病院で亡くなられた方は成仏できているのでしょうか?
看護助手をしております。
主に高齢者のターミナルケアを主にした病院なので、亡くなられる方も多いです。
先日、長くお世話をしていた方が、急変して亡くなられました。
その方が亡くなられてから、自分の身のまわりで不運な事が立て続けに続いています。
同僚が夜勤中に倒れたり、同僚の親御さんが亡くなったり。
また脳出血で倒れて療養中の私の父親も、新たに脳梗塞が見つかりました。
これは亡くなった方の怨念のようなものが影響しているのでしょうか。
毎日自宅で勤務前に坐禅を組み、般若心経を唱えて心を落ち着かせています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
怨念などありません
宗派やお坊さんによって考え方が違いますが、私としては、どこで亡くなろうと同じです。
自宅でも病院でも、屋外でもどこでも、命が尽きれば浄土に行くのです。
浄土には貪瞋痴の三毒はありません。
まして、怨念など無いのです。
「成仏」ということについては、様々な考え方がありますが、私としては、今は浄土で成仏する(覚りに至る)為の仏道修行をしている、と解釈しています。
あなたの身の回りの不幸とは直接は関係ありません。
あなたが懸命に介護した人なら、恨むのではなく、あなたに感謝し守ってくれることでしょう。
同僚が倒れたのは持病や勤務による心身の疲労ではないでしょうか?
あなたのお父さんも脳の血管に問題があるために、色々な症状が起こるのだと思います。
40代という私達の年代は、同僚は中年で体力が落ち、その反面、仕事の責任は増え、心身の疲労が溜まり、倒れることがあります。
また、親は高齢となり、様々な病にかかるようになります。
そのような年代です。
だからこそ、私達自身の心身を健康に保ち、同僚やお父さんに寄り添い、仕事に私生活に精一杯頑張っていきましょう。
亡くなられた方のせいではありません
人は普段、死と離れて暮らそうとしています。ですから、周りのそういった事象(病気、死)には鈍感にしているのです。
ですが、ハチさんのように仕事柄や、たまたま死とたくさん触れあう機会があると、ついつい向き合わざるをえなくなり「なぜ自分の周りばかり??」と考えてしまうのです。
そもそも、世界では毎日誰かが生まれ
そもそも、世界では毎日誰もが老いて
そもそも、世界では毎日誰かが病に倒れ
そもそも、世界では毎日誰かが死ぬ
この「生老病死」という大前提を見ようともせずに、きっとあの人が私の事を怨んで私の身近な人を苦しめているのだって考えることはおかしな事です。
ハチさんの身近な方のご病気や死は「たまたま」連続しただけなのだと思います。
お寺のご門徒様の中には、1年間で沢山の身内を亡くされた方もおられますが、たまたまそういうご縁だったのです。
受け入れられない事柄から目を背け、誰かのせいにしてしまいたくなる気持ちは、とっても分かりますが、生老病死は避けられないものです。
それに向き合い、乗り越えていかなければなりません。
仏教は、その事を教えてくれるものなのです。
どうぞご安心ください!亡くなられた方は、正しく仏法を聴いていく大切さを、ハチさんにご縁として与えて下さったのですよ。