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心の中

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私は、小さい時ら人の目を気にしてしまう…相手にどう思われてるか、又嫌われたくないから思ってる事も言えず…いつも心の中はモヤモヤでぐじゃぐじゃで…心の中を殻にしたいです。今からでも遅くないでしょうか…。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いっそのこと開き直ってみては?

りいさん、初めましてhasunohaの井上広法と申します。

お釈迦様の言葉に次のようなものがあります。

「人は黙して座するをそしり 多くを語るをそしり また少なく語るをそしる およそこの世にそしりを受けざるはなし」

言い換えると「人は黙っていても非難され、たくさん話しても非難され、少ししか話さなくても非難される。この世の中に非難されないものはいない」という意味です。

お釈迦様のような方でもこのようなことを仰っていると思うと、ぼくたちが非難されるのは仕方ないなという気持ちになります。

ぼくもずいぶん人の顔色を気にする場合があるのですが、この言葉に出逢って少し開き直ることが出来ました。

りいさんも、いっそのこと開き直ってみてはいかがでしょうか?

合掌

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hasunoha共同代表 浄土宗光琳寺 副住職 佛教大学で浄土学を専攻したのち、東京学芸大学で臨床心理学を専攻しグリーフケアの観点から『遺族における法事の心理的役割の検討』を執筆。 科学的に心の仕組みを学んだ僧侶として活動し、東日本大震災を契機に「お坊さんが答えるQ&Aサービスhasunoha」を立ち上げる。 また心理学、特にポジティブ心理学の知見を参考にワークショップ「お坊さんのハピネストレーニング」を毎月開催している。 史上初のお坊さんバラエティ番組「ぶっちゃけ寺」の立ち上げにかかわるとともに同番組をはじめとした様々なテレビやラジオなどのメディアにも多数出演中。

南無 自意識過剰 大菩薩

高校時代に太宰治の『人間失格』を読んだ時はじめて、自意識過剰という言葉を知りました。
・人の目を気にする
・相手に合わせる
・いい人であろうとする
「ああ、こりゃあオレのことだ!(焦)」と思いました。
それから背中に“自意識過剰”と書いた紙を貼って廊下を歩いていたら結果的に女子ウケした私でした。

ある時から自意識過剰という言葉は、私にとって意味が変わっていきました。
・思いが盛んに起こる
・いらぬはからいが多い
・人や状況への要求が盛んになる
・ネガティブ意識、否定的な気持ちが盛んになる

二年ほど前に流行ったドラマ「家政婦のミタ」に出てくるミタさん状態で、過去の嫌な体験が元になって、過度に自己防衛意識が働き、常にインナー目線。結果的に自分の意識が自分をマイナスに向かわせてしまい、自分を責め、自分が自分の思いで苦しむ、ということです。

ところが、この自意識過剰ということは結果的に良い方向へ働かせる方法があるのです。
Aこの人の目を気にする力を使って、
B自分が今何に目を向けているかを知ろう。

A人が自分をどう思っているかということを知ろうとする力を使って、
B自分が何を思っているかということに目を向けよう。

ここで一番大事なことは「自分が今、何をしているか」ということをよくみて、あなたがあなたの“思いに縛られないようにする”ということです。
これこそ仏道修行の一番大事なポイントです。

自分を観察し、心が悪い方へ働かないようにさせる。
もっと大切なことは、思いの世界のネット住人にならんようにさせるということです。
それが「自己をみつめ」「事実を生きる」=仏道ということです。
・私は、今何を考えているか。
・いけない、またしても悪く考えていないか、ストップ、ストップ。
・またしても人目を気にしている、やめようやめよう。
…と自分をコントロールする、自分を客観的に見つめる力に変えることができるのです。

◎自意識過剰力は自分を冷静に観察する力に転ずれば、怒りや悲しみ、感情的な心を自制する力になるので、自意識過剰であることを悲観する必要はありません。
あなたを守るために働いてくれている力なのですから徐々に成長させてみてください。
辛い、嫌な経験が多ければ多いほど、爆発的に成長できるのです。
人間向上の道に早い遅いも定年もありません。(^-^)

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

自分のしごと 相手のしごと

りいさん、はじめまして。
釈理薫(しゃくりくん) と申します。

先日、『ほぼ日刊イトイ新聞』 http://www.1101.com/home.html さんで、

よく思われたいということは、相手のするはずのしごと(判断)を自分ですることになる
それは無理だ、というお話がございました。

まさにその通りで、どこまでが自分ができることか。
どこからが自分でできないことなのか。

そして、自分でできないことは、自分のやるべきことではないと”手放す”ことができるか。

もしできなくても、できないことに気が付く、やるべきでないことを知っていることが大事かと思います。

自分は、他人にはなれません。
他人を思い通りに動かすことも、他人の心の中を知ることもできません。
せいぜいできて、お願いし、促し、推測するくらい。
ましてや、他人の判断を自分が下すこともできないのです。

自分のしごとを楽しんで、精いっぱいやり、あとは野となれ山となれw
どんなに頑張ったって、いま現在はどうしたってそれ以上はできないのですから。

相手のしごとは、相手に任せてしまいましょう!

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真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動 ・正徳寺声明会(しょうみょうかい:お経の練習と法話)月一回開催 ・こども囲碁道場 月一回開催 講師:日本棋院 王唯任五段 ・こども すみえ おえかき道場 隔月開催 講師:墨絵画家 本多豊國 ・「対話する夜」 月一回 都内のいろいろなお寺で平日夜にお坊さんを交えて対話する会 この他に、寺社フェス「向源」のお手伝いなど

まずは心の中の整理を

りい様へ

心の中を空にすることはできません。
ただその心の中を整理することはできます。
人間誰しも他者の評価、目が気になるもの。
だってそれは人間は他者との関係の中で生きているのだから。
まず整理をしてみましょう。
その上で、本当の自分をさらけだし
その流れにあとは身を任せてみましょう。
                           合掌

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有り難し
おきもち

「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を基とし、より多くの方々に御参拝いただき、御本尊様などから御利益を授かることを願っております。 また、本来お寺の持つ機能として、「学び」「癒し」「楽しみ」などがあったとお聞きします。 あらゆる可能性に対して、日々精進しながら日々模索しながら、多くの方々との御縁がつながっていくことを願っております。合掌

人生これからです。

先ほど、以前いただいた仕事に関する質問に答えたところでした。

誰が何を言おうが振り回されない、自分が本当に守りたいもの。他人の目を気にすることよりも大事なものが見つかれば、楽になれると思います。

私も人の目を気にしてしまい本来の僧名でお答えができていない小心者です。

1度嫌われたら10回ゴメンねと謝れる図太さも持つことも大事だと思います。

人生これからです。陰ながら応援しています。

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hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ