死にたい
自分が生きている意味を見出せず、楽しくない日々。
いろんな事で責められて、弱い私は、
居なくなれば解決するのでは?と、思ったり、
どこかで自分が可愛いのか、構ってほしかったという寂しい思いから死を選択してしまう自分がいます。
だれにも相談できず、泣きっぱなしな日々です。
結婚して2年。今妊娠中にも関わらず、幸せを見出せずにいます。
過去にリストカットした経験もあり、
また、生きる意味を失ってしまいました。
それかだれもいない世界に行きたいです。
逃げだと言われたら仕方がありませんが、もう毎日辛くしんどい日々です。
こんな思いをするなら死んだほうがましです。
助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こころはかわる
追伸:
いなくなりたい、それは、この後どのような世界に
行こうとも変わることはありません。ずっと
いなくなりたいのままです。
それから一歩でも抜け出したいのならば、
「こころはかわるのだ」と信じることです。
誰かが助けようにも、「変わらないよ」と信じてる人には
助けの声も手も届きません。
じぶんの「いまのこころ」を信じるのか。
それとも「こころはかわるのだ」という声を信じるのか。
どちらが苦しみから離れるのかは、あなた次第なのです。さちあれ。
いまあなたにはめまぐるしい変化が
訪れているはずです。御妊娠中であれば、日々御自身に
やどるいのちの変化や、御自身の体型の変化など、
それと共に募るこれからの不安も様々に変化しています。
問題なのは、それにたいして「変わる」ということを、
「こころ」が怖れて、変えられていないということです。
じつはこころも目まぐるしく変化しています。
美味しいごはんを食べる時、テレビやネットをみる時、
ニュースなどでスポーツの結果をしるとき、
ニュースなどでいたましい事件をしるとき、
散歩をするとき、おなかのお子様と会話をするとき、
旦那様とはなすとき、お友達とはなすとき、
じぶんをかえりみて「楽しくない」とおもうとき、
じつは全然違うこころがそこに生まれています。
「おなじ」だと思っているから、その縛りがこころを
締め付けます。
「楽しい」ときだけが全てだと思って「縛ってしまう」こころによって
がんじがらめになって身動きがとれなくなるのです。
こころは変化する。
まずは、それを思いの根幹に置いてみましょう。
死にたいという思いを捨ててしまう必要はありません。
それも「こころの変化」のひとつだからです。
苦しいのは「死にたい」にこだわるからです。
それもまた、変化のひとつだと、ぎゅっと握った手を
ほどくようにすれば、こころの縛りもほどけていきます。
いますぐにできることではないかもしれません。
ただ、
こころは変化する
これを見届けてみる事を知ってみたいと思って頂けたら、
あなたさまのお苦しみもすこしは和らぐのではないかと、
ひとつの道としておはなしさせて頂いた次第です。
あなたにさちあれ。あなたのなかで、あなたをこれ以上ない
よりどころとしてそだつ大事ないのちにさちあれ。さちあれ。
合掌
一人ではありません、追記
あなたは一人ではありません。
ご主人もいるし、私達もいるし、お腹には子供もいるのです。
そして何より阿弥陀様が見守っているのです。
相談相手がいない時は遠慮なくここにどんな事でも相談してくださいね。
できれば毎日手を合わせ、南無阿弥陀仏と五分でも3分でも小さな声でいいので唱えてください。
すべての人が幸せになりますようにと念じながら。
追記
妊娠中に病になると薬が飲めずに大変ですから、先ずは体調を整え健康を気をつけてくださいね。
できればお腹の子にクラッシックなどリラックスできる音楽を聴かせてあげましょう。
お子さんはまだ話す事はできませんが、きっと、お母さん頑張って!って思っていますよ。
止まない雨はありません。
未来に必ず晴れがあると信じて乗り越えてください。
質問者からのお礼
心が未熟なのかついていけてないのでしょうか。
本当につらくいなくなりたいです