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在家僧侶養成講座って?

回答数回答 2
有り難し有り難し 51

こんにちは。
私は、高校・大学と仏教(曹洞宗)の学校を卒業しております。

高校卒業時には禅師様直々に戒名を頂いたりと、かなり本格的な学校でした。

社会人になってからも仏教に関する本を読んだり、時には座禅会に参加したりと、仏教については興味を失わずに来ました。

しかし、先日インターネットで
「在家僧侶養成講座」
という、初めて目にする通信講座を見付け、これが仏教に興味を持つ方に役立つ物なのかどうか全く分からず、頭の中が「?」だらけになってしまいました。

どなたかに
「僧侶って通信教育でなれるの?」
もしくは
「仏教の修行は通信教育でできるの?」
と質問されても、今の私には答えられる自信がありません。

実際、通信教育で「在家僧侶」と認定されているお坊さんもいらっしゃるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ネズミ講の匂いがプンプンします

おっ、ということはあの学園かな?ひょっとしたらすれ違ったことくらいはあるかもしれませんね(笑)

さて、在家僧侶養成講座ですか。懐かしい言葉が出てきましたね。何年か前にお坊さん仲間がFacebookでシェアし、みんなで笑ったものです。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/shorikai/sub188.html
「見れば分かる、うさん臭い奴やぁん」(お祭り男風)と言いたくなりますね。騙す方も騙す方ですけど、これを見て騙されるようでは免疫が足りません。きっと「仏教のこととかドーデモイーけど、これで俺も坊主丸儲けの仲間入りだぜ!ヤッホーイ!」という人が入会するのでしょう。「災害に遭わなくなる」や予言を謳う宗教にはロクなのがありません。神理統一経というのも教祖サマ オリジナル教典です。

僧侶は通信教育でなれるか?なれません。期間に大きな差はありますが、どの宗派でも本山等での修行期間があります。この通信教育は『伝統仏教各宗派とは一切関係ない』。そして『通信教育をする特定の新興宗教の商品』とご理解ください。

追記(イマイチ回答になっていなかったので)

通信教育が修行になるかという所ですが、なりません。
何事にも先生という存在は付きものです。あれだけ強い女子レスリングの吉田沙保里さんでさえ監督やコーチがいます。世界のトップアスリートでさえ自分と向き合うために他人の目が必要なのです。想像してみてください。我が子に会ったことがない親が手紙だけ読み、返信で子供をしつけ、それで一人前に育てましたとドヤ顔するのを。気持ち悪いでしょう?

あなたも禅師さまから直接手渡しでお血脈を頂いたはずです。これは道元禅師のこだわりです。授戒は面と向かって授ける「面授」でなければ意味が無い。修行も面と向かって指導しなければ意味が無い。

面と向かうということは、理屈抜きで通じ合うものがあるのですよ。私だって大学の卒論で非思量をテーマに研究してもイマイチ消化しきれませんでした。でも、大本山の老師と夜に一対一の問答をしていただき、「非思量とは何でしょうか」と問いました。そしたらその辺の物を手にとって「コレです。コレです。コレです。これがこんな風で、私がこんな風なんです」とおっしゃり、それだけでハッとさせられました。でもこの回答を読んでピンと来る人はいない。そういうトコです。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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こんにちは。はじめまして。石田といいます。

気になって、以前、それの資料を取り寄せたことがあります。だって胡散臭すぎましたから。(わたしの場合は新聞掲載の広告か折り込み広告のどちらかで接して、そのはがきで取り寄せました。)同じものかどうかわかりませんが、それについて思ったことを記します。

結論から言うと、思っていらっしゃるのとはちょっと違うのでは?と思っています。

通常、僧侶はとある「宗派」に所属しています。(わたしは浄土真宗本願寺派です。)

しかし、その通信教育では、どの宗派にも属さずに勉強や実践をすることになるようでした。これは伝統的な仏教における僧侶とは著しく異なっています。「最終的にはどこかの宗派に所属することもできる」、的な書き方もなされていたような記憶もうっすらとありますが、しかし、必須ではなかったと思います。また、特定の宗派に関係がない「僧侶」であると明言するのなら、それはあくまで「在家僧侶」という「資格」を出すため「だけ」存在している団体が出す「資格」に過ぎません。ディプロマミルとまでは言いませんが、しかし、どこに出しても恥ずかしい「資格」となるでしょう。

この奇天烈な「資格」に依らない各宗派の通常の(?)僧侶は、釈尊から連綿と続く知識と実践の体系を引き継いでいます。上座部系や大乗系などに枝分かれはしていますが、どの宗派の僧侶も、自分が仏になっていく、ひとつの道を歩みます。ひとつの道を歩みながら、他の宗派について学んだりもしますが、「網羅的にすべてを学ぶこと=特定の宗派に属さないということ」ではありません。どこかに身を置いて、その中で学び実践し、その上に、別の宗派のことも学び得ます。が、どこにも所属せずにただ仏教的な知識を増やしたり仏教的に体を動かしたりするのは、仏教の「まねごと」に過ぎません。

どの宗派にも属さず、連綿と続く教えの体系の中に自分を位置づけず、勝手に「わたしはこれだけのことをやったから僧侶です」と名乗ったり、名乗らせたりしてしまう。それでは「私度僧」、もしくはそれ以前の、まったく違うものになってしまいます。

お気をつけください。

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石田 智秀 (ちしゅー)
お寄せくださった質問について考えさせていただくことで、必ず回答できる場合ば...
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質問者からのお礼

ご回答をありがとうございます!

「ネズミ講」「奇天烈」…まさしくぴったりな言葉で、思わず失笑してしまいました。

私も資料を請求してみましたが(笑)、少なくとも、僧侶ではなくともきちんと仏教を学んだことのある人は、絶対にお金を払うことはしないような内容でしたね。

世の中には、色々なモノが存在するのだなという、良い勉強になりました。

皆様、ありがとうございました!

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