友達、相手はどう思ってるのかな
友達だと思っているけど、
相手が自分をどう思っているのかなと
不安になり
考える事があります。
私がネガティブな事を言ったり
すぐにごめんと謝ると
すぐ謝るのめんどくさい等と
はっきりと指摘を受けます。
だけど、
もう嫌だしめんどくさい、
友達でもないと
思われてるんじゃないかと…
嫌われたなと
思うことがあります。
自分勝手だと思いますが
大切な友達として
出来ることなら
よい関係でいたいです。
自分自身の行動、言動で気を付けないと
いけない事などのアドバイスをお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「ただ友の欠点のみ見る人は、友人ではない」
二度目のご縁をいただきました。
「友達だと思っているけど、 相手が自分をどう思っているのかな」と考える事。私もあります。
そして考えると不安になります。
この不安の原因は相手がどう思っているか「わからない」ということにあります。
では「私たち友達だよね?」と確かめたらどうでしょう。おそらく相手が本当はどう思っているにしろ「友達だよ」と返ってくるでしょう。この言葉は信じられるでしょうか、それで不安が解消されるでしょうか。
そうではありませんよね。結局相手の気持ちはどこまでいっても確かめようがない。つまり、確かめようがないのだから友達かどうかは
「自分がどう思っているか」
という一点でしかないのかなと感じております。
さて、今回のご友人のご指摘についてですが、お釈迦様の言葉にこんなものがあります。
「つねに注意して友誼(ゆうぎ)の破れることを懸念して(甘いことを言い)、ただ友の欠点のみ見る人は、友人ではない。子が母の胸にたよるように、他人のためにその間を裂かれることのない人こそ、友である。」スッタニパータ255(中村元訳)
※友誼:友人としての情愛。友達のよしみ。友情。
「これを言ったら友達でなくなるかな?」と懸念し友人の欠点を見て見ぬふりをするのは友人ではないということです。
子が母を安心してたよるように、他人に何を言われようが私はこの人の友だと思っているならばそれは友なのです。
今回ご友人はあなたにそんなにネガティヴでいてほしくないなと感じたからこそ、明るくあってほしいという願いをかけそう言葉にした。
それはもう嫌だ、めんどくさいという意思表示ではなくあなたと本当の友でありたいと思うからこそのご指摘だったのではないでしょうか?
時によっては相手のその指摘が的外れな場合もあるでしょう。あなたを傷つけるときもあるでしょう。
その時はあなたもまた「これを言ったら友達でなくなるかな?」と不安視し迎合することなく、「それは違うよ」「今の言葉は悲しかったよ」と伝えてもよいのです。
とにかく、相手のことは「わからない」それでも「友でありたい」この立場にたって願いをかけ、かけられ続ける関係が友ではないでしょうか?
その関係は誰に侵されるものでもなく、ただあなたの中で揺るぎないものであればよいのです。
仲良くする方法
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
嫌なことしない・言わない
冷静に考えたらそうですね。
吉武様
ありがとうございます。
マイナスな方ばかり考えていました。