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自分を許せず責め続けてしまいます

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有り難し有り難し 12

こんにちは、また相談させてください。

とにかく自分を責めることをやめられません。
もうほとんど癖になっています。
大きいことでも些細なことでも、もう何年も前のことであっても、何度も何度も蒸し返しては責めてしまいます。
時には自分を痛めつけることもしてしまいます。
心の中で謝罪ばかり繰り返しています。

なんでちゃんと考えずあんな言い方をしたのか
なんで間違えた時に対処法が思いつかなかったのか
なんで大丈夫と思ってしまったのか
なんでおかしいとすぐ言えなかったのか

今更思い返してもやり直せないと思いながら、ぐるぐるといつまでも考えます。
それが原因で体調を崩し寝込むことも多いです。
そのことで家族に心配され、また心配させてしまった罪悪感から自分を責めてしまいます。
「そんなことで」と言われるのが怖く、相談もできません。

いつまでも同じことを繰り返しつらいです。
自分でも責め続け、周りからも責められていると感じます。
反省して同じことをしなければいい、とよく言われますが、一度の失敗をなかなか許すことができません。
罪の意識に押しつぶされそうで、最近は死について考えることが多くなりました。

そんなことばかり考えて楽しいことも心から楽しむことができず、なにもする気が起きません。
このままでは頭がどうにかなりそうです。
なにかアドバイス頂けたら嬉しいです。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

みんなあなたと同じ傾向を持っているようです

あなたの悩みは「みんな」というと言い過ぎかもしれませんが、多くの人が抱えているもののようです。

宮城県仙台市に「みんなの寺」というどこの宗派にも属さないお寺があります。その寺の奥さん、天野和公さんは何冊かの本を書いておられます。ミャンマーのお寺で瞑想の指導を受けておいでになったとき、自分の心を観察し、後悔したり自分を傷つけたりすることを好む傾向を持っておられることに気づかれました(もともと自覚しておられた面もあります)。

指導者であるミャンマーの高僧や日本人の西澤さんという偉いお坊さんから、反省はしても後悔はしない、ということを教えられますが、その通りにするには困難を伴ったと書いておられます。

このことと私自身のことを引き比べてみると、人間は後悔したり自己嫌悪したりするのが好きなのだということが分かります。つまり、みんな(ではないかもしれないけど、多くは)同じような傾向を本性として持っているということですね。

だから、この本性を変えていくには、別に仏教の瞑想法が唯一の方法という気はありませんが、一例としては日本テーラヴァーダ仏教会などに連絡をお取りになり、瞑想の指導を受けてみるのも一つの方法であると思います。もともと持っている心の向きを変えるには、それに適したトレーニングが必要だと思いますので。

また、私たちの浄土真宗はトレーニングは行いませんが、ご法話を何度も聞かせていただくことにより、自分が仏さまの慈悲に包まれているかけがえのない尊い存在であることに目覚めさせていただく教えです。これは瞑想とは違った素晴らしい面があります。

ともかくも、自分で悩んでいてもあなたの問題は解決しません。福井でしたら浄土真宗の盛んな地域で、探しさえすれば信頼できるお坊さんもすぐそこにおられます。直接、face to faceでお話しなさることをお勧めします。

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有り難し
おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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質問者からのお礼

藤岡俊彦様
ご回答ありがとうございます。

同じように悩んでいる人はたくさんいるのですね。
「後悔したり自己嫌悪するのが好き」の言葉にどきっとしました。たしかにそういう部分はある気がします。
反省しても後悔はしない、わかっていてもやはりそんなにすぐには切り替えられないものなのですね。
自分だけではないのだと少し安心しました。
天野和公様の著書も探してみようと思います。
トレーニングについてなど、様々なアドバイスもありがとうございます。
参拝には行きますが、お坊さんと直接話したことはありませんでした。一度、相談に行ってみようと思います。

「自分を許す・認める・受け入れる」問答一覧

感謝や反省をする方法が知りたい

こんにちは。 今回は 『感謝と反省をする方法』について ご相談させていただきたいです。 なにか感謝をすることを見つけたり、感じたら『ありがとう』 なにかをらしてしまったり、なにかをやってしまったかな…曖昧なときでも私がなにかやったと感じたときには『ごめんね』を 意識して相手に伝えるようにしています。 その『ありがとう』と『ごめんね』を心の底から思えていない気がします。 できる日はスマホのメモに ・元気に過ごせた ・お腹いっぱい食べることかできた ・暖かいところで過ごせた ・大切な家族と楽しい1日を過ごすことができた など感謝と反省点を記入するようにしています。 感謝をしたり、これはよくなかった…と気づくことはできているのですが 『ありがとう』と『ごめんなさい』は言葉だけのことが多くて、心の底から思えてないことが気になります。 悪いことをしてしまったとき 『ごめんね』は言葉では、いくらでも言えますが心から反省ができていなく、同じことを繰り返してしまうことが苦しいです。 苦しい、後悔を感じていても 悪いことを繰り返してしまったり、改善できないことが相手や自分自身を傷つけていたり、体がネガティブな感情に縛り付けられて いるようで苦しいです。 どのように改善したり、工夫をしたり、 どのようなことをすると 『ありがとう』と『ごめんなさい』を心から思うことができ、同じことを繰り返さないようにできるのか教えていただきたいです。 お忙しいところ恐縮ですが、 教えていただけると嬉しいです。

有り難し有り難し 14
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自分の弱さを認め受け入れることの難しさ

いつもお世話になっております。 小さな失敗でも大きな失敗でも、それを起こしてしまったことで「もう生きていたくない」「生まれてこなければ苦痛はなかったのに」と、過度に落ち込んでしまいます。 職場の人のアドバイスでは、「完璧主義が強すぎる、もっと自分の弱さを認めて周りにもさらけ出せる方がいい」ということでした。 メンタルヘルスやチームビルディングの観点からも、そうした方が楽になれるし共感を得やすいということは分かるのですが、なかなか自分の弱さを受け入れることができません。 ・自分の弱さを受け入れられたとは、どういう状態を指すのでしょうか? ・私は人間未満の存在なので、ほかの人との差を埋めなければだめだと思っています。マイナスをゼロに戻そうとする人生は、完璧主義とは異なると思うのですが、いかがでしょうか? ・生まれてきたことそのものが私自身の弱さだと考えますが、おそらく重すぎてこの弱さに共感は得られないと思います。どのように認知を整えれば良いでしょうか? ・仮に私以外の皆さんが自覚できている「弱さ」を自分で見つけられたとして、それを共有することで「私にとって必要としていないアドバイス」や「共感が得られない」というフィードバックになって返ってくるのが怖いです。どのように弱さを話していけば良いでしょうか? 永遠にこの生きづらさが解消できる気がしないので、どこかで人生を畳みたいです。お知恵を拝借できれば幸いです。

有り難し有り難し 26
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赦して欲しい

昨今、「こいつは実はこんな悪いことをしていた!」というニュースをよく目にします。それに伴い、「こいつはこんな悪い奴だから何を言ってもいいのだ」とばかりに言葉の石を投げる光景も。 巷を賑わせている、既に亡くなってしまったあの人のように最後まで悪業を改めないのならまだしも、「悪いことをしてしまった」と反省して前を向いて頑張っていたとしても一生悪人のままなのでしょうか? 私は最近、なるべく身の回りで起こることを赦していこうと思うようになりました。というのも、私自身後ろ暗い過去や墓場まで持っていきたい秘密があります(現在進行形でしている悪さはない…と思いますが)。私が赦して欲しいからこそ人を赦していこうと思っています。 しかし、これからどう生きていても、過去が変わらない以上一生悪人のままなのか、それを知らずに私を慕ってくれている人たちを騙しているのか、とても不安になります。 誰かにこれまでの私を赦して、肯定してほしいです。何か私の考え方や生き方に誤りがあれば教えて欲しいです。そして、これから真っ当な人生を歩んでいけるように見守っていただきたいです。 相談とは違う内容かもしれませんが、是非ともお答え願いたく存じます。よろしくお願いいたします!

有り難し有り難し 21
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自分を許せません

自分を許すことができず、幸せになる資格などないと考えてしまいます。 結婚し、夫と楽しく過ごしています。 ですが、1人の時にいつも考え込んでしまい泣きたくなったり、苦しくなってあまり食欲が湧かない事が多々あります。 原因は、私が過去にしてしまった事です。 今の夫と付き合っていましたが、結婚前に同じ職場の男性と仲良くしていました。 ほぼ毎日他愛も無い連絡をしていました。 友達だと思っていましたが、仲が良すぎて周りの人達から勘違いされている程でした。 当時実家の仲が悪く、外に出たい私に付き合ってその男性はよく食事をしてくれていました。 夫はその時忙しく、私の相手をする暇もあまりありませんでした。 夫は知りません。 周りの人から勘違いされる程仲が良かったという事が自分の中でとても引っかかっています。 夫が知ったら悲しんでしまう。 傷つけたく無い。自分の罪悪感を解放するために夫に伝えるのは違う。 と思い、時間が経っています。 今はその方と会う事も話す事も無くなりました。 皆んなどういう目で私を見ているんだろうと気になってしまいます。 フラフラしている嫌な女と思うのでしょうか。 自分自身がそう思っているとは思います。 心が軽くなる日は来るのでしょうか? 許せない自分を学びに変えて、前に進みたいです

有り難し有り難し 7
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できない自分でも認めたい

 ありのまま自分を認めることがとても難しいです。人より優れた点がない割に、普通と比べてできないことが幾つかあります。  特に、人付き合いが苦手です。  学校では全く人脈を築けず、卒業後に身体を壊す程ストレスフルな場所でした。通った年数分の時が経っても完治しておらず自己防衛か何かなのかその頃の記憶があまり思い出せません。今でも時々思い出すのは一度、限界を迎えて訴えた時に父から「学校へ行かなければ殴る」と脅され母には泣かれ、一日とも休めなかったことです。また、いじめがあっても友人は話を聞いてくれず連絡がつかないこと。誰も頼れる人がいませんでした。 今では苦しみに向き合うため勉強し、心のケア専門の機関に関わったり、人との最も優れた関わり方というものを研究しています。しかし、人に好かれる話し方を勉強したらありのままの会話ができなくなり、友人はできても気を遣い過ぎでストレスが溜まってしまいます。 駄目な自分を受け入れる為に発達障害の診断を受けに行きましたが、その精神科医には酷く叱られました。何故か、精神障害を馬鹿にするなと睨み付けられ、まともなテストもして頂けなかったのです。散々空気が読めないだの悪口を言われ、友人もできず悩み苦しんだ末の行動でした。しかし何も話を聞かずに、拒絶でした。お医者様は恐らく虫の居所が悪かったのでしょうが、今でも自分が何か悪かったのかと考えてしまいます。 世の中では多様性を認めるとか、無理をしないで休んで良いという言葉を聞きます。 ですが、誰にも受け入れてもらえなかった、向き合ってもらえなかった事実があって、休むことが怖いです。 努力を怠ればすぐ追い越され取り返しがつかなくなるという恐怖です。それは違うと理屈で分かっていても、周りの人がとても立派なのを見て、できないのは自分だけに思えてきます。 では一人を楽しもうという方向で最近考えを改めてはいるのですが、本能か何か一人でいるのが猛烈に寂しく死にたくなってしまうのです。そして何か成そうと、趣味やSNSに心を病むまでに打ち込み過ぎてしまったりします。  他人と比較する癖、在るか分からない平均度を越えようとしてしまう癖、自責癖などがあり、前向きな考えを持てず将来を考えると辛くて仕方なくなります。  根拠なく自分を認める心を持ちたいです。 長文失礼しました。もしよろしければお答え頂けると幸いです。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ