっているかどうか・・・。

リダカ様

うちの嫁もパンやお菓子を作るのがすきでよくご近所やお友達に配っています。
お礼におかずやお菓子をいただいたりします。でも、お金を払うといわれたことはありません。

そもそもお金は物々交換に手間がかかるためにお金という便利なものを作ったと習ったことがあります。

手作りパンをいただいた代わりにお金をという方は、手作りパンとお金を交換した方がいいかな、という軽い気持ちでされたのではないでしょうか。

広い意味でのサービス業にも対価がきちんと発生するので、気持ちはお金に換えられると思います。

そう考えると気持ちはスッキリするのではないでしょうか。
いかがでしょう。

ただ、もし私が手作りパンを作って「食べてみて」とあげた人に「お金を払う」と言われたら、もう二度とその人に手作りパンはあげようとおもいません。笑 おすそ分け、気持ちぐらい理解できる人と付き合いたいものです。

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有り難し
おきもち

好きな食べ物はスイカです。

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