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ダイエット

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こんにちは。
最近体重の増加が著しく食生活を正してダイエットをしようと試みているのですが、目の前にある食べ物につい手を伸ばしては反省の繰り返しです…
気持ちの弱い私です。
食べたいと思う前に皆様方のひとことを心に留めさせて頂けますか?
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一つ我慢ができなかったら、一つ誰かのわがままを許してあげる

実は僕も夜中のラーメンがやめられません。痩せなきゃ、やめなきゃと思うんですが、なかなかやめられません。
なので食べたい時に食べないようにする一言をお教えすることができないのですが、食べてしまった時のちょっとした心がけならあります。
それは「一つ我慢ができなかったら、一つ誰かのわがままを許してあげる」という心がけです。
ダイエットとは違いますが、天台宗のお坊さんには戒律が授けられています。この戒律、物凄くたくさんあって全部を完璧に守るなんて無理じゃない?と思っていました。するとある先輩からこんな話を頂いたんです。
「絶対に守り切れないから戒律なんだよ」
もし僕が戒律を完全に守れていたら、おごりが出てしまう気がします。守れていない人を見た時、見下してしまう気がします。見下した時点で戒律を破っているのですが、少なくとも守りきれていたら調子に乗ってしまう気がするんです。
戒律は、守りきれません。だけど、どんなに心がけていてもどこかで破ってしまう自分に気付けていれば、誰かが破ってしまってもお互い様です。なので本来の目的とは違うかもしれませんが、僕にとって戒律は「人に優しく、自分に厳しく」するための心がけなのかな、と思っています。
だからもし今度、食べ物の誘惑に勝てなかったら、誰かのわがままを大目に見てあげて下さい。私もこないだプリン食べちゃったし、そういうこともあるよね、わかるわかる。と受け止めてあげて下さい。すると少しだけ心が豊かになります。とはいえ、やりすぎるとお腹も豊かになってしまいます・・・

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勉強はあまり得意じゃないので、僕が触れてきた仏教から思う自分なりの解釈を書かせていただこうと思います。よろしくお願いします。

上手な理由づけをしていることに気づく

僧堂にいた時に17キロ痩せました。
今振り返ってみると食べたくても、食べ物が近くになかったからなのだと思います。
手を伸ばせばすぐそこに何らかの食べ物🍰があるような状態であったり、食べ物🍖が豊富にあるとその消費に追われてしまい、必要以上にカロリー摂取🐖してしまいます。
僧堂から戻った後は、子煩悩な?母が、10年留守にしていたのでアレもコレも、といっぱい食べさせてくれました。(今も続いています😱)
家に帰れば、家内の作ってくれた食事も残すわけにはまいりませんので全部ペロリといただきます。結果、元通り🐷です(笑)
ですが☝これは我が自分を正当化するための“言い訳”にすぎません🐽

だから、何らかの言い訳を用意しないこと!身近に必要以上に食糧を置かないこと!
これが絶対条件だと思います。
惰性で続いている習慣は環境を思いきって変えないと変わらないものです。
私の場合はもはや母親を姥捨山🗻に連れていくしか方法はありません(笑)
でも、そんなことはできない、、だから、でまた自分なりの正当な理由付で惰性で食べてしまう。

この様に、とかく人間とは言い訳上手なもので、
・緊急事態で食料がなくなったら困るから🐷
・急な来客用にお菓子がないといけないから🐷
・食材が色々あった方が料理の幅が広がるから🐷
・頂いてしまったから👍
などの理由で手元に食料が豊富にあるものです。

まず、自分にブレーキを。
🔵それ、生きる上で摂取する必要性はある?
🔵自分を正当化する理由で塗り固めてない?
🔵食べたいから摂取する? 必要性から摂取するべきでは?

食べないことで得られるメリット
🔴痩せる🔴モテる🔴スリムのままでいられる🔴現状維持できる🔴サイズの大きい服を買わなくて住む🔴節約になる🔴意思の強さを鍛えられる🔴私が食べずに誰かに譲ってあげることでその人を幸せにしてあげられる…etc

まずは上手な言い訳、正当な理由付け、惰性を捨てて、ご一緒に頑張りましょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

言葉ではなく、、、ちょっとひと手間。

食べ物に手が行くのはしょうがないです。菩薩じゃなくて人間だもの。手に取った食べ物を口に入れる前に いただきますをゆっくり10回ほど念じてください。時間にして15秒ほどの沈黙でしょうか。食べ終わったらごちそうさまを5秒ほど念じてください。
過食と反省を繰り返すくらいなら、ちゃんと食べきってください。ただ、欲に任せてがっつくのではなく食前食後の作法にも敬意を持っていただく習慣を手に入れると人生変わってきますよ!!

成功をお念じ申し上げます。

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hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

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