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命が、自分が、怖いです

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こんにちは。
私は、命が怖いです。人は簡単に死ねるからです。屋上から飛び降りたり、線路に飛び込むことで。

私はそんなあやうく、儚い命が怖いです。なぜ、私たちは死ぬのにそのような命を今生きているのでしょうか?死のうと思えばいつでも死ねる、なのに何故皆生きているのか、と思います。

そして、そんなことを考えているとふと、ここから落ちたらどうなるんだろうなどという想像をしてしまいます。私はそんな自分もとても怖いです。

死にたいわけではないのですが、自分が突発的に自殺したらどうしよう、と…。
しかし世の中には生きたくても生きられなかった方もいます。それに、私の命は親から頂いた大切なものです。だから、こんなことを考えるのはいけない、そう思います。

ですがだめとおもってもその想像は私の頭から離れません。怖いし、苦しいです。
どうすればこの考えから抜け出せるのでしょうか…。私の考えはおかしいのでしょうか?

又、冒頭の繰り返しになりますが、なぜ生きているのでしょうか。命とは何なのでしょうか?

まとまりのない文章で申し訳ないですが、教えていただきたいです。よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教 それは自分の命を最高に喜ばしく生きるおしえ

ある人がガスで自殺を試みたそうです。
せめてもの自分への最後ご褒美として、この世の最後の一服をしようと、タバコに火をつけた時…、ドカン!(引火)
病院に運ばれながら口にした言葉は「死ぬかと思った…」だそうです。(笑)
頭ではあれこれ考え、死のうとすらした。そしたらタバコ吸いたい、引火して自分の生命の危機を感じた。つまり、あなたの自我やそうやって思っていることとは、まるで違うもの。それが命です。
あなたの思いの上での想像や取扱い事とは、まるで無関係な素晴らしい働きが命なのです。
あなたの意思とは無関係に、あなたの持っている命の中に、取り入れてはいけないものが入り込めば、あなたの意志とは、無関係にくしゃみが出ます咳が出ます。
あなたの意思とは無関係に、心臓が動いています。呼吸をしています。
どれか一つでも自分の思い通りにすることができるでしょうか。
ムリして止めようとすれば、あなたは苦しんで死んでしまいます。
「何故いきているのか」と理由を問う前に、あなたはこの世界に生まれてきている。
リクツをつけたがるのが人間という生き物ですが、理屈、屁理屈以前に、今の真実がある。
「はじめに言葉ありき」と言った哲学者がいました。
ですが、本当は、
「はじめに事実ありき」です。
これがお釈迦様の悟られた世界です。
何の為に?何故生きている?そんな屁理屈の前に、言葉の前に、思いの前に事実がある。
それを求めに、うちのお寺にも沢山の禅者が道を求めに来られます。
リクツで人間納得して、幸せになれる位なら、世界中の人はとっくに理屈でハッピーになっています。
楽譜は楽譜だけあっても、音はならないんです。
レシピはレシピだけあっても味はしないんです。
あなたはもっと、現実を生きるべきです。
こんな文字、言語、ワード、情報よりも、生のダイレクトの命を感じてみましょう。
そして、あなたのその命が最高に喜ばしく、安心する生き方を求めてみましょう。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

「死んで終わり」は仏教の教えではありません。

I.Gさんの悩みは私達の根本的なものであろうと思います。
浄土真宗の立場でお話します。
少し難しいかもしれません。
わかりにくかったらごめんなさい。

仏教は輪廻を説きます。
死ぬと生まれます。
生まれると死にます。
そして死ぬとまた生まれるのです。
そして仏教は自業自得を説きますから、善行に励めば来世は良い所へ生まれ、悪行を重ねれば来世は悪い所へ生まれます。
これがお釈迦様が説かれた「いのち」の有り様です。

※浄土真宗の僧侶は「命」と「いのち」を使い分けています。
「命」の場合は今生きている生命を表し、「いのち」は輪廻を含めた生命の有り様を表現します。

何故生きているのか?
それは遥か以前からずっと輪廻し続けてきた結果です。
前世の前世の前世のそのまた前世が生まれては死んで死んでは生まれて…を繰り返してきた結果です。
過去に輪廻から解脱し成仏していれば、人間に生まれてくることもなかったでしょう。
※例外もあります。

中国の僧侶である曇鸞大師様は「蟪蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや」という例えをお示し下さっております。
「セミは春も秋も知らない。また夏を夏ということも知らない。」という意味です。
これは私達の命の見方を例えておられます。
セミは夏に生まれ夏に死ぬから春も秋も知らない。
だから夏が夏であることも知りません。
それと同じように人間は前世も来世も知らないから、今の私の命が何なのかを知らないとおっしゃるのです。

それを悟られたのがお釈迦様であり、私達は死んで終わりではなく輪廻していることを説かれたのです。

生きている意味は何か?
命とはなんなのか?

私が生まれたのは「前世が死んだ結果」です。
そしてまた私の前世は「人間に生まれるだけの徳を詰んだ(五戒を守った)」ということです。
その結果、私は人間として生を受けた。
人間に生まれることは極めて難しいことです。
また人間に生まれることは大チャンスです。
何故なら仏になる道が整うからです。

「命」は極めて短いものです。
しかし輪廻する「いのち」は永遠に終わることがありません。
この輪廻から解脱し仏になる教えが仏教です。
この度の「命」で仏になる教えを聞かせて頂きましょう。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

「生命(いのち)は」 

I.G様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「命」とは何か・・生きるとは何であるのか・・

どうしていずれ死ぬのに生きなければならないのか・・

誠に難しい問題であり、拙生もまだまだ考えている途上でございます。

生きる意味や生きる事につきましては、これまでにも下記の各問いにてお答えをさせて頂いて参りました。

生きる意味について
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html

生きる事について
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318925.html

上記の拙回答は、またお時間のございます時にそれぞれご参考にして頂くことと致しまして、この度は、吉野弘氏の一編の詩を下記にて引用させて頂きます。

「命」について、私たちのありようを理解していく上での考える一つのヒントになるのではないかと存じております。

何も今日、明日すぐに、性急に答えを出す必要もありません。

とにかく目の前のことを一つ一つ丁寧になされていかれながらにおいて、是非、共に考えて参りましょう。

「生命(いのち)は」 作詞・吉野弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

一切は苦である。苦の生命に闇雲に執着し、輪廻している、

私が、スリランカ人の僧侶アルボムッレ・スマナサーラ長老の法話を聞いたときに、このような内容のお話がありました。
ざっくりと言います。
生き物の特徴は動くこと。
なぜ動くかというと、苦しみがあるから。
息を止めると苦しいから、はきたくなる。
はき続けても苦しいから、吸いたくなる。
お腹がすくと苦しいから、食べたくなる。
食べ過ぎても苦しいから、食べるのを止めたくなる。
立っていると疲れて苦しいから座りたくなる、寝たくなる。
ずっと寝ているのも苦しいから、寝返りしたり立ちたくなる。
生き物が生きる活動とはつまり、苦しみから逃れるために動くだけ。
しかし、動いた先もまた苦しみ。こっちの苦しみが大きなったら、別の苦しみに逃れ、またそちらの苦が大きくなり、苦から苦へ動いているだけ。
…というような話でした。
ではなぜ生きているのか?執着・煩悩があるから、苦しみの生命に執着して輪廻しているんですね。
生きることは苦であると、お釈迦様は発見されたのです。
苦しくてあたりまえだと認めることが安らぎにつながる。

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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。ためになる言葉ばかりで身に沁みました。これから精一杯生きていこうと思います。

「自分とは・自分を何とかしたい」問答一覧

どうしたらいいかわかりません

自分のしたいことより、すべきことをするべきだと考えて近頃行動してます。 自分のすべきことをしないと、まちがっていると思います。常に正しい行動をとらねばならないと思っていますが、ときには、まちがった行動をしてしまうようです。 今日は、たまたま早く晩御飯が済んだので、旦那が、お茶をしようと誘ってくれて紅茶を飲んだのですが、それがまちがっていたおもいました。みなければいけないテレビがあったので、それのために紅茶を飲むのを断って、早くお風呂に入ればよかったのです。それはわかっていたのですが、私が私のすることより旦那のすることのほうが正しいという考えがあり、旦那の提案に乗ってしまいました。でも自分を信じればよかったです。 でも努力はしました。間違いにすぐ気付いて、テレビを見るために時間気にしてお茶飲んでいつもより早くお風呂からあがりました。番組には間に合いましたが、お茶を飲んだという行為が、間違ってたようで、その後、やはり私が悪いと感じることがありました。 けれども、本来人間は自由なはずですよね。人に迷惑をかけない限りは、何をしても自由だと、憲法でも保証されていますよね。 いつも自分の行動がまちがっていないか、正しい行動ができているか、自分自身を監視することに疲れました。 間違ったことをしたと思ったときに人に相談すると、それはおかしなことではない、と言われるのですが、その後に眠れなくなったり、悪いニュースがあったり、人からひどい扱いを受けたりするので、信じられません。 何が正しくて、何がまちがっているのか、もうわかりません。 病院にはすでにかかっていますので、医者に相談したほうがいいなどというご意見は求めておりませんのでよろしくお願いいたします。

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私の意識とはなにか

 以前、死が怖いと相談させて頂いた者です。ご回答を頂いて以来、それを胸に、心の持ち様や認識を変えたりして、素人ながら試行錯誤しつつ、死をどうにか受け入れる練習をしています。  しかし、死について考えると、私の今ある命や意識は、そもそも最初はどこからきたのだろう?と考えてしまうのです。肉体は勿論母から生まれましたが、生まれる前、私の意識(精神)はどこにあったのでしょうか?生まれる前、というのは、死んだあとと同じなのでしょうか?  これを考えだすと、生きていること(意識があること)それ自体が気持ち悪いように思えてしまうのです。なぜ今、私に意識があるのか?と考えてしまいます。なんというか、常に、ゲームの世界の住人のような気分?なのです。私は、誰かによって作られた世界の中に放り込まれ、意識が芽生え、それ故に死の恐怖に苦しみ、そして必ず死ななくてはならない。宇宙規模で考えれば些末な出来事であるけれど、私という個人にとっては、その事実がとても怖く、苦しいのです。こんな理不尽耐えられない、と思って、どうしてもこの世界の仕組みを恨んでしまいます。  私の意識とは一体なんなのでしょうか。そして、生まれる前はどこにいて、どこに死んでいくのでしょうか。私の意識はどうなるのでしょうか。  そして、そんな恨んでしまうようなこの世界を、どうしたら愛せるのでしょうか。大切な人と出逢っても、必ず最期に離れ離れになってしまう。私が愛した「私」も、必ず消えてしまう。日々の小さな幸せを感じるほど、死というこの世界との別れが辛くなり、恐怖で押しつぶされそうです。  それでも折角いただいた命を生きぬかなくてはならない、と思うのです。生きぬくために、どうかご助言をよろしくお願い致します。まとまりがなく、分かりにくい文章で申し訳ありません。

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自分が正しいかどうか判断ができません。

はじめまして。 はじめて質問させていただきます。 相談内容はタイトルの通り、 自分の意見が正しいのか、そうではないのかわからなくなってしまうことです。 たとえば、 人と意見が食い違った時、 自分の意見を大切にすることができず、自分が間違っているんだと思うことがよくあります。 その場で思っていることを言う時もあるのですが、あとからよく振り返ってみると、自分の至らなかった点、私が知らないであろう相手の気持ちや背景、理解してあげられない自分のせこさなどを考え、とことん自分のことが嫌になり、結局相手の意見を飲んだり、どうにかこじつけでも相手の意見を理解しようとしてしまいます。 ですが、友人に話してみると「いや、あなた(私)が怒って当然でしょ」と言われる時もあり(もちろん私サイドからの一方的な話だからと言うのもありますが)、そのように味方が一人でもできると、「やっぱそうだよね?」と自信が持てるのですが、情けないことに私一人だと判断ができません。 たぶん、このように思うようになったのは、数年前に大好きだった彼と上手くいかなくなってしまったあたりで、嫌われたくない、別れたくない一心でそうやって心を押し殺していた癖がついたのでは、と思うのですが、そればかりを言い訳にはできません。 私は私なりにできるだけ、相手の気持ちに寄り添うようにしているつもりなのですが、何かの拍子にその相手から「こんなこともしてくれないのか」「何でわかってくれないのか?」と言われると、私は私で努力してるつもりなのに、何がそんなにいけないんだろうと、悲しくなります。 そして、その度に、正当な理由と意見を持って、堂々と立ち向かいたいのですが、自分の意見が間違っているのでは、私の心が狭いだけなのでは、相手が傷ついたらどうしようという気持ちから結局黙りこんでしまいます。 どうしたら良いでしょうか。 いろんな質問があるなか、お忙しいとは思いますが、どなたかアドバイスを頂けると幸いです。

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いつも様々な質問、回答を拝見しております。 早速の質問ですが、私は10代のころより自身の自由意志に価値を置いて生活してきました。 一言で言うと「周りに流されない」「我が道を行く」というやつです。ポリシーとも言えるかと思います。 他者が自分をどう思うかより自分がどうありたいかを価値基準とし、決断の柱にしてきました。 とはいえ、元来基本的には他者との関わりは好きで温厚なほうでもあると思うので、学生時分までは周囲との軋轢もなく過ごしてきました。 しかし、社会人になってからは周囲との考え方が合わなかったり、納得できないまま仕事をすることが増え、自分の意思が反映されない生活にストレスを感じています。 長い物に巻かれるのが当たり前の現代社会で、私のような社会性のない人間はつまはじき者で、会社でも疎まれているように思います。 組織人として生きていくのはどうも難しそうです。 私の考え方が間違っていたとは思っていませんが、少しは自分よりも他者の考えに価値を置き、社会性を磨くべきだったのもしれないと、してもしようがない後悔に苛まれることがあります。 自分の意思を強く持つべきだとは今も思いますが、それを貫き社会生活の中で苦しんでいるのも自分です。 このように生きてきた私が、集団の中で生きていくための心構えについて、心に留めるべき仏さまのお教えはありますでしょうか。 とりとめのない内容ですが、こんな私にぜひ仏教的な目線でも、お坊さま個人の目線でも、ご意見いただけると幸いです。

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自分と向き合ってれば良いと言うアドバイス

とある競技を何年か前から好きで続けていますが、休暇が少なく土日は絶対に休めないため、週末にある大会やイベントに出てみたい、または見学だけでも、と思ってますが実現は出来ません。 時間ができれば練習して、自主でトライしてみて、自分で満足?してと言った感じです。 共通の趣味の友人が一人だけいますが、彼はイベント常連で仲間もたくさんいます。成績も良いので人気者です。 時間や境遇に限界があるので、自分で出来る範囲で楽しみたいけど、邪念?にとらわれてしまうと辛いとその友人に相談した所、 自分とだけ向き合ってれば良い と言われました。 全くその通りなのですが、仲間とたたえ合ったり、実際に競い合う仲間は大切なんだと言い、刺激になるからと自ら赴いてる、SNSにも沢山アップしたり、自分と真逆な、周りからの承認で満たされてる友人のアドバイスが頭では分かってるけど心では実行できません。もちろん努力あっての実力者で人気者なのは重々承知です。アドバイスしてもらっといて反発してるのもどうかと思いつつ納得できません。 友人と違って成績は良くないので活躍は出来ないとは思いますが、他の人は仲間と楽しくやっるのに 、自分だけ自分自身だけで納得?しなきゃならないのかと思うと切なくなってしまいます。それとも好きなとこをするのに友達や仲間は要らないのでしょうか? ずっと一人でやってるようなものなので憧れてるだけなのでしょうか?(友人にとって私は大勢の中の一人なのと、自分のほうがスキルが下なので基本的にはあまり相手にはしてくれません) 好きなとことをやれてるだけで幸せなのをもっと実感したいです。一人でも上記のことに落ち込まずしっかり楽しめるようになるのはどうすればいいでしょうか? かなり贅沢な悩みだとは思いますがよろしくお願いします。

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物事をやりたくない時に動くと腹が立ちます

私は何事においてもそうなのですが、やりたくなくて仕方がないという心がいつも湧きます。(やれる時もありますが) 例えば洗い物や、料理、こなさなければ行けない用事など。今は専業主婦ですが働いていた時はもっとそれがありました。 もちろん誰でもその気持ちは湧くと思うのですが、自分はとにかく不機嫌になり少しでも邪魔されよう物なら物凄い剣幕で怒っています。時間指定されると尚更です。 働いていた時は理性が働き我慢をしていましたが、それにより鬱病になり前頭葉が縮んでしまっていました。 それに困り果てたのでお坊さんの本を読み座禅や深呼吸をしたり、家事を作務だと考えるようになりました。 しかしそれでもやりたくなくて仕方がない時は「そもそもなぜいちいち座禅をしたり作務だと考えたり深呼吸をしないといけないのか」とそれらをやることすら怒りになってしまうこともあります。 やらないでも生きてのけている人がいるのでなぜ自分はここまでしないと行けないのかという思いが湧きます。 自分自身でも自分に疲れてしまいましたし、怒られる配偶者が可哀想です。 どのように考えることでこの悩みから脱することができるのでしょうか。

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