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自分を好きになれず苦しい

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初めまして。2人の娘を持つ、現在主婦です。
幼いころから自分のことを好きになれずにいました。

それでも、愛する人と結婚し、最愛の娘たちができ、確かに「いま幸せだ」と思えます。
だから、自分のことを愛せないということは、あまり考えないようにしました。

しかし、最近長女に、「私と似ている」と思う言動が現れると、異常なほどに腹が立ち、叱ってしまうようになりました。
後になって、「そこまで怒ることでもないのでは・・・」と反省しますが、その繰り返しです。

きっと根底には、「私のようになってほしくない」という思いが強くあります。
自己肯定感の強い子になってほしい、自分のことを好きになってほしいのに、まだ4歳の子にきつい言い方をしてしまいます。

様々な子育てセミナーに参加し、いくら育児本を読んでも、自分を変えるということは出来ませんでした。

長女は、皆に褒められる、優しくて思いやりのある子です。私よりもずっとずっと、優れていると思います。
そんな子に腹を立てている自分が、ますます嫌になってしまい、苦しいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

苦しみを産んでいる自分を掘り下げてみる。

おつらい事と存じます。

まずはなにより、御自身のことを好きになれない、という
ところが元となるのだろうと存じます。

その根底になにがあるのかを見つめねば、
どんな美辞麗句や自己啓発も意味を成しません。
後付にチカラはないのです。

じぶんが好きになれない原因があるはずです。
それはたぶんに他人からの評を自己評としてしまった
結果が大いに影響していることがあります。

ただ、あくまでわたしの想像の域を出ません。
それいじょうは、辛いかもしれませんが、自分自身で
掘り下げねばならないのです。

掘り下げ、自分自身を見つめることが出来た時、
それをどうしたらいいか、という事も見えてきます。

お釈迦様の根本の教えに「四諦」という、
苦しみを解く教えがあります。例で説明すると、

・熱がでたり、頭が痛い。咳もでる。 =苦諦
・その原因は、たぶんに風邪などによるものだ。=集諦
・それらは、ゆっくりと休んだり薬によって幾分か
 改善が可能である。 =滅諦
・それを実際にやってみる。=道諦

というものです。

例えばのはなしです。
・子どもにつらく当たってしまう。
・それはじぶん自身もまた、親につらく当たられたことがあって、
 自信が持てないからだ。
・それは、しかし親の言葉であって、自分自身の言葉ではない。
 だからわたしはわたしの生きてきた中で得た経験を
 自信にしていいのだ。
・こどももいま実際に多くの経験をしている。
 わたしも「親」として今一度生まれたのだ。だから、
 こどもの経験をじぶんの経験として追体験することで、
 こどものころの自分を取り戻していこう。

これは、わたし自身が、わたし自身に向けて言ったものですので
御参考にもならないかもしれませんが、手がかりにして頂けたら
幸いです。

どうかあなたに、あなたの御家族に、さちあれ。さちあれ。合掌

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有り難し
おきもち

「自分が嫌い・自己嫌悪・好きになれない」問答一覧

私のせいで姉が嫌な思いを

今月から大学生になる女子です。 私にはもうすぐ社会人になる3歳年上の姉がいます。 私には軽度のADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向があり、昔から忘れっぽい癖や怠け癖があります。 一方姉はしっかり者でとても努力家な性格で、私とはまるで正反対と言えました。 私が障害を持っているという事もあり、両親は私の世話にとても手を焼いていたし、迷惑をかけてしまう事もたくさんありました。 そんな私の事で両親が姉を蔑ろにしたような事はよくあった気がするし、私は甘やかされているんだなという事は昔から薄々感じ始めていました。 私も姉も勉強はあまり得意な方ではありませんでした。しかし姉は血の滲むような努力の末にテストで高得点を取ろうが、学年で1桁の順位になろうが親にはそうなんだと適当にあしらわれ。 私の成績が少しでも上がれば、親はひたすら褒めました。障害というハンデがある分、きっと私は特別扱いされていたんでしょう。 姉はとある美容の会社に内定が決まっており、メイクが上手でファッションセンスもある、とてもおしゃれで可愛い人です。 一方私は生まれてこの方アニメとゲーム一筋で、メイクやおしゃれに全く興味がありませんでした。 しかし高校に入る頃に姉にメイクやおしゃれの事を教えられ、「可愛くなっていくのは楽しい事なんだ」と気付かされました。 私がメイクをするようになると、親は可愛いね、上手になったねと褒めるようになりました。姉のメイクは派手でキラキラしていて、まさに私の憧れそのものです。しかし親は「派手すぎて可愛くない」「不細工」と言います。 親には私ばかり可愛いね、○○(女優さん)に似てるねと言われ、親戚の集まりの場でも私ばかりが持て囃され。 姉のSNSのアカウントを偶然見つけた事があり、姉はそんな事をつらつらと愚痴っていました。 一発ガツンと言ってやればよかった。 「自分の子供なら平等に可愛がれよ」と。 「姉がどんな思いでいるか一度でも考えた事はあるか」と。 姉は今でもしっかり者ですが、親に可愛がられなかった寂しさからか自己肯定感が低く、恋愛依存の気があります。 親に甘やかされていると分かっていながら、何もしなかった私のせいです。 私が生まれていなかったら、きっと姉はそんな思いをせずに済んだでしょう。 姉に償いたいです。今からでも私に出来る事はあるのでしょうか?

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自己嫌悪の日々

職場で気になっていた女性が異動しました。 私はすぐ人を好きになってしまい、思い込みや勘違い、片想いで勝手に辛くなる事が多くありました。 そうした経験から『好きにならないように』と自制していましたが、一緒に働いていく中で、年齢も近く共通の趣味もあったりと気になる存在となっていました。 しかし相手は社員で私はフリーター。身分が異なりますし、そもそも恋愛をしていい立場ではないと行動する勇気がありませんでした。 仕事終わり二人きりで帰る際、連絡先を聞く機会があったのに『断られたらどうしよう』と肝心な場面で行動に移せず今でも後悔しています。 どうせ勘違いだったと行動しなかった事を正当化し、強引に納得させようとしている事が情けなく自己嫌悪です。 また今回の片想いに限った事ではないのですが好きだった人、これまでお世話になった方々の顔や思い出を忘れていく事への悲しさ、怖さのようなものを30歳を過ぎて強く感じるようになってきました。 写真が無ければ私の記憶だけが頼りであり記憶が薄れ、やがて思い出す事もできないと思うと不安が大きくなっていきます。 今、忘れないよう心に留めておきたい出来事を簡単な日記として残しています。 一方で私は過去に囚われすぎているのではとも感じています。忘れたくないから書いているのに過去ばかりを振り返り、固執し前に進もうとしない矛盾している私が嫌になってきます。 4月、環境が変化していく新年度というこの季節がよりそうさせていると思うのですが、自己嫌悪の日々が続いており辛いです。

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自分が大嫌い

小さい頃から私の周りの男性は私に暴力を振るう人しかいなかった。 父親も兄も弟も、道場の師範もクラスメイトも恋人も。 体が大きかったから絶対にやり返してはいけないと洗脳するように4歳から柔道を習わされ、泣きわめいても辞めれなかった。 小3の時両親が離婚して父親に引き取られたけど、学校が終わって道場に行き、「女だから」と家事全部押し付けられていた幼少期。 小中学校では柔道を習っているなんてクラスメイトには言ってなかったから、ただの大人しいデブとしてイジメのいい的だった。 石ころやハサミが飛んできて怪我しても、養護教諭から「この程度のキズで保健室に来るなんてだらしない」と嫌われてた。 高校に上がって母親と暮らすも、母親は金にだらしなく男に依存する生き方しか出来ない女だった。 男と別れる度に「お前みたいな可愛げのないブスのコブがついてるから男が逃げるんだから次の男を捕まえる為の飲み代を稼いでこい」とアルバイトをさせられ、お給料を自分で持ったことが無い学生時代を過ごし。 大人になっても母親の浪費癖と搾取依存されてたせいでお金なんかある訳なくて。 母が亡くなり、一人暮らしをするようになったら途端にうつ病、パニック障害、適応障害が出てきて、治療の為休職中。 国の支援で生きてるけど、こんな金額じゃ到底生きて行けなくて。 死なれちゃ困るから国から仕方なしに生かされてて、 まるで真綿で首を絞められてる様で、 推しを推すのが生きる意味だと頭で分かってても、推しを見て高まる気持ちはほんの一瞬で。 三つ子の魂じゃないけど、30年縛られた親の呪縛はそう簡単に消えなくて。 眠剤と精神安定剤を飲んで強制的にリラックスしないと眠れなくて、寝た気がしなくて、気分が塞いで、歯を食いしばって生きてる。 幸せってなんでしょうか。 男から暴力を受けた経験しか無いから男性とお付き合いする事=暴力に耐える事だと思ってる。 私の世界には暴力男しか居ないから、外野から「そんな男ばかりじゃない」と言われてもピンと来ない。 お金も無さすぎて、親友の結婚もお祝いを渡せなかった。 いい大人なのにこんなにみすぼらしいなら生きる価値なんてないと思う。 死ぬのが正しいとは思わないけど、生きたくない。 5年も治療してるのに社会復帰出来る所が想像出来ない。 普通が欲しい。普通に生きたい…

有り難し有り難し 14
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過去を恥だと考えてしまいます。

はじめまして。 大学四年生の女性です。 私には中学生からの夢があります。 それは音楽を支えること、音響監督になることです。 その夢はずっと私を支えてくれていて、私にとって何よりも大事なものです。 ですが、今遠回りしている自分を、逃げている情けない自分と思ってしまいます。 私は高校時代、過剰な減量をして摂食障害になりました。 自分で栄養管理をしっかりとして、運動は毎日二時間して、一年半必死に努力して得たものは醜い自分でした。 食べることを好きだったのに食べることが怖い、普通の外見になりたいだけだったのに、そう毎日思っていました。 もう好きなものを何も嫌いになりたくなくて、夢を諦めて、どれだけ嫌いになっても離れるのことができない食を学ぶために大学に入りました。 自分を苦しめたものを学ぶのは地獄でした。 でも、得たものはたくさんあります。 趣味も自分らしさも、大学に入ってから気付けたのです。 そして、音響監督になると、もう諦めないと決めたのは、嫌いなものに必死になれたからです。 後悔はしていません。 今では就職して自分でお金をためて、専門学校に入って勉強し、音楽に携わろうと決めて計画を立てています。 この選択は恥ずべきものではないと思っています。 でも、夢があると他人に伝えたとき、「それは何?なぜ叶えずにいるの?」と聞かれたとき、私は自分が情けなくてどうしようもなくなります。 夢を一度でも諦めた自分をさらけ出し、摂食障害の経験から大学に入ったことを伝えようとしたとき、「過去のことは言い訳に過ぎない。弱かった自分をさらけ出して、何になるんだろう。」と、そう思って口に出せません。 昔こういうことがあったから仕方ないと自分や他人に言い訳をしているみたいで、情けなくて悔しくて泣きたくなります。 最近はそうやって夢を濁し続け、好きなものを誤魔化し続けて、大切な人をひとり失ってしまいました。 相手は受け止めてくれる人だと知っていたのに伝えるのが怖くて、自分は弱い人間なのにそうは思われたくなくて、強がって突き放し、距離をとって傷付けました。 もう二度とそんなことはしたくありません。 素直になってこうなりたいと前向きに語りたいです。 弱くてもそれが私なのだと、後悔がないように人に向き合いたいです。 でも、それが怖いのです。 どうすれば良いのでしょうか。

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いい子をやめられない自分がいる

私はずっと嫌われないように誰かに合わせて自分を隠して生きてきました。いい子症候群です。いい子、優しい子でいないといけないと心の中でで思い続けてました。自分を偽り続けていました。それが原因で、友人関係、恋愛関係がうまくいきません。常に完璧な自分を演じることで必死で気づかれてしてしまい関係がすぐに壊れてしまいます。ですが、最近、そのままの私でもいいや!ほどほどに悪い人でほどほどにいい人でいようと思えるようになってきました🌱 それからは変に気を使うことを少なくなり少しずつ生きやすくなっているなと感じています。ですが、いい子でない、優しくない私に自己嫌悪を感じることがあります。まだいい子症候群の理想を追い求めていて、周りからみた完璧な自分に安心していたいと思ったり、いい子である自分に酔っていたりしているのだと思います。自分を優先してはいけないと、他人には絶対に優しくしないといけないと思ってしまいます。また、そんな自分をこれまで褒められてきたことが原因なのか、自分の良さがなくなってしまうのではないかと思ってしまいます。どういう考え方を持てば、この気持ちから楽になれるでしょうか。また、心の中では自分を隠してでもいい子で居続けた方が楽で、安心だし、その方が自分らしい、自分の良さがあると思ってしまいます。この場合、いい子であるしかないのでしょうか。拙い文章ですが、ご回答お願いします🙇

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自分が許せない

初めまして 私は、昨年3月に学生が終わり、4月からフリーランスでお仕事をしています。まだまだ本業だけでは生活できずアルバイトをしながら、実家に暮らして生活面でも沢山助けてもらいながら生活しています。 家族や友人にはとても恵まれていて、皆とてもいい人で優しくて、私の夢も応援してくれています。ただ、結果を出せなかったり失敗をする度に、応援してもらっているのに出来ない自分が許せず、また全然頑張っていないのに何故か頑張れない自分が許せなくて、仕方ありません。周りの人を騙しているような罪悪感で心がいっぱいで、どうしていいか分かりません。あまりにも自分が情けないです。私なんて死ねばいいのは分かっているのですが、親より先に死ぬことがどうしても出来ません。自分で痛めつけてもどこか躊躇してしまって、誰かに傷つけられたい、無茶苦茶にされたい、罰してほしいです。死ねないけれど、生きているのもしんどいです。 周りの人には本音を言えなくて、元気で明るいふりをしていて、なんだか自分の気持ちもよく分からなくなってきて、感情を上手くコントロール出来なくなってきました。大好きなものを食べてもあんまり美味しく感じなくなりました。なのに過食することが増えて、また罪悪感に襲われて、吐き出そうとして、出来なくて、太って。いるだけで迷惑なのに、もともと悪い容姿も更に悪くなって、もう私はだめです。 会社などの所属場所がなく、私が明日いなくなっても誰も気づかないんじゃないか、社会の中に存在できていないんじゃないか、毎日が不安です。誰の役にも立てていないけれど、どうしていいかも分かりません。 どうしたら生きていてもいい人間になれますか。

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偽善的な自分に嫌気がさす

こんばんは、初めて質問させていただきます。 私は日々、誠実でありたい、優しくありたい、善く生きたいと願って目の前の人と接することを心がけていますが、よく何が本当の「誠実」なのか分からなくなって、たびたび自信を失ってしまいます。 たとえば、私はひとの悪口を言うのが苦手です。友人と誰かの悪口で盛り上がり、たとえその場では楽しかったとしても、のちのち悪口を言ってしまったことを深く後悔してしまいます。 「自分のことを棚に上げてひとを悪く言えるほど、自分はできた人間でもないのに。」といった具合です。 私の価値観に則るなら、ひとの悪口に関わる話題には安易に同調せず受け流したり、宥めたりするべきでしょう。 しかし、こういったときの話し相手が自分の大切な友人となると、私はすっかり困ってしまいます。 「人の悪口を言わない」という私の選択は、「相手の話に乗らない」「同じ土俵に立たない」「大切な相手と同じだけ"悪い人"にならない」ことを意味します。 それは、大切な友人を突き放して自分が上に立とうとする行為でもあります。 ひとの悪口を言わない、という選択をすることで、「私」という人間の一貫性を獲得することはできても、同調してくれることを期待していた相手にとってそれは裏切りで、偉そうで、友人関係として不誠実な対応だと受け取られるかもしれません。 実際、私が友人の愚痴を聞くとき、友人の疲れた心に寄り添うことを心がけつつも、誰かをひどくこき下ろす言葉をなだめたり、つい相手がたを庇ったりなんかすると、友人はきまって悲しそうな顔をするというか、ばつの悪そうな顔をさせてしまい、そういうときはとても心が痛みます。 会話が誰かを悪く言うフェーズに入った途端、私は、その話し相手にとって「居心地の良い人」ではいられなくなります。 「いつでも正しくある」ということは、「いつでも優しくある」ということと同義ではないのだと、つくづく思います。 結局私は、善人ぶりたいだけの浅はかな人間で、他者に嫌われるのが怖いだけの偽善者なのでしょうか。 しかし、大切な相手を傷つけ、悲しそうな顔をさせてしまうようなふるまいは、果たして誠実といえるのでしょうか。 仏様の教えになにかヒントがあれば、ご教示願いたいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ