義母の死
はじめまして アメリカ人の夫と子供のいるアメリカ在住の日本人女性です。
義理の両親が車で30分の所に住んでいまして、週末は一緒に食事やお誕生日のお祝いをしたり関係は良好で、特に義母とは本当の娘の様に可愛がって頂き、私もアメリカの母と慕っておりました。
その最愛の義母が3年に及ぶ闘病の末、昨日午後に自宅で家族が見守る中、眠るように息を引き取りました。
私にとって身内の死は初めての事で、(日本の両親は高齢ですが、とても元気で私との関係は大変良いです) 今朝起きて義母の事を考えてしまい、寂しくて涙が止まりません。
敬虔なカソリックである、義理の家族、親戚、夫、子供達は「神の元に行かれ、苦しみから解放されたので良かった」と理解しているようですが、カソリック信者でない私には到底理解できません。
日本の家族や周りに日本人のお友達もいるのですが、「いつもエネルギッシュで明るい人」というイメージがあるので、メソメソして心配させたく無く、この寂しさをどうしたら良いのか、心の整理がつきません。
義母の死を受け入れることが出来なくて大変苦しいです。
アドバイスをどうぞよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
枝葉にはとらわれないで下さい
ガーデンさん
国際結婚を決意してお嫁に来てくれたガーデンさんを受けて入れてくれたお義母さんが亡くなり、とてもおつらいことと思います。
まず「メソメソして心配させたく無く」についてですが、それは抑制せず、悲しんで欲しいと思います。決して、悲しむことを否定しないで下さい。また周りの方には素直に「しばらく義母の死を悲しみたいの」とおっしゃってみてはいかがでしょうか。詳しくは以下のページをご覧下さい。
http://hasunoha.jp/questions/107
そして、アメリカのご家族が「(お義母さんが)神の元に行かれ、苦しみから解放されたので良かった」と理解していることについてです。
弔いは、人種や国や宗教によって考え方が違うものです。ちなみにガーデンさんご自身はどのように考えていらっしゃるのでしょう? あるいはどう言われれば、しっくりと来るのでしょうか?
ガーデンさんがしっくり来ることは、アメリカのご家族は残念ながらピンと来ないと思います。
21世紀は、宗教の相互理解の世紀と言われています。
枝葉の違いに目を向ければキリがありません。ここは、細かい表現の違い(天国・極楽・あの世…などなど)にとらわれず、亡き人を大切に思い、偲ぶ思いをご家族と共有していて頂ければよろしいのではないでしょうか。
いずれにしても一朝一夕に悲しみが消えることはありません。
その悲しみも、大切になさって下さい。
ー追記:お礼を受けてー
お義母さんが亡くなった後のご家族の行動をお聞きし、「弔いは、人種や国や宗教によって〜〜」と書いておきながらも驚いてしまいました。決して冷たいワケではなく、アメリカではそれが通常なのでしょうか。
日本とはかなり雰囲気が違いますね。こちらだと「四十九日が過ぎるまではレジャーなどは控えるべきだろう」と考えるのが一般的だと思います。文化の違いだと受けとめるしかなさそうですね。
これからもガーデンさんなりに、時には悲しみ、時には喜び、時にはバーベキューをしながら受けとめていって下さい。
日常がかえってくる
ガーデン様、こんにちは。すでに”お礼”が書かれていますが、回答いたします。
義母さんのこと、お悔やみ申し上げます。とともに、悲しいことですね。
さて、悲しいことですね・・と書きましたが、人によって違ったりします。家族の中でも違うでしょうし、本人のなかでも違います。
そして、時間によって等等。時と場合によって心もちは変化すると思います。
さらに言えば、これからも続く人生のうえで、なにかがキッカケとなり、また悲しくなるときがあるかもしれません。
アップダウンの幅は人それぞれですし、トリガーとなる時節もそれぞれです。
”本当に何も感じない”場合は、カウンセラーなどの医療関係に頼るのがいいでしょう。
でも、たぶん、たとえ悲しくてもお腹は減るし、トイレも行くし、お風呂も入るし、やらなければならないこともあると思います。
日々の暮らしの中で、ふと笑ってしまったり、心や頭がべつのことが浮かぶ時があるはずです。
たとえ辛くとも、悲しくとも、日常はかえってきます。
それはきっと、ガーデンさんが多少なりとも「事実を受け入れる」ことが出来てきている証拠、とも言えるかな。そう私は思います。
キリスト教と仏教
ガーデン様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
義母様のご逝去、誠にお悔やみを申し上げます。謹んでご冥福をお祈りさせて頂きます。
カトリック信者の皆様による義母様の死への捉え方とガーデン様の捉え方とでは大きく異なっているところがあり、やはり信仰する宗教の違いによって、ある程度戸惑いが生じるのは仕方のないことであるかとは存じております。
キリスト教の教義にはあまり詳しくありませんが、下記の「カトリックの死生観」の内容は少しく参考となるのではないだろうかとは存じております。
カトリックの死生観
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2696/mors.html
カトリック信者の皆様は、義母様は、死後、永遠の「幸福」へといざなわれたと信じておられるため、「良かった」と思われているのではないかと推察致します。
拙生はキリスト教と仏教の教義の違いを細かく挙げれる程にキリスト教の教義に詳しくはないのですが、仏教では、創造主・絶対神を認めない点、死後永遠なる霊魂の存在を認めない点などが代表的なものとなるのではないかとは存じております。
更には、仏教では、「輪廻解脱論」、キリスト教では、「信仰救済論」など、色々と教義における相当な隔たりもありますが、一つ言えるのは、どちらも「善い行い」を勧めるというところがあるのではないかとは考えております。悪業を積まないため、罪を積まないためということであります。但し、キリスト教において洗礼による「罪の赦し」の後において犯した罪についてはどのように扱われるべきであるのか、その犯した罪の報いはどうであるのかについては拙生自身あまり理解することが今のところできてはおりません・・
もちろん、色々と議論の余地はあるでしょうが、永遠の「幸福」へといざなわれたことを、仏教的に捉え替えて、悟り・涅槃(永遠の幸福)を目指されるために御仏浄土(神の国・天国)へと修行に向かわれた(いざなわれた)として、亡き義母様のこれまでの御恩に感謝致し、ご冥福をお祈りし、ご慰霊をなさられて、その御恩に報いられる善い行いに努められることをお勧めさせて頂きたいと存じております。
川口英俊 合掌
自分に素直に
ガーデン様へ
素直に泣きましょう。
メソメソしてもいいではありませんか。
他者の抱いているイメージを崩してもいいのでは・・・
それこそ人間らしいではありませんか。
自分の本当の気持ちを隠しているほうがつらくないですか。
いつも明るくばかりでなく、悲しいときは泣きましょう。
やはり心配させたくないので泣けないのであれば、ぜひ周りの人に一言、「さみしい」と訴えてみてはどうですか。
きっと手を差し伸べてくれる人が周りにきっといるはずです。
最愛の義母様はきっと向こうでそんなあなたを心配していますよ。
合掌
ガーデン様。
先ずは、義母様のご冥福をお祈り致します。
さて、浦上哲也 師も仰られておられますが、今は悲しんで下さい。
今は悲しんで当然ですし、其れを堪える事はしないで下さい。
確りと今悲しまないと、後で其れが体調を悪く変化させる恐れも有りますから…
また、周りの方に配慮為さる事も今は必要有りません。
素直に「しばらくの間義母の死を悲しみたいのです」と仰って何等構いませんよ。
なお、詳しくは以下のページをご覧下さいませ。
http://hasunoha.jp/questions/107
宗派や教義の違いの云々よりも、今は亡き義母様への思いを大切に、偲ぶ思いをご家族と共有為さって頂く事が宜しいのではと存じますよ。
質問者からのお礼
迅速なアドバイスありがとうございます。
そうですね。 義母が亡くなって1時間後には夫は「天気が素晴らしく良いから」と子供達を連れて動物園に行ってしまうし、義兄も「今夜は庭でバーベキューにしようか」と言い、義父は「月曜日の絵画教室は出席出来るな」とか話していて、絶句でした。 本当に仲の良い家族で冷たい家族だと言うわけでは無いのです。 でも、すぐに日常生活に戻れる変わり身の早さに上手く溶け込めず、苦しく、寂しい思いをしていました。
でも、それが彼ら流の死に対する捉え方と尊重して、私も義母を想い涙を流してもいいのだと思えるようになってきました。
義母は亡くなるまえに葬儀屋さんや、自分の遺影に使う写真、棺桶に入る時に着るワンピース、参列してくれた方々に振舞うお料理のメニューまで決めて逝ったので、全然ドタバタもしていなくて、義母は数日旅行で家を空けているだけの様に思えます。
今日は母の日なので、これから実家に行って私と義母の為にお祝いをしてくれるそうなので、楽しんできます。 まだまだ夜などメソメソしてしまいそうですが、悲しみも大切に思えるようになれば良いなと思います。
本当に心救われるアドバイスありがとうございました。
送付して頂いたページもこれから観てきます。
ありがとうございました。
沙門密富様 川口英俊様 向井真人様
まとめての御礼で失礼いたします。
一昨日、昨日とお通夜、葬儀を無事に済ませることが出来ました。
教会で歌われる讃美歌から、棺桶の色、墓石、葬儀後に参列者に食べていただく食事のメニューまで事細かに自分で決めて逝った義母の配慮されたお通夜、お葬式に混乱も一切無く沢山の親戚や友人に見送られた素晴らしい式でした。
私は地元の小学校で教師をしているので、葬儀の次の日には職場へ戻りました。 子供達からエネルギーをもらい、忙しくしているのが幸いです。 アメリカ人や日本人の友人にも気をかけていただき本当にありがたい事です。
日本の両親、姉も急遽日本からお葬式に参列するため渡米してくれました。
義母は生前誰にでも分け隔てなく人々に接し、いつも感謝の気持ちを忘れなかったので、私も空から見守ってくれる義母に恥じないように、日々感謝しながら生きて行こうと思います。
皆様の心に沁みるアドバイス、お言葉本当にありがとうございました。
辛くなったら又皆様からのご回答を読んで心を落ち着かせる事にします。
ありがとうございました。
ガーデン
鈴木光浄様
励ましの御回答ありがとうございました。
最近義母の夢を2回ほど見まして、亡くなった時と同じかなり痩せてはいましたが、棺に入るのに義母自身が選んだピンクのワンピースを着ていまして、私と普段通り会話を交わしました。 目が覚めてとても嬉しかったです。
だんだん日常が戻って参りまして、先週は親しいお友達数人でランチをしながら私の気持ちをじっくり聞いてもらいました。
まだ義母が旅立ったと言う事実は受け入れられないのですが、義母との楽しかった思い出を毎日反すうさせて心を落ち着けています。
ありがとうございました。