自分は世の中に必要ないのでは
いろいろな辛い出来事が重なり、自分に自信を持てません。
世の中に自分は必要ないんじゃないか?と思い込んでしまいます。
友達にも、会社にも、本当は必要ないのでは?と。
最近、友達が急に冷たくなったり、
会社で失敗続きだったことが原因なのですが…。
たぶん全て思い込みだとは理解しているのですが、一度不安になると、今まで親しくしてきた人も本当は私のことを嫌っているのではないかとさえ思ってしまい、話すこともうまくできなくなります。
消えたいぐらいです。
どうしたらこの暗い考えから抜けられるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の価値が気になる、プライドの煩悩
人には誰でもプライドの煩悩があります。
自分で自分をすばらしいと思いたいのです。
そのために、自分の価値を測定するために、自分を何かと比較したくなります。
自分を、他人と比べたり、過去の自分と比べたり、自分の理想の自分と比べたり、他人が期待する自分と比べたり。
しかし、プライドの煩悩が満たされないと生きていてはいけないのでしょうか?
他人から必要とされる価値ある自分でないと、生きていてはいけないのでしょうか?
まったく価値などないちっぽけな自分であっても、心臓が、肺が、生きようと活動しています。
プライドの煩悩にだまされないでください。
あなた自身が生きていたいなら、生きていてよいのですから。
この世に役に立たない人は一人もいない
仏教は、因果、縁起の教えです。
すべての存在、出来事は、すべて原因と結果、それを可能とする条件というように、お互いに、関係しあっています。
あなたが、コンビニで140円でアイスクリームを買ったとします。
そのことによって、コンビニの店員さんの時給の一部になったり、コンビニへの配送トラックのドライバーの給料の一部になったりするのです。
http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/radio/detail37_05.html
の
http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/radio/mp3/manda_05.mp3
28秒目あたりから、私の所属する、真宗大谷派のテーマソングの第三番がきけます。
>辛い涙に暮れる日は 決して尽きないけれど
私が絶望しても 私を見捨てないものがある
私を生かすはたらきに 目覚めたときから生きられる
このかけがえのない私に いのちが今、かがやく
いのちが今、かがやく
>私が絶望しても 私を見捨てないものがある
私を生かすはたらきに 目覚めたときから生きられる
ここがとても、浄土真宗的です。
人間は自分自身をも、見捨ててしまいます。
しかし、阿弥陀さんは、どんな人をも「えらばず、きらわず、見捨てず」救うと誓願した仏様なのです。