自分を許せず責め続けてしまいます
こんにちは、また相談させてください。
とにかく自分を責めることをやめられません。
もうほとんど癖になっています。
大きいことでも些細なことでも、もう何年も前のことであっても、何度も何度も蒸し返しては責めてしまいます。
時には自分を痛めつけることもしてしまいます。
心の中で謝罪ばかり繰り返しています。
なんでちゃんと考えずあんな言い方をしたのか
なんで間違えた時に対処法が思いつかなかったのか
なんで大丈夫と思ってしまったのか
なんでおかしいとすぐ言えなかったのか
今更思い返してもやり直せないと思いながら、ぐるぐるといつまでも考えます。
それが原因で体調を崩し寝込むことも多いです。
そのことで家族に心配され、また心配させてしまった罪悪感から自分を責めてしまいます。
「そんなことで」と言われるのが怖く、相談もできません。
いつまでも同じことを繰り返しつらいです。
自分でも責め続け、周りからも責められていると感じます。
反省して同じことをしなければいい、とよく言われますが、一度の失敗をなかなか許すことができません。
罪の意識に押しつぶされそうで、最近は死について考えることが多くなりました。
そんなことばかり考えて楽しいことも心から楽しむことができず、なにもする気が起きません。
このままでは頭がどうにかなりそうです。
なにかアドバイス頂けたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
みんなあなたと同じ傾向を持っているようです
あなたの悩みは「みんな」というと言い過ぎかもしれませんが、多くの人が抱えているもののようです。
宮城県仙台市に「みんなの寺」というどこの宗派にも属さないお寺があります。その寺の奥さん、天野和公さんは何冊かの本を書いておられます。ミャンマーのお寺で瞑想の指導を受けておいでになったとき、自分の心を観察し、後悔したり自分を傷つけたりすることを好む傾向を持っておられることに気づかれました(もともと自覚しておられた面もあります)。
指導者であるミャンマーの高僧や日本人の西澤さんという偉いお坊さんから、反省はしても後悔はしない、ということを教えられますが、その通りにするには困難を伴ったと書いておられます。
このことと私自身のことを引き比べてみると、人間は後悔したり自己嫌悪したりするのが好きなのだということが分かります。つまり、みんな(ではないかもしれないけど、多くは)同じような傾向を本性として持っているということですね。
だから、この本性を変えていくには、別に仏教の瞑想法が唯一の方法という気はありませんが、一例としては日本テーラヴァーダ仏教会などに連絡をお取りになり、瞑想の指導を受けてみるのも一つの方法であると思います。もともと持っている心の向きを変えるには、それに適したトレーニングが必要だと思いますので。
また、私たちの浄土真宗はトレーニングは行いませんが、ご法話を何度も聞かせていただくことにより、自分が仏さまの慈悲に包まれているかけがえのない尊い存在であることに目覚めさせていただく教えです。これは瞑想とは違った素晴らしい面があります。
ともかくも、自分で悩んでいてもあなたの問題は解決しません。福井でしたら浄土真宗の盛んな地域で、探しさえすれば信頼できるお坊さんもすぐそこにおられます。直接、face to faceでお話しなさることをお勧めします。
質問者からのお礼
藤岡俊彦様
ご回答ありがとうございます。
同じように悩んでいる人はたくさんいるのですね。
「後悔したり自己嫌悪するのが好き」の言葉にどきっとしました。たしかにそういう部分はある気がします。
反省しても後悔はしない、わかっていてもやはりそんなにすぐには切り替えられないものなのですね。
自分だけではないのだと少し安心しました。
天野和公様の著書も探してみようと思います。
トレーニングについてなど、様々なアドバイスもありがとうございます。
参拝には行きますが、お坊さんと直接話したことはありませんでした。一度、相談に行ってみようと思います。