母の死
母が急死してしまいました。
母が検査入院のまま入院してしまい、気になって帰省した翌日の事です。
暴力から疎遠になっていた兄との事も母の為悔しさを押さえ8年振りに帰省したのに、一言も喋る事なく逝ってしまいました。
偶然死に目に会えて良かったと言われても、気持ちに整理が付かず、後悔と信じられないショックと不安でどうしていいのか分かりません。
死に目に会いに行ったはずじゃないのに、何なの?
私に与えられた罰なのか?なんの為に長年の苦しみを押さえて帰ってきたのか分からなくなってしまいました。
もう今は何もする気が起きなく、このまま消えてしまいたい気持ちです。
子供がいるからしっかりするんだよ。
泣いてるとお母さん悲しむわよ。
言われれば言われるほど、苦しくて苦しくて消えてしまいたくなります。
誰に何と言われようが今は母の事しか考えられません。
どうしていいのか分からないのです。
何故こんな別れ方をしなくてはならないのか。
これから先、誰に気持ちを打ち明けて行けばいいのか。
何故母がこんなに突然死ななくてはならないのか。
今月末には会う約束さえしてたのに。
何故何故と問うばかりです。
母は最期私の事を少しでも考えてくれたのか、話はなかったのか、考え出すときりがありません。
いきなり1人ぼっちにされた気分が拭えません。
私が弱いのか、子供なのか、整理ができません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛別離苦
どなたもお答えになられないので、失礼ながら回答させていただきます。
愛情が強ければ強いほど、関わった時間が多ければ多いほど 失われた気持ち、喪失感は大きいと思います。
特にお母さまを亡くされるという事は悲しいことですね。
謹んでお悔やみ申し上げます。
かなしい時は悲しいに徹して頂くことが一番です。
色々して差し上げたかったこともおありであったと思います。
お母様を亡くされた、という喪失感が一番苦しいと思います。
毎日、御遺影、お位牌の前でお香を手向けられるなど、生前と変わらぬ在り方で接していってください。
かならず、あなたの心の中でお母様に向き合えるようになります。
それまでは、お母様が安らかであられるよう、宗派によってお唱え事は変わると思いますが、
「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」とお唱えをされる事で、お母様は必ず成仏なされることを道元禅師さまは正法眼蔵、道心の巻で説いておられます。
別れと言うのは、あたらしい関わり合いの始まりでもあります。
お母さまは、決して失われる事はありません。
あなたの心の中から誰も奪い去る事はできません。
あなたが心の中で念ずれば、必ず❝応現❞なされます。
失うことをさせないように過ごしてみてください。
決して心の中から消え去る事は無いのだと。
地球から太陽が離れても、宇宙から亡くなることがない様に、姿こそ変われども、あなたのそばであなたの成長をずっと見守っておられます。
「お母さんは、ここにいる。お母さんは、ここにいる」と念じて、自心の中のお母様を見出してください。
すでにお母さまは、沢山の情愛、愛情をあなたに注いで来られたはずです。
月は月自らが光るのではありません。
日によって照らされ、その輝きを分かちます。
暖かさとしてその光が感じられることは無いにしても、闇にはなりません。
あなたはお母さんから沢山の光を頂いたはずです。
その光、暖かさは決して失われないのです。
誰かを照らすことで、お母さんがあなたの中に内在して一緒に歩まれている事を実感できると思います。どうか、光の方へ歩みを進めてください。
あなたのお母さまが成仏なされますよう、微力ながらお念じ申し上げます。
南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧
子どもさんに涙を見せていいんです
ご愁傷様です。
亡くなったお母様に対し、自分が何かできたはずという後悔、どうしてという答えの無い疑問、これらはどなたでも自然に持たれる感情です。弱いからでも子どもだからでもありません。カトレアさんがお母さん思いの心の優しい方だからです。
自分が死ぬことは怖い、他人が亡くなることは悲しい。ですので、お母さまは悲しんではおられません。そのことについてはご安心ください。もちろん、仏さまのお仲間入りをしたのですから、怖さからも離れて、穏やかな温かい気持ちになられています。
また、子どもさんに対して無理に繕わず、お母さんはおばあちゃんが亡くなって悲しくて、つらいとお話しいただいて結構なのです。子どもさんにとっても、そんな心細やかな優しいお母さまを見て育つことは幸せなことではないでしょうか。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。遠方に住んでいる為、写真や花を飾り御線香をあげ母と向き合いたいと思います。
今はまだ、誰にも会いたくない状態で事あるごとに、母が居たら、母が居たら…と思ってしまいます。
御坊さまのおっしゃる通り、今は49日の法要に向け母の安らかな成仏と自分の気持ちが母は一緒なんだと思えるよう心から祈りたいと思います。
母は今どうしているのだろう。
本当に死んでしまったの?
まだまだ時間はかかると思いますが、一生懸命祈りを捧げたいと思います。
数ある質問の中、お気にとめて頂き本当に感謝いたします。
何度も何度も読み返しました。
遠東寺増田僧侶さま。
お返事心より感謝いたします。
母とは遠方の為5ヶ月会って居らず、3月の子供の春休みにみんなで遊びに出掛けようね!と約束し子供共々その日を待っていたところの出来事でした。
また、急遽入院してしまっているから、なかなか電話が繋がらないから何かあったら父に電話するように、と入院先からこっそり電話が来たのが最後の会話となってしまいました。
その為、私の中で逢えず終い。話せず終い。
という思いが強く今もその寂しさ悲しみや後悔の念でいっぱいなのです。
そんな中、分かっていても、なかなか子供達に対してや、普段の生活の中、今まで通りにいきなり明るく何も無かったかの様に切り替えて生活を始める事が自分の中で困難に思える中、
御坊さまから、『涙を見せてもいいんです』とのコメントを見た時、何故かホッとして涙が込み上げてきました。
私にとっては大切な母が亡くなって2度と会えなくなってしまったのは本当に悲しい事でした。
しかし家庭があり、子供が居るんだからしっかりしないとダメ。泣いてたらだめよ!と励ましのつもりで掛けて下さる言葉さえも、その時私にとっては重く苦しい言葉に感じ、何故自分は結婚し、母となってしまっているの?こんなに悲しい事が起きているのに、母の子供として悲しむ事すらならないの?と苦しくて苦しくてたまりませんでした。
悲しんでいいんだよ。
その一言で言い表せないホッとした涙が込み上げてくるのです。
分かっているのです。
ただ時間が欲しいのです。
母の娘に返る時間が。
今は御坊さま方の暖かいお返事を読み返し、母の安らかな成仏を願い祈りを捧げたいと思います。
そして少しずつ前を向いて行けるよう親の顔に戻れるよう努力したいと思います。
長くなってしまいましたが、数ある中、目に止めて頂き本当にありがとうございました。
暖かいお返事。心より感謝いたします。