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仏様とか阿弥陀様とかだれが誰?

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仏教のことを知ってみたいとは思いますが、インターネットとかで少し調べてみても、なんだかすごく難しくてお手上げになってしまいます。
たまたまテレビでみたり、直接お坊さんから話を聞いたりしたら、噛み砕いてくれてるので、分かりやすく興味を持ちますが…。
結局、たぶんざっくりいうと仏様が一番偉い人(人ではないけれど)だろうなぁ。じゃあ、阿弥陀様って誰?2番目くらいに偉い人?ってレベルでよく分かりません。
こんな私の場合、お馬鹿すぎて知識を深めるのは無理ですか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

好きになれば、覚えられますよ。

どーなつさんへ、こんにちは。

仏教を学ぶ方法が欲しいのですね。
知識として学ぶのであれば、本屋さんや図書館にいけば、「仏教入門」のような本がたくさんあります。買ってはまずは読んでみましょう。仏教は日本に伝わってから約1500年ほど日本の文化に溶け込んでいますから、仏教は知らなくとも仏教文化の中で自分も生きていることがよくわかりますよ。

ちなみに阿弥陀様は、仏さまというグループの中の一人です。他には、お釈迦さまや薬師様、大日如来などいます。仏さまは真理の通りに生きることができるようになった人々、真理と一体となった人々のグループです。一番偉いかといえば一番偉いです(笑)。

がんばって、勉強してみてください。合掌

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例えば私の場合

私としては誰が一番ということはありません。
宗派によって違いますし、人それぞれ好みがありますからね。
私はお釈迦様と阿弥陀様が好きです。
現世を生きるためのお釈迦様の教え、
来世に極楽浄土に行くための阿弥陀様の教え、
どちらもありがたい教えです。
お釈迦様の教えについてダンマパダ(法句経)を分かりやすく書いた本がおすすめです。
体験するなら坐禅や瞑想できるお寺に行ってみましょう。
阿弥陀様の教えは、南無阿弥陀仏と声に出して唱えれば、命が尽きたら阿弥陀様が迎えに来てくれて極楽浄土に連れて行ってくれるというものです。誰でもいつでもどこでもできる極楽浄土に行く方法なのです。毎日でも時々でも小さな声でいいのでお唱えください。しっかり唱えたい時は浄土宗や浄土真宗のお寺をお訪ねください。

なお浄土宗的に言えば、お母さんは極楽浄土で悟りに至り仏様(悟った人)になるので、お母さん=仏様、は間違いではありません。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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仏(如来)様とは・・

どーなつ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

釈迦如来様、阿弥陀如来様、大日如来様、薬師如来様・・

たくさんの仏様がいらっしゃいまして、更には、悟りを目指して修行されていて、如来様のご指導において衆生を教化されておられる観音菩薩様、文殊菩薩様、普賢菩薩様・・あるいは、不動明王様、愛染明王様・・と菩薩、明王さんもいらっしゃいます。

確かにたくさんの仏様方がおられて、何が何だか分からなくなるというお気持ち、誠に理解できます。

実はこの私たちの今いる世界は途方もない広い三千大千世界(十万億土)のほんの一つであり、この三千大千世界を一つの仏国土として、この仏国土に2600年ほど前に現れられたのが、お釈迦様(最勝応身)であります。現在、この仏国土では応身の仏(如来)様は不在ですが、56億7千万年後には、弥勒菩薩様が如来となって応身として現れられるとされています。

そして、この仏国土の他に同じように三千大千世界(十万億土)を持つ仏国土があり、私たちの仏国土の西側には阿弥陀如来様の西方極楽世界が、東側には、東方浄瑠璃世界、あるいは、妙喜世界があり、それぞれ薬師如来様、阿閦如来様がいらっしゃり、また、密厳浄土という仏国土には、大日如来様がおられます。

それぞれの仏様は、法身(真如・仏法真理そのもの)、報身(仏様のはたらき)、応身(衆生の前に現れられて教化されるお姿)の三身を兼ね備えられておられて、衆生を救済されるべくに各仏国土にてご奮闘なされておられます。

悟りを開かれて三身を持っておられるお方を、仏、如来と申します。ですから、如来と名の付く仏様は、皆同一にお偉いお方たちとなります。

では、各如来様方は、同じなのか、違うのかとなれば、もちろん、違う如来様方になります。

ですから、真如・真理としての法身については、如来として同一であっても、教化するための報身や応身は、悟りへ至ったための誓願や修行内容などの因縁(原因や条件)により異なるものになっております。

但し、互いに何でも知り尽くしている一切知者同士であり、お釈迦様も阿弥陀如来様も互いのことは自分のことのように把捉できるのであります。ですから、仏典でも互いの事を述べあったりということが当然にあり得ているのであります。

字数制限上ここまでにて失礼致します。ご参考まで。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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お寺にいってみましょう

「阿弥陀さん」といったら、浄土教でいう、「すべての人に、必ず、真実を伝え、教え導く、一人の例外もなく、必ず救うというはたらき」のことです。

その「はたらき」を擬人化して、「阿弥陀さん」と人間のように言っています。
実際には、実在の人物ではなく、「はたらき」を擬人化したものです。

釈尊は、阿弥陀さんのはたらきが、人間としてあらわれたものです。
このような存在を浄土教では「諸仏」といっています。

私にとっては、釈尊も諸仏だし、自分が卒業した、真宗大谷派の学校の先生方や友人も諸仏です。
もちろん、法然上人や親鸞聖人も諸仏です。

真実を伝えるはたらきは、具体的には、諸仏の口から、行動から伝えられます。

本を読んで勉強するのもよいのですが、一番よいのは、実際にお寺に行ってみることです。

浄土真宗ならば、
http://shinshuhouwa.info/
で、どこで、どんなお話(説法)をしているかがわかります。

ぜひ、僧侶の説法を聞いてみてください。

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浄土真宗、真宗大谷派です。
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
まずは入門の本を読んでみます。

佐藤様
実際にお寺に行くという手段もあるのですね。
どこでどんなお話が聞けるかも具体的に教えてくださりありがとうございます。

聖章様
お釈迦様と阿弥陀様違い、大変興味深かったです。おすすめの本も教えてくださりありがとうございます。

川口様
ご返答ありがとうございます。
お忙しい中、具体的に色々と教えてくださり感謝しております。

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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薬師観音様にご挨拶した時のことについて

#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

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観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

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涅槃と菩提心を求めず。仏様との向き合い方

悩みのループに入ったときに、今まで頂戴した回答を読み直しています。 ありがとうございます。 さて、今回大げさなタイトルになりましたが、仏様と向き合う心持ちがわからなくなりご指導を賜りたく投稿いたしました。 仏教の最終目的が成仏・涅槃に入ること、また望ましいありかたとして菩提心を起こして日々を送ることだとしたら、私はそれを望んでいない、なのに写経や読経をするのは方向が違うのか考えてしまいます。 普段、自宅のお仏壇にお経をあげたり、近隣のお寺の写経会に参加しております。 そのお寺での住職様でない方の法話で「仏教的な幸せは涅槃に入ること。表現が難しいけれどお星さまになることかな。寂しく思うかもしれないけれど、それが一番の幸せ」というようなお話でした。 私は仏様になったことがないので、そこまで高尚なことはピンときません。来世があるとしたら人間に生まれ変わって、今叶わなかったことが満たされていたいです。輪廻から出られないことがそれほど不幸なのか?と思います。 菩提心につきまして。こちらの僧侶の方々や写経に伺っているご住職様は菩提心があるなあと驚きます。相手の苦痛を減らそうというお心がひしひしと感じ取れます。ゆるがぬ信仰心と強固な信念に基づいているので、悩んでいる方に寄り添えるのだなあと思います。 翻って私は人並みの親切心はあると思いますが、共感しすぎて痛い目にあうことが多く、拠り所(僧侶の方にとっての信仰心)とするものがありません。最近はやりのバウンダリーをはっきりさせて、余計なことに首をつっこむのをやめよう、自分がしっかりしていないので、他人のことはもう放っておこうと決心したばかりです。 ただ、お寺通いやお経をあげることは止めたくありません。記憶のある時からなぜか神社仏閣が好きです。 仏教的に見て望ましい行い・最終目標から逸れた心を持ちながら、どのように仏様と向き合ったら良いか、是非ご指導くださいませ。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ