劣等感が強く、人を信じる事が出来ません
私は小学生の頃、何度も同じ人にいじめられました。
それがきっかけか、「ずっと友達」などの未来が関わる言葉すべてが疑わしく、信じられません。
一時期、家族の言葉でさえ信じられませんでした。
ポジティブになろうと考えるのですが、ふとした時に心の中の誰かが「お前は何も出来ない」、「生きる価値などない」、「両親の金ばかり使わせて…」、「死んだら?」 と囁いてきます。
両親は私のことを愛してくれていると感じますし、私も愛してると思います。
ですが、本当に愛しているのかわからなくなるのです。
「私なんて…」とか「あの子はいいなぁ」とか「何で生きているんだろう」とか、自分のことを棚に上げて他人のいいところばかりをみてうらやむ。そんな自分が嫌になるのです。そういう事を考える年代なのはわかっているのですが、自分が不必要に感じてしまいます。
こんなことを誰かに言っても、言われた本人は困るし、「そんなことない」というような根拠のない言葉など信用出来ず、未来が関わる言葉すべてが信じられません。
どうか私のこの思いを少しでも軽くしていただけるような助言、お願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心の声は全部ウソ
あなたの心の声は、あなたが作り上げた妄想に過ぎません。
仮に肉声で「バカ!死ね!」なんて声が聞こえたとしても、「ばか、しね」でしかなく。そこに深い意味も何もありません。つまり心の声が事実を歪めるのです。
あなたが疑ったとしても疑いの事実はなく、ただそれはそれ。妬みも、おししいカレーを食べた瞬間に消え去ります。また思い出してもそれはそれ、放っておけばすぐに消えます。いけないのは頭のなかで言葉で表現しそれをどんどん追求して物語をつくり上げること。それを更にマコトのように思い込むこと。あなたには劣等感が強いなんてものはくっついていません。私が実際に見てもきっとそんなものは見えません。
あなたが作り上げた妄想であることをまずは、知ってください。そして人の言葉に白黒つけず、そのまんまを聞けばいい。仮に「一生の友達」と言われてそうでなくなったとしてもそれはそれでしょ。その時は本当にそう思ってくれていた。というだけでしょう。
そして、無理にネガティブ→ポジティブにしようとする必要はありません。極端すぎます。世の中0か100、白黒、善悪、以前にただそれがあるだけですから、「ネガティブでなくなればいい」ぐらいにしていおきましょう。
先ほど草取りの後にノンアルコール・ビールを飲みました。ただそれだけ。です善悪、白黒、損得な~んにもありません。