身近な人の死が続きました
今年の5月に母方の祖母が亡くなり、まだ悲しみも癒えていない先日、8月12日に父方の祖母が亡くなりました。
母方の祖母は心不全で突然、父方の祖母は10年くらい寝たきりで何度も持ち直したものの、先日亡くなりました。
しかも先日、私の妊娠がわかりました。今、2ヶ月くらいです。そのため、父方祖母のお葬式には親戚みんなから反対されて、出席できませんでした。最後の最後に大好きなおばちゃんとちゃんとお別れもできず、本当に悔しいです。
母方の祖母が亡くなったときに、誰にでも死は訪れると納得したはずなのに、やはり寂しいし悲しいです。父方の祖母の最後の姿を見られないままのお別れは本当につらいです。
赤ちゃんが生まれるまで法事にも出ないほうがいいと言われました。
お葬式に出られず、きちんとお別れができなかった場合、私のできることでおばあちゃんの供養になることを教えていただきたく、こちらに相談させていただきました。
お忙しい中、長文雑文読んでいただいて本当にありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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今あなたが出来る一番の供養は、母胎を大切にすること
妊娠中の女性が葬儀に参列することをタブー視する考えは、かなり根強いものがあるようです。
以前、或る檀家さんの葬儀の際、「あれ、喪主のお嫁さんが居ないなあ?」と不思議に思っておりましたが、後日赤ちゃんを身籠っていたことを知りました。妊娠中ということで、葬儀への参列を止められたのか、遠慮されたのかだったのだと思います。四十九日、百箇日にも参列されませんでしたが、一周忌の時に元気な赤ちゃんを抱いて参列しておりました。
もっとも、他の方の葬儀で妊娠中の女性が参列していた場合もありましたから、私の住む地域のすべての人々が「妊婦の葬儀参列」をタブー視している訳では無いようです。
何故、こういう禁忌(タブー)が出来るのかという点について、10年程前私は「教えて goo」の或る質問に下記のような回答を書きました。
「 日本人の民俗的な信仰の根底には、ケガレという信仰的概念の存在が認められます。神道という宗教自体、ケガレという概念を前提として存在してる部分が大きいと思います。我々人間が穢れた存在であるからこそ、「払いたまえ、清めたまえ」という儀礼を行うのです。そのケガレ(穢れ)の代表的なものとして、死穢(しえ)と血穢(けつえ)があります。
死穢とは、人の死ということに伴い、その死体そのものが穢れた存在となり、その死体に接した者にケガレが憑いて穢れた存在となるという考え方です。(中略)
血穢とは、出産や月経に伴い女性が血を出すことによってケガレが生じるという考えです。出産のため、産屋(うぶや)もしくは産小屋(うぶごや)という施設を準備し妊婦をそこに住まわせるという習俗も、血穢という概念に由来していると思います。」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2473435.html
こういうタブーに対して、「悪しき因習によって縛られている」と感じる人も多いと思います。でもね、一方で「妊婦の身体を労り、母胎の安全を願っての配慮である」と受け留められる場合もあると思います。今あなたが出来る一番の供養は、母胎を大切にすることであり、元気なお子さんを産むことです。元気な赤ちゃんを抱いて、墓前に報告してあげましょう。
質問者からのお礼
《洞林寺 吉田俊英様》
詳しく教えていただき、ありがとうございます。四十九日の法要も参加してはいけないと言われました。今は元気な赤ちゃんを生むことを一番に考えたいと思います。出産が無事に終わったら、亡くなったおばあちゃんに赤ちゃんを見せに行きたいと思います。気持ちがものすごく軽くなりました。本当にありがとうございました。