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夫婦円満になるには?

回答数回答 2
有り難し有り難し 22

結婚4年目、私は夫の事が別に好きでも嫌いでもないですが、居るだけでなぜかイライラして自分のペースが乱れてしまいます!夫のやる事成す事、ちょっとした事でイライラしてしまいます!直すと言ってもその時で口だけ、また同じ繰り返し!3才の娘が居ますが、本気で離婚しようと考えた事もありました!
夫は私が旦那の事好きではない事も離婚したいと思っているのも知ってます!(夫は反対ですが)
円満がベストですが、私は夫に対して冷めた態度だし会話も特別な事以外話しませんし特に話したいとも思いません!子供が生まれてから気持ちが変わりました・・どうしたら前向きな気持ちになれますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ミッキーmmさま
お疲れ様です
私の考えをお伝えさせていただきます

今を受け入れることではないでしょうか
私も家内もいて子供もいます
正直円満かどうか
でも仲良くしようとしております
相手に感謝はしております
ときにはケンカもあります

それでいいと思っております

まずはイライラしてしまう自分を受け入れてください
別に無理に前向きになることはありません
それが今のあなたなのですから

でもなぜ子供が産まれて変わったのでしょう
それは旦那さんと見ていないのでしょうか
パパとして見ているのでしょうか

きっと同じことが旦那さんにも言えます

人間変わることは悪いことではありません
むしろ無常ですから
今の気持ちを大切に
家族で暮らしていけばまた違う気持ちが生まれてくるかもしれません

今のあなたをぜひ大切にしてください!
今の家族をぜひ大切にしてください!

そこからなにか見えてくることでしょう
合掌

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有り難し
おきもち

人の寄り添える僧侶をテーマに活動中! 僧侶、理学療法士、心理カウンセラー  それぞれの立場を活かして 現在における僧侶像を確立するべく こころ・からだから笑顔になれる人を増やすべく仏教用語から由来して「わげんせ」という活動を通して、日々模索しながら動いております ※お坊さん回答の中に「鈴木光浄」がおりますが当初諸事情がございまして私が回答したものでございます。そちらもあわせてご参照ください

ワタクシ濃度 自分濃度を下げる

「濃い〇〇」「濃厚〇〇」系の商品が盛んですが、薄い方がカロリー、熱量控えめでイイ場合だってあるんでごわす。でも薄すぎても子供が泣きますΣ(・ω・ )
結論:子供を笑顔にするためにあなたが笑顔でいてパパの事が嫌いでも子供を幸せにするためにパパとムチュムチュ♡仲良い関係をウソでも三日間続ける。
そうすると天から仏のぼたもち、タナからぼたもち、素敵なある何かがあなたのふところにスッと入ってきます。それが何であるかは秘密です。
今のあなたは笑顔とは程遠いい状況。
それが自分と子供とダンナを不幸にしています。
夫婦関係においては、和することが一番。
和するとういう事はルールを設けないことです。
どちらかにとっては都合がいいルールであっても相手にとっては不都合。
マイルールの押し付けは夫婦間センソーの原因になります。
ぶっちゃけ奥サマにマイルールの押しつけがあるんざます。
こういうことは第三者から言ってもらうのが一番です。
当たっていても外れていても思い当たらずとも、まず、相手に対する自分の意見の押しつけを止める控える起こしもしない。
和するということは自分の中の理想的「和」を持たないことなのです。
自分のあらかじめ決めてかかった「和」は非現実的なのです。
すでにそうある。
あなたがそれを嫌いでも、今現に、そうある。
それが一番の和している姿なのです。
マイルール押しつけ症候群をいったん休止しましょう。
嘘でもいいから、ご主人とイチャイチャしてください。そしてとりあえずご主人をあなたを好きにならせてください。パパがママの事を好きになると子供は笑顔になります。
パパがパパの事を嫌いになると必ず子供は悪神に取りつかれましゅ。Σ(・ω・ノ)ノ!
好きか嫌いかなんて曖昧なものです。嫌いというのも一時的なもの。一時的な評価に過ぎんのです。
その感覚はすぐにコロリと変わります。
まずはパパから愛されるために、パパにいっぱい愛を注いで、パパがあなたの愛無しでは寂しくなってしまうようにしてみてください。かならず天からタナボタがあります。それが何であるかはまだ秘密です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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