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手のかかる長男

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うちの長男について書かせてもらいます。

今年12月で二十歳を迎える長男ですが、周りの子に比べてかなり手がかかります。

まず最初に、彼が高校の時に友達関係で不登校になってしまい、通信制の学校に転入してどうにかそこで単位もとることが出来、次に専門学校へ入学(本人が行きたがっていた)したのに、そこでも周りの子達と馴染めず、中退してしまいました。
そして本人いわく、少人数の所に行きたいと話していたので少人数制の学校へ通い、時間はかかりましたが資格をとることが出来ました。
運転免許も何度も落ちましたが、とることが出来ました。
学校で取得した資格で就職もしていましたが、想像以上にキツイ仕事で短期間で辞めてしまいました。
本人は正直、本当は仕事はしたくないけどやらないとお父さんに怒られるし、お金を貯めないといけないから(結婚など)仕事してると話してました。

去年、心療内科で軽度発達障害(いわゆるボーダーの子)だとテストで判りました。
この子にあまり怒らないようにと医者に言われましたが、うちの主人は不器用で忍耐力がない長男を受け入れられない様子で、二人は仲が悪いです。
私は、もちろんこの子に対してイライラしたり、ついつい周りの同世代の子供たちと比較してしまい、落ち込んだりもしますが、私1人でもこの子を見捨てないでおこうと決めています。

この子もこの子なりに、頑張ってきているのは充分分かるのですが、ただ、1つだけ気になるのは、高校時代からずっと不機嫌で笑顔がなく、遊ぶ友人も1人もいないことです。
しかも、家族のみんなとも話をほとんどせず、(私とはどうにか話をします)元気がなく、ずっとゲームばかりしています。
私がたまに色々と話をしますが、本人の笑顔をほとんどみたことがありません。
本人は、元気だった頃に戻りたいみたいですが、なかなか変わらないです。
この子をみてると、私まで苦しくなります。

長男をなんとか笑顔にする方法ってありますか?
早くこの子が元気になって、今までの話を笑って話せる日がくることを望んでます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

男の燃料は誇り

学校、資格、仕事、今の生活…ご子息はどのくらい褒められていらっしゃいますでしょうか?

「人は己を知る人のために死す」という言葉があります。「自分を心底認めてくれる人のためには、命懸けで頑張ることができる」というくらいの言葉です。
石田三成は4万石の知行地をもらった時、秀吉から「これでたくさんの家臣を雇えよ」と言われました。しかし三成は半分の2万石をたった1人の男、島左近のために使いました。主人の三成の取り分も2万石、家臣の島左近の取り分も2万石。異例中の異例であり、とんでもない破格の待遇でした。
島左近はここまで自分を見込んでくれた三成に深く感動し、生涯彼を支え続けることを誓います。そして、秀吉亡き後、じわじわ、じわじわと立場が悪くなる三成を支え続け、ついに家康によって三成が軟禁されても見限ることなく、関ヶ原の戦いで壮絶な戦死を遂げました。どんなに誇りと生き甲斐に満ちた人生だったろうかと思います。

「自分は認めてもらえている」という実感は、それだけで生き甲斐や笑顔に直結するのですよ。ご子息の運転で、2人でドライブにでも出てみてはいかがでしょう。そしてその運転を褒めてあげてみましょう。まずはそんな些細な所から、小さな笑顔を探してみてはいかがでしょうか。身体と同じように心にも癖があります。手近なことから少しづつ、地道に積み重ねていきましょう。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

子供と友達になる

私は6歳の長男と友達です。
友達だと何でも話してくれます。
堕落してぇ時だってあるよなー、とか。
凹むよねぇ、とか共観ができます。
彼がもし家庭の外で傷ついたのなら、それを治すべく悲しかったことを聞き出して大人の知恵でとげを抜いてあげましょう。
もし家庭内で傷ついたのなら、お子さんへ次のことを伝えてみてください。
どこか親のせいにしたい気持ちもあるでしょうから、それごと受け容れてお子さんが良くなるように働きかけてあげましょう。
「あなたに対して私は色々高いことを求めてしまっていたけどそれを全部取り下げます。
あなたはあなたの好きなようにしていいのよ。
あなたを信じているから思いっきり好きなことをやりなさい。
ただし、堕落の道を歩むのは良くないと思う。
あなたをこの世に誕生させたのは私だから。あなたを愛しています。
あなたはあなたの中で最高になりなさい。
あなたを信じています。」
という趣旨のことをあなたの生の言葉で伝えてあげることです。
いつかどこかで親子関係も凍結してしまったのかもしれません。
生き返らせるための復活の呪文は上記の言葉プラス懺悔+愛。
そして親子でなくフレンドリーになること。
それが彼の凍り付いた心を溶かすことになるでしょう。
子供は親から心配されることはプレッシャーでなりません。
親の「信頼」「信じる」「まかせ」によってこどもは大きく成長します。
大きく成長すると言ってもそれも親の期待通りにはなりません。
親の時代の「立派さ」を要求しないようにしてください。
その子はその子の世代での自分なりのリッパさがあります。
人生は自分が自分を満たすことで幸せになれます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

早々のアドバイスどうもありがとうございました!

お二人様の心あたたまるコメントに感謝です!

今度二人で出掛けてみようかなと思いました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ