辞めるべきですよね
私はお好み焼き屋さんでアルバイトをしているのですが、ちょうど1年ほどになります
そのお好み焼き屋さんは一家6人で経営しており、その家族の方も同じバイトの4人の女の子も皆仏のようなとてもいい人です
グラスを割っても大丈夫?怪我はない?と、オーダーミスをしても復唱したならあなたは悪くないよ。このメニューは聞き間違えやすいから仕方ないよ。といつもニコニコと笑って許して下さり、どんなにミスをしても1度だって怒られたことはありません
私は元来そそっかしく、何をやってもダメなのです。気をつけてはいるのですがやはり注意散漫でミスが多いです
オーダーミスはしょっちゅうやるし、食器も何度も割っています
そんな私にも優しく接して下さる皆さんに日々感謝と申し訳なさを感じているのですが先日ついにやらかしました
お客様にお出しする料理をひっくり返したのです
しかも鉄板に入った熱い料理をよりによって日曜夜の一番忙しい時間帯にやってしまいました
近頃は特にミスが多くこの日の少し前にも出勤時間を1時間間違えてしまっています
シフト管理をしてくれている長女さんがLINEをくれていたのですが普段からあまりスマホを見ない私は気付かずそのまま1時間遅れで出勤
着いて初めて遅刻に気付きました。その時もやはり怒られず何もなくて良かったと安心されました。その日は後半から忙しくなり、私は延長になったのですが、バイトが終わってもう1度謝ると後半が忙しかったからむしろ1時間遅れてくれて助かったよ!と感謝されてしまいました
更にその前の出勤の際にお会計が10080円だったのですがお客さんに5000円札を4枚と80円を渡され、私もお客さんもちょうど払ったと勘違いして、そのままお釣りなしでお会計を済ませてしまいました
しばらくしてお客さんから電話があり、後日取りに来るとのこと
私は平謝りしたのですが、お互い勘違いしてたんだから大丈夫だよ。とまたしても怒られませんでした
そんなことがあってすぐだったので流石にいたたまれなくて泣きそうになりました
こんなにいいお店に私が居たのでは逆に売り上げが落ちてしまうのではないかと思ってしまい、辞めようと考えています。本当なら続けていきたいのですが、このお店が好きなだけに私はやめた方が良いのではと思います
何をやっても駄目な自分に嫌気がさします。私はどうするべきでしょう
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
相談するご自身を見よう
こんばんは。前回の問答も拝見しましたが、そこから感じる貴女と、今回の問いから感じる貴女には随分ギャップがあります。
冷たく言いますが、貴女が「辞めるべきですよね」と思っているなら、そうするべきであります。
もしも誰かに引き留められ、「じゃ、続けまーす」という展開になったら、事態はあまり好転しないのではないかと考えます。
そもそも、貴女はなぜこのことを「坊さんに相談しよう」と思ったのですか?貴女なりの期待ー「いいんじゃない、仏様のような皆さんから、別に辞めろって言われてる訳でもないし、一病息災で、却ってみんなの為になってるかもよ?」みたいな甘えがあるとしたら、それは残念に思います。
しょっちゅうミスをし、尚且つそれを受け入れてもらうことに慣れてしまうと、あなたの集団内でのポジションは「切るときは一番最初ね」という体質になります、何処にいても。バイトならまだしも、それを体質としてもつと、結構辛いですよ?
私が貴女について心配なのは「元来そそっかしく、何をやってもダメなのです」と言いながら、「言ったよね?」じゃありませんが、そのままで居続けたいという気分を感じるのです。ーこの質問から!
お寺にも、怖い顔の像が飾ってあることがあるでしょう?優しく導くだけでは駄目な人もいる、と考えられてきたからです。せめてそのお店の方が、「じゃ厳しく、ペナルティもするね」と言ってくださるかも知れません。「その方が、お客さんにも勿論、貴女の将来のためにも良いかも」と考えて。そんな人達がそこまで言ってくれるとしたら、それこそ仏心ですよ。
『お詫び』
投稿した文章は仏典・論書・祖録等を引用して予め法理を明示しなかった為に、回答内容が仏教とは異なった通俗的な価値観に比重を置いたアドバイスになっておりました。
この回答が仏教を学ばれる方々の妨げとなる可能性がありましたので、まことに勝手ながら回答を全て削除させていただきました。
代わりにここでは、仏教の概要を少し紹介させて頂きたいと思います。
『仏道』
仏教の門戸とその修行法は多種多様でありますが、その道のりの先にあるのは解脱です。
大乗仏教では、菩提心がその人に現れる時から仏道は始まり、数多の転生を繰り返し、数多の大師や仏菩薩と出逢いながら、久遠の修行の時を経て、その人の全てが捧げ尽くされ、そこで菩提心が開示されます。
道の始まりから人は、菩提心に導かれ解脱へ辿り着きますが、そこで悟るものも菩提心です。
道の初め、自らの苦しみからの解放を求める切なる純粋欲求であった個人的な菩提心はやがて、すべての存在を救いたいという祈りに裏打ちされた不屈の意志と信心をその人に刻み付け、非個人的な菩提心が解放されます。
そのような菩提心と與に道を歩む人を菩薩と呼びますが、菩薩の意志や信心、原動力の源が解脱の時に悟ることになる菩提心です。
菩薩が歩む大道の上には、見道や解脱、その先に続く仏としての完全な成就の因となる多種多様な修行が立ち現れます。
日本仏教という道もこの大道を源としているので、全ての道はそこへ還りつくようになっています。
その人の道はその人にとっての真性の師である覚者との邂逅や、久遠の時を與にしながら道を歩んだ法友との再会によって開かれ導かれていく歩みであると伝わっております。
どうかしげ様の出逢いとその歩みの上に障碍がありませんように。
願以此功徳
普及於一切
我等與衆生
皆共成仏道
質問者からのお礼
お礼が遅くなりすみません。
ありがとうございました。


